仁義なき戦いのレビュー・感想・評価
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名優達が名優といわれる所以
名優達がこれでもかと登場する。
梅宮辰雄や松方弘樹なんて釣りや料理好きのおもろいオッサンのイメージがこびりついていたが、やっぱ名優だわ。すげえかっこいい!若かりし、渡瀬恒彦も。当然、菅原文太も!そうそう伊吹吾郎も出ていたのですね。知らなかった。ちょっと日本人離れしててかっこいい。
「格好がつかない」
広能や坂井や若杉から頻繁にこのワードが出る。
やたら面子を大事にする輩が印象的。たとえ命を落としでても格好をつけようとする。
反面、生きるために裏切り上等、上手く泳ぐ輩もいて、その対称的な構図がこの映画の一つの軸になっている。
戦後の闇市のシーンそのままに終始凄い熱量の映画だった。
まあしかし、私はこの時代じゃなく現代でほんと良かった。。(笑
最初は「荒い映画やなあ。学芸会の演目みたいや。」と思ったが、いつのまにやら全シリーズ観てしまった。ハマりますな。名優の演技に。痺れる台詞に。
戦後日本の歩んだ道
ファーストカットがモノクロ写真の原爆ドーム。物語は終戦直後の広島県呉市の闇市。冒頭のこの闇市シーンから画面から、生命のエネルギーが噴出していて何回見ても釘付けになってしまう。まるでニュース映像のような荒々しい映像に、ギラギラした役者の顔が映される。
深作監督もどこかで言っていた気がするが、この作品は戦後の日本社会の実像を、裏社会からえがきだしたている点が素晴らしいのだと思う。戦後の復興の混乱期に台頭し、朝鮮戦争の特需で儲かり、政財界の食い込んでいく中で人心が腐っていき、「仁義なき」世界になっていく。刑務所を出たり入ったりしている広能はその流れには乗れず、一人仁義を抱えて生きている。ラストの葬式で、香典や供花を撃つというのがまた良い。出席している連中は、誰も坂井の死を悼んでなどいないが、建前として香典や供花を出すわけだが、そんな腐った建前を撃ったのだ。
セリフのちからもすごい。名ゼリフのオンパレードで驚く。何回見ても圧倒されてしまう。
無尽蔵なエネルギーのぶつかり合いに衝撃を受けっぱなし
この邦画界における傑作を今改めて鑑賞すると、そもそもの物語が『この世界の片隅に』のラストシーンで描かれた呉の闇市からスタートすることに驚かされる。菅原文太が初めて人を殺めるこの街のどこかに、あのすずさんたちが微笑みながら佇んでいるのかと思うと、なんだか不思議な感情がこみ上げてやまない。思えば、深作監督によるこの伝説的シリーズは、戦後の復興期の中で「騙し騙され、裏切られ、利用され」を繰り返しながら、何とかこの世界の仁義を守り通そうとする男の生き様を描いた物語だった。シリーズ一貫して、この映画のタイトルバックにはいつも広島の原爆ドームとキノコ雲。本作も『ゴジラ』と同じく、戦争や原爆の記憶を踏まえながら、行き場のないエネルギーが無尽蔵に衝突を繰り返す過程を描いたものだったのだろう。深作、笠原、菅原のみならず、昨年は松方や渡瀬も逝去した。しかしこの映画に刻まれた爆発的エネルギーは永遠に死なない。
徹底したヤクザ社会のリアリティ追求と俗物的な登場人物の面々は自分たちの身近にもいそうで親近感もあり、世界観に没入できる傑作群像劇ですね。
新文芸坐さんにて『十一人の賊軍』公開記念として『仁義なき戦い』全5部一挙上映。
夜9時から翌6時半までの一挙オールナイト上映もありましたが、知命を迎えて徹夜する体力もなく朝10時から夜8時まで劇場に籠城いたしました。
『仁義なき戦い』(1973)
実際の広島抗争当事者美能幸三組長の獄中手記を飯干晃一氏が解説を加え、映画化にあたり笠原和夫氏が脚本を書き上げたのですが、登場人物すべて実在の人物や事件をモデルにしている点が今では考えられず、徹底したヤクザ社会のリアリティ追求と俗物的な登場人物の面々は自分たちの身近にもいそうで親近感もあり、世界観に没入できる傑作群像劇ですね。
撮影も手持ちで荒々しくドキュメンタリータッチの映像は、主役のアップを丁寧に撮影する当時からすれば画期的、情緒的な無駄な長回しも全くなくてテンポ良さがずぬけてます。
ストーリーの骨子は今でいう「親ガチャ」。
広能氏(演:菅原文太氏)が山守組長(演:金子信雄氏)と盃を交わさなければ…という親殺しのテーマにしたこれは一大サーガですね。
菅原文太氏、松方弘樹氏、梅宮辰夫氏、田中邦衛氏、渡瀬恒彦氏とオールスター、芸達者な面々ばかりですが、なんといっても山守組長役の金子信雄氏と妻役の木村俊恵氏のコンビが白眉ですね。とにかく身近にもいそうな小心でずるくてセコい、スケベ、都合が悪いと噓泣きする組長が観客のヒートを買ったのが本作大成功の主因のひとつでしょうね。
