「財前五郎は悪人か?」白い巨塔(1966) jin-inuさんの映画レビュー(感想・評価)
財前五郎は悪人か?
田宮二郎の脂っこい熱演のせいもあり、一般的には「財前五郎=悪人」と見られているのではないでしょうか。財前先生は苦学して助教授までなった腕のいい外科医で、医局員たちにも慕われており、次期教授を目指しています。彼は自信家かつ野心家で、ボスの東教授のことを内心ではどことなく見下している様子です。言動の端々から、彼の傲慢さが透けて見え、誠実な人間ではなさそうです。偉そうで嫌な奴かも知れませんが、はたして彼は悪人なのでしょうか。
映画は前半で浪速大学医学部第一外科の教授選挙のゴタゴタを描きます。選挙あるところはどこでも同じですが、派閥ごとの密会、票読み、集票活動、買収などに登場人物たちが右往左往します。
教授選に勝ったら次は医学部長選挙、その次は学長選挙。または学会の理事選挙でその次は理事長選挙。まさにエンドレスの選挙地獄ですが、選挙に関わるみなさんの顔は輝いています。選挙と権力ほど、人間を夢中にさせるものはないのかも知れません。
この前半部分での悪人はなんといっても、東教授です。自分が財前先生を助教授に任命したくせに、教授選直前になって密かに学外候補を擁立します。理由は「スタンドプレーが過ぎるから」。まさに男の嫉妬です。本来東教授は後任者の育成が重要な仕事のはず。それなのに優秀過ぎる財前先生を後任に据えたら自分の影響力が残せないというみっともない理由で財前排除に動きます。策士であり悪人です。
後半部分は医療訴訟のゴタゴタを描きます。教授になったばかりの財前先生は、胃噴門部癌の術後に亡くなった佐々木庸平さんの妻から訴えられます。
もともとこの佐々木さんは第一内科の里見脩二助教授(田村高廣)の患者さんでした。腹部レントゲンや胃の内視鏡検査では慢性胃炎の診断でしたが、里見教授が研究を進めている「生物学反応」という癌の診断に関する新しい検査法で「±」の結果が出ます。慢性胃炎なのか胃癌なのか。診断に迷った里見先生は財前先生に相談し、財前先生は自ら胃の透視検査を買って出ます。検査と読影の結果、噴門部癌の診断が下ります。臨床能力の低い里見先生にはその透視画像の所見は読めない様子。癌となれば拡がる前に一刻も早く手術を。佐々木さんは第一内科から第一外科へ転科となります。
その後の顛末が実に奇妙です。ある日、里見先生は一枚の胸のレントゲン写真を持って財前先生の元を訪れます。
「今まで腹しか診てなかったけど、胸の写真に影がある!昔の結核の影か、癌の肺転移か、どっちかな?手術の前に、断層撮影しよう!」
外科に相談する前に、胸部レントゲンの一枚も撮っていなかったのでしょうか。撮っていても見ていなかったのでしょうか。断層撮影は外科への転科前に行っておくべきだったのではないでしょうか。
財前先生は里見先生の意見を聞き入れず、急いで手術を行います。術後に佐々木さんは呼吸状態が悪化します。財前先生は術後肺炎と診断し抗菌薬の投与を行いますが、改善は得られずに佐々木さんは亡くなります。
その後里見先生が遺族を説き伏せ、病理解剖を行うことに。その結果、肺に癌の転移があったことが明らかとなります。里見先生はその情報を遺族と関口弁護士に渡し、財前先生は訴えられます。証人喚問で里見先生は財前先生に不利な証言を行い、彼を断罪します。
この後半部分での悪人はなんといっても里見先生です。まず里見先生は、自分で癌の確定診断を付けることができませんでした。財前先生に診てもらわなければ佐々木さんを「慢性胃炎」と診断していた可能性があります。それこそ誤診です。内科医の仕事は、正しく癌の診断をして、遠隔転移の有無を調べ、病期分類を行い、手術可能であれば外科に紹介し、手術不能であれば化学療法を行うことです。内科医がやるべきことを里見先生は何一つできていません。里見先生がこだわる「生物学反応」も、佐々木さんのような進行癌で「±」なら検査の有用性は疑問です。
