昭和残侠伝 死んで貰いますのレビュー・感想・評価
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傑作!
バランスがいい!
健さん、池部さん、富司さんと…このフロントラインに集中してるような感じだ。
それまではサイドストーリー的なキャラがいたように思うのだが、今回は見事に集約してた。
今作では、過去から連なる因縁みたいなものも描かれる。今の状況は良い事も悪い事も、過去の自分がした事から派生していると分かりやすい形で示される。
その縁に救われる秀次郎。
その縁に苛まれる秀次郎。
とても見易い構成だった。
もうここまで見てくると、高倉健って人柄が見えてくるように錯覚する。
この「花田秀次郎」ってのは作られたキャラのはずなのに作為が全く見えてこない。
池部さんには仮面が見えたりするんだけど…健さんにはそれを感じない。
「ぼっちゃん」って気さくに話しかける所作にも、郁太郎に袖を引かれ出て行く様も、仏壇に火を灯す視線とか、長門さんとのやり取りとか…ホントに素晴らしい。
また富司さんが今世紀最大にいじらしい!見てるコッチが照れちゃうんだけど、もうホントにたまらなく可愛い。
雨に濡れた着物を拭けよと健さんが差し出す手拭いでいの1番に健さんの着物を拭いてあげるとか…その後に寄り添うのだけれども、胸に顔を埋める訳ではなく、背中で寄っかかったりするのだ。
健さんの代わりに私の腕を切ってと出てこられた日にゃあ…敵わんわ。
それだけじゃなく、もう全ての仕草が艶っぽい。なのだが、好いた人の前ではあどけなく可愛いらしいのだ。芸者っていう役柄もあるのだろうけど、まぁ見事。…可憐だ。
そして長門さんが、まぁ達者!
ある意味、健さんを喰いかねない程魅力的なのだ。見てて気持ちがいい。
このお2人は、芝居に一切嫌味がない。
顔立ちからして曇りがない。
津川さんはお坊ちゃんって感じがすんだけど、長門さんは江戸っ子気質でヤンチャだったんだろうなぁと思われる。
ややこしい事情はあるものの、実家に身を寄せる秀次郎。だけど、秀次郎の過去はどこまでもついてくる。
それ故、実家に迷惑がかかり、どこまでいってもヤクザはヤクザと傷心する秀次郎。
その秀次郎にかける重吉の言葉は重い。
彼は先代に引き取られた時に、同じような葛藤を乗り越えた過去がある。
「やってもらいます」
あんたなら出来るとは言わない。やってもらうと撥ねつける。その一言への覚悟が溢れかえっていて胸が熱くなる。
ラストの殴りこみは健在で、道行はまたも2人なのだけれど、健さんが池部さんを先に行かすのよ…何も台詞はないんだけど、その仕草に色んなものが含まれてるようで、粋な演出だなぁと嬉しくなる。
その前に助太刀をかって出た長門さんも素敵だったし、送り出した富司さんも素敵だった。
止むに止まれぬ渡世の事情。
結局はそんなとこに縛られるのだけれど、その事情を飲み込むからこそ、相手に詫びる気持ちだとか気遣う強さとか…そんなものがラストに色濃く出てくる展開で素晴らしかった。
鋭く響く、「死んで貰うぜ」…
"昭和残侠伝" シリーズ第7作。
マガジンの付録DVDで鑑賞。
シリーズは1作目と本作しか観ていませんが…
1作目は「我慢に我慢を重ね、遂に堪忍袋の緒が切れて殴り込む」と云う任侠映画の王道パターンでした。
しかし本作では(ストーリーの根幹に変化は無いものの)、秀次郎と幾江の恋模様、秀次郎と小父の寺田の関係性などがとてもエモーショナルに描かれていました。
全体的に人間ドラマに奥行きがあり、秀次郎が重吉と殴り込みに行くシーンでの感情の昂ぶりを