昭和の名優ここに集まる
人の名前と顔がなかなか一致しないまま話しは進み相関関係も頭に残らない苦労が前半
後半になってやっとその辺りが頭の中に馴染んできてストーリーもわかりやすくなるという思いのほか鑑賞に苦労した
とにかく殺されるヤクザたち
戦後ということもありまだまだ法治国家という状態には程遠く、要領よく好き勝手やったもん勝ちという時代である事は伝わってきた
広島弁がヤクザ言葉のイメージがついてしまうぐらい影響のあった映画である事は間違いない
これがノンフィクションだというのを知ってなおさらすごい時代とすごい世界観に驚いた
仁義とは何か
数ヶ月前に観たが、どう感想をまとめればよいかわからず、レビューを書くのは諦めて忘れていた。北野武の「首」を観て、この作品を思い出した。
戦国時代とヤクザの世界は共通点があるのかもしれない。最後は武力で物事を解決するという意味で。
この映画が公開された当時、社会現象になったようだ。続編も次々製作されている。この作品に影響を受けた映画や映画監督も数知れずという。当時としては、「今まで観たことのない映画」だったのだろう。戦後の空気感もまだ残っていたからかも知れない。
そういう空気感の無くなった半世紀後の今観ると、興奮や衝撃は感じられなかった。とにかく速いテンポで話が進み、あっけなく人が死んでいく。ほとんど故人になってしまったが、若かりし頃の名優達が現れては消え、表れては消え。ひたすらその繰り返しのように見えるが、ヤクザの世界も徐々に変わっていく。
劇中、菅原文太が松方弘樹に「どこで道間違えたんかのう」と問う。これはどういう意味か。ヤクザの世界にもあった「仁義」や「任侠心」がすっかり無くなったという意味か。
そんなものがヤクザの世界に最初からあったのか。そもそもカタギの世界含めて、社会全体にそんなものがあるのか。
特に深い意味がある台詞ではないかもしれないが、この言葉が引っかかった。
この映画の影響を受けた映画「孤狼の血」で主人公が吐く台詞を思い出す。「じゃあ聞くがの。正義とはなんじゃぁ?」。
私は妙なところで引っかかって、考え込んでしまったが、深読みなんかせず、気楽に観て、スカッとした気分になればいい大衆娯楽映画なんだと思う。
最近こういうテイストの映画ではなく、観客に考えさせる映画が評価されるようになってきているから、影響を受けているのかもしれない。映画は難しい。
山守さん、弾はまだ残っとるがよぉ
とにかくこの時期の深作欣二監督の作品はエネルギッシュ‼️画面に躍動感があって、そのテンポの良さはまるでハリウッド映画のよう‼️そんな日本映画の枠を超えた深作欣二作品で描かれるのは、仁義にツバ吐く広島ヤクザの濃密な実態‼️野良犬の如き血気盛んな菅原文太を始めとする登場人物はみ〜んなワル‼️その独特のイントネーションが耳から離れないほど魅力的に響く広島弁‼️ある意味古典的な主題曲‼️カメラもブンブン思いっきり回りに回ってまるでドキュメンタリー映画のような生々しさ‼️ホント燃えます‼️文太兄ィが葬式で銃をぶっ放すラストシーンと、"山守さん、弾はまだ残っとるがよぉ" のセリフもチョー最高‼️米軍に原爆を落とされた戦後の広島における暴力団抗争も、日本の戦後の歴史の一つという事です‼️
原点にして完成形
完全な先入観から興味が湧かず見ていなかった作品。
「アウトレイジ」や「虎狼の血」のベースになっていることを直感的に伝わりました。
単なる切った張ったの世界ではなく、思惑がうごめく複雑な抗争でありながらも、時にはあっけない話の展開に本当に引き込まれましたね。死んだら終いなんだと。
殺すシーンも丁寧で、簡単に殺せなかったり、瞬殺したりと、説得力が凄かったです。ヤクザであっても人殺しが初めてかもしれないのは、当たり前だけどあまり描かれないところですよね。
映画として完璧であり、日本のエネルギーを感じた素晴らしい作品でした。
そして皆さんカッコよかったです。
集中して見るべき映画かなと思いました。雑に見てしまうと著しく評価が下がりそうです。
裏社会も社会
戦後の裏社会の成立ちという特殊な舞台だけど、その人間ドラマにはしっかり感情移入させられる。指詰めとか内部抗争とか、普通の生活では信じられないような出来事にも、説得力がある。
主人公広能が、割とマトモで人が良いんだけど、それ故いいように使われてて無力なのが、また切ない。。
登場人物が多いので、死亡時のテロップが本当にありがたいですね。
相関図を観ながら観るべし!