里見先生は自分の患者を外科に丸投げし、患者が亡くなると自分の責任は棚上げして外科医を断罪しました。なんとも卑怯な男です。自覚はないのでしょうが、恐るべき悪人っぷりです。医師としても人としてもだめです。一方財前先生は透視画像を正しく読影し癌と診断、手術も問題なく行いました。めちゃくちゃ有能な外科医です。
関口弁護士が説明する訴訟理由は2つ
① 手術前の注意義務怠慢(断層撮影を怠り、肺転移を見落としたこと)
② 癌性肋膜炎を肺炎と誤診したこと
訴訟を受けて新聞が書き立てます。『財前教授(浪速大)誤診か!!』『浪速大「象牙の塔」に鋭いメス、誤診の疑い濃厚、検察当局動き出す』。弁護士も新聞も、里見先生の怠慢は責めません。
一審では以下の理由で無罪判決が下ります。
① 断層撮影を行っていたとしても肺転移を確実に診断できたとは言えないため、術前の断層撮影は必須とは言えない。またもし遠隔転移が判明していたと仮定した場合、胃の手術をするかしないかは医師によって判断が分かれる。よって遠隔転移の確定診断が得られないままに手術を行った財前教授の行為に責任は問えない。
② 癌性肋膜炎の診断は解剖により得られたものであり、また肺炎も同時に存在したため、死亡前段階で明らかな誤診とは言えない。
まとめると、
東貞蔵(東野英治郎):悪人の皮を被った悪人(自覚あり)
財前五郎(田宮二郎):悪人の皮を被らされた普通の人
里見脩二(田村高廣):善人の皮を被った悪人(自覚なし)
3人の中でもっともたちが悪いのは里見先生でしょう。真に断罪されるべきなのは財前先生ではなく臨床医としてやるべきことをやらなかった里見先生です。直属のボスである第一内科の鵜飼教授はさすがに分かっており、里見先生に「きみはもっと大人になれ。臨床医としての融通性を身に着けろ」とアドバイスしていましたが、里見先生の耳には届いていませんでした。
佐々木さんが亡くなった時、奥さんが財前先生に向かって叫びます。
「あんたが、あんたがうちの人殺したんや!あんたが殺したんやー!!」
佐々木さんを殺したのは癌細胞と病原体であり、財前先生ではありません。小説家や脚本家や演出家は、何を考えてこんなセリフを叫ばせたのでしょうか。財前悪人説へのミスリードのためでしょうか。
悪い顔をした人は悪い人、いい顔をした人はいい人。善悪を決めつけるための印象操作は日本のフィクションの悪いクセです。類型化された登場人物といい、わざと善悪を逆転させたキャラクター設定といい、本作はなんとも後味の悪い映画でした。
本作は財前先生を悪人として描こうとしているのは明らかですが、財前先生の実際の罪は「偉そうなこと」くらいです。マスコミから叩かれるようなことはしていません。今日でもメディアのミスリードにより叩かれる人たちは多いですが、本作はまさにその典型ではないでしょうか。安易な正義感と印象のみで他人を軽々しく断罪してしまうことは慎みたいものです。
今日でも善悪の二項対立みたいな安易な医療ドラマが量産され続けていますが、本作はその嚆矢となったのではないでしょうか。この奇妙な映画に関わったことが、田宮二郎(柴田吾郎)のその後の人生に影を落としてしまったような気がします。RIP
1961年7月2日 アーネスト・ヘミングウェイ猟銃自殺(享年61)
1963年9月15日号から1965年6月13日号の『サンデー毎日』に小説「白い巨塔」連載
1965年7月単行本「白い巨塔」正編出版
1966年10月15日、本作公開
1967年7月23日号から1968年6月9日号「続・白い巨塔」が連載
1969年11月単行本「白い巨塔」続編出版
1978年6月3日テレビドラマ版「白い巨塔」放映開始
1978年12月28日 田宮二郎(柴田吾郎)猟銃自殺(享年43)