広島出身ということもあって
これは一回一通り観ておかなければ!ということで
昔ひとりで5作全部観たことがあったのだけど、
正直に言うとその時の感想は、
よく分からない。だった。
ヤクザが出てきたと思ったら、すぐ殺され、
なんとか組組長死亡、とテロップが出る。
色んな組の人間が複雑に絡み合い、
誰が誰なのかよく分からない。
なんじゃこりゃ、と思っていた。
そして今、10年の時を超え、再び観ることに。
今回は仁義なき戦いファンの解説員を横に従え
丁寧に教えてもらいながら観た。
やっと理解できた。
初めのスラム街での争いは、伊吹吾郎が腕を切られその次のカットにご飯が出てくる。エグイつなぎだなぁと思った。
そしていつも犠牲になるのは、若者。
ラストカットの原爆ドームは反戦のメッセージ。
ただの、ヤクザのドンぱちの話ではなく
そこには深作欣二のメッセージが込められていた。
こがーな豪華な俳優つこーて、ぶちええ作品じゃのう。
みんなカッコええのう。!!菅原文太!梅宮辰夫!松方弘樹!渡瀬恒彦!伊吹吾郎!
ほいで腹立つんじゃけど名演の金子信雄!
それに流石は深作監督じゃのう。カットワークとか、ちーと荒い感じがするしのう、銃の撃ち方とか襲撃シーンなんかはカッコ悪い感じなんじゃけどの、その分リアルじゃのう。段々はまってきての、ドキュメンタリーチックに感じてほんまええわ。
普段地元で聞いてる広島弁がカッコ良く聞こえてくる。達川さんとは違いますわ(笑)。
今では流石に街中でこんな広島弁は聞かんけど、今だにカキ打ち場の方ではこんな喋り方するおじさんいます。(笑)
「おどりゃ~元気にしとったんか~、こんなぁちーたー顔見せにゃ~くらわすど~」てな感じ。(笑)
日本映画最大の危機の時代
決して楽観は出来ませんが、徐々に日常が戻りつつある中で、諸処の不便や制約はありつつも映画館も漸く営業を再開してきました。
まだ通常のロードショー公開ではなく旧作も交えながらの変則的興行ですが、東映本社1Fにある直営館・丸の内TOEIでは、何と『仁義なき戦い』全5部作を二回興行に亘り一挙上映してくれました。さすが東映です。
実に40数年ぶりに映画館で観賞しましたが、改めてその異様な熱気と圧倒的迫力に震撼し堪能しました。間違いなく日本映画史上に永遠に残る傑作であることを確信します。
大映が倒産、日活が経営大幅縮小と一気に不況業種と化した日本映画界にとっての波瀾と激動に晒された1970年代初頭。一世を風靡した任侠映画が一気に色褪せてしまった東映も極限状態に追い込まれ、窮余の一策として制作されたのが本作シリーズです。
本作の大ヒットで息を吹き返した東映は、新たに、事実に基づく暴力と欲望渦巻く群像ドラマである“実録ヤクザ映画”路線を確立し、多くの暴力的な作品を作り出しました。
現在に至るも、映画やTVで暴力描写やヤクザを描く際には、大なり小なり本作の描写や表現がプロトタイプ化して用いられており、公開から約半世紀を経ても、その影響力の大きさを実感します。
その魅力は、先ずはスジ=脚本の高い完成度です。
実際に広島を舞台にして対立組同士の間で繰り広げられた血みどろの抗争を元に、利害だけを目当てに恫喝、脅迫、暴力、殺人が日常茶飯事のように横行する筋書き、報復が報復を呼んで暴力が遠心的に増幅し白昼深夜を問わず殺戮と暴行が連鎖し、更にそこに内部の権力闘争、裏切り、寝返り、下克上、成上りが、無情に且つ狡猾に彼方此方で繰り返される、情や恩など欠片もなく金と暴力と色欲のみで動く、将に野獣たちの強欲で醜悪な世界が赤裸々に鮮烈に描かれます。
各組の組長、組員たちの群像ドラマとして構成していながら、複雑過ぎることが無きよう、適度に対立構図を単純化しつつ、登場するキャラクター群、皆が皆、悉くアクの強い特徴ある個性を有し臭気溢れる魅力に満ちています。戦後の混沌たる世情の中、生きる意義を見失い社会からはみ出したアウトローの若者たちが暴力のみに夢と生きがいを見出し、ある者は虫けらのように惨めに抹殺され、ある者は腕力と度胸で伸し上がるという青春社会ドラマという側面もあります。
そして何より、あの広島弁の荒々しく野卑て毒々しい啖呵や罵声の応酬が、実際の広島ヤクザを彷彿させ怖れ戦かせる、異常な緊張感と殺伐さを作品全体に充満させています。本作によって、良くも悪くも広島弁がメジャー化し広く人口に膾炙したのは事実でしょうし、映画やTVでヤクザ者が使う言葉の原型の一つにもなったのは周知の通りです。
次にヌケ=映像効果では、それまでの常識を逸脱した手持ちカメラによる、眩暈を起こさせるように常時揺れ動き、照度や焦点も不明瞭になっていた映像に尽きるでしょう。時に襲撃者の目線、時に襲われる側の目線に目まぐるしく入れ替わり、観客を恰もドキュメンタリーフィルムでも見せられているような感覚にさせ、眼前で事実が報道されているかのような印象を与え、不安感を高め恐怖感を強めさせます。
寄せのカットでは多くの場合、人物を舐めつくすようにローアングルからの仰角で撮られており、今にも噛みつかれそうな圧迫感に終始苛まれます。
スタジオのセットでなく殆どロケで撮影されたことも、その効果を格段に高めています。駅頭や商店街、路上での襲撃・殺人シーンは、無許可で隠し撮りされており、事件の周りの人たちの驚愕の表情は、演技でなく実際に殺人事件に遭遇した人の反応が撮られているようで、その迫力、その臨場感は言うまでもありません。
映像と共に挙げられるのがBGMです。本作の主題歌は、その後、現在でもヤクザ絡みのシーンでは流用されるほどの津島利章氏の名曲です。何度も繰り返されるあの独特のフレーズ、人を苛立たせ、神経を逆撫でし、不安感を掻き立てる旋律は、頭にこびり付くように付き纏ってきます。
最後にドウサ=役者の演技です。
主役の菅原文太が5部作通じて演じた広能昌三の、野性的で暴力的、短気な荒々しさ、ほんの少し人情的な面も塗した、殺気立った演技は、厳つく睨みの効いた強面の菅原文太像を確立したといえます。
菅原文太と並び5作通じて出演している金子信雄の演じた山守組組長も、彼にとって面目躍如の役でした。悪役しかいない本作でも飛び抜けてあくどく、小心なのに虚勢を張り傍若無人の野卑で強欲で傲慢な言動は、ヤクザの醜悪な姿の一つの原型を作り上げたと思います。
5部作の群像ドラマだけに出演者も多く、列挙していくと枚挙に遑がないのですが、第二作『広島死闘編』のみに出演した千葉真一、あの下品で野蛮で粗野な、野獣そのものの大友勝利役は、強烈過ぎるほどの衝撃的存在感をアピールしていました。当時の彼は、寧ろ二枚目主役スターとして人気が定着していた頃だけに、そのギャップの大きさには愕然としてしまいます。
唯一5部作通じて異なる役で3回出演している松方弘樹、時に菅原文太を凌ぐ凄味ある迫真の演技を熟し、見事に3回とも派手に殺される、その殺されぶりも各々に見応えありました。彼も本作で役者の地位を確立したと言えるでしょう。
第二作『広島死闘編』第五作『完結編』に出演した北大路欣也は、やはり『広島死闘編』の暗く荒んで乾ききった心を持つ暗殺者・山中正治役の孤独と絶望の演技が出色でした。5部作通じて唯一の看板女優の梶芽衣子演ずる、山中の義理ある親分の縁戚者とのロマンスも、シリーズでは珍しい心和ませる情景だったと思います。
小林旭演じる重厚な残虐さ、成田三樹夫演じるインテリ風の冷徹な冷酷さ、梅宮辰夫演じる押しの強い不敵なふてぶてしさ、加藤武演じる気弱で狭量な小市民さ、田中邦衛演じる損得のみで生きる無節操さ、山城新吾演じる無責任な信念の無さ、どれも憎々しい存在感に満ちており、鳥肌が立つほどに魅力的でした。
とりわけ本シリーズでは、大部屋俳優が演じたその他大勢のチンピラや鉄砲玉役の面々が、各々ここぞとばかりに自らのアイデンティティをアピールし、作品を通じて成長していったことも特徴でしょう。その後「ピラニア軍団」として名を成した川谷拓三、室田日出男、志賀勝等が、一瞬光る独特の存在感を示しました。特に『広島死闘編』の川谷拓三演じるチンピラの簀巻きにされ嬲殺しにされる際立った惨めさは異常な迫力がありました。
今や主役を張る小林稔侍も、その一人としてほんのチョイ役で出ています。
役者連各々の迫真の演技は、皆が其々に追い込まれ切羽詰まった閉塞的状況からの起死回生を狙い、自ら運命の糸を手繰り寄せようとする貪欲さと切実さが反映していた、その賜物だったと思います。
脚本・「スジ」、映像効果・「ヌケ」、演技・「ドウサ」という映画の三要素全てが完璧に調和した奇跡的作品であり、当時の時代背景、そして東映の置かれた極限状況があってこそ成しえた、日本映画史上に永遠に残る偉大なるモニュメント作品といえるでしょう。
のっけからクライマックス!
誰もが知るオープニング曲
のっけから日本刀、拳銃、血しぶき
盃の代わりに互いの血
落とし前として指詰める
血で血を洗う組の抗争、仲間割れ
まさに仁義なき戦い
とてつもないテンポの早さ
緊張感あるナレーション
菅原文太、松方弘樹、梅宮辰夫他名優たちによる画面の説得力
邦画観ないーとか言ってる人も観てほしい。日本映画は凄いんだ。
仁義は少しあったね!
2019年4月7日 #仁義なき戦い 鑑賞
伝説のヤクザ映画。#菅原文太、#松方弘樹、#梅宮辰夫、#田中邦衛、#渡瀬恒彦 みな個性が際立っている傑作。しかし、この映画がノンフィクションというのがスゴイ。これを見れば「広島すげえ」とみな思うだろうな。原爆ドームをバックに抗争しているのがなんとも。
ドキュメントでありながら映画である、その境目の作品
お話は原作に基づくものであるから、映画としての価値はどこにありそれは何か?
やはりいきなり冒頭に掛かる津島利章によるテーマ曲だろう
トランペットの鮮烈なフレーズは最早本作から独り立ちしている
手持ちカメラのブレとアップの多用はドキュメント感覚を強めて実話という原作を見事に映像に再現している
本作を観ることによる映画体験を、観客がその場に居合わせ目撃しているという擬似感覚を与えること
それが深作欣二監督の狙いだったはずだ
そしてそれは大いに成功している
そして出演者だ
菅原文太、松方弘樹、渡瀬恒彦、田中邦衛、金子信雄、梅宮辰夫といった灰汁の強い俳優達が活躍の場を与えられて輝いている
ドキュメント感覚ならばロッセリーニ監督のように素人をオーディションで使っても良いはずだ
つまり限りなく本物をつかうといこと
そこをすでにひとかどの俳優であった彼らを起用したのは何故か?
ドキュメントでありながら映画である
再現ドラマでありながら、フィクションである
その境目の作品を撮る
それは映画館の外と中が入り雑じる感覚だ
これもまた深作欣二監督の狙いだったはずだ
この撮影方針はニューシネマに対応する製作方針というか、映画を撮る態度や考え方
そこが類似しているように思える
お約束ごとでマンネリ化している旧来のヤクザ映画という日本のギャング映画の内容を現代的に刷新せしめたという意味合いでそのように感じる
そしてその革新がヤクザ映画のジャンルを超えて日本の大衆向け映画全体の革新に繋がっていったのではないかと思えるのだ
そこに本作の意義と価値があるのでは無いだろうか
では21世紀の現代において、本作を観ることにどのような意義と意味があるのだろうか
単にそのような功績があった映画として観る価値だけなのだろうか?
21世紀においては反社会的勢力との決別は本作製作当時とは比較にならない程に厳しい
このような映画の製作は企画すら出せないだろう
しかしつい先日もテレビの超人気芸人達が突然に所属事務所から解雇や謹慎の処分を受け世間を騒がしたばかりだ
社会には映画にすべき問題は現実にそこにあるのだ
本作の製作当時では別の意味で映画化が困難であったろう
しかし、これを乗り越えて先人達は本作をこのような傑作に結実させたのだ
果たして21世紀の私達は先人達のように、現実にある問題を映画という映像作品にまとめあげられ、評価できる力があるのだろうか?
ネットで批判するだけになるのだろうか?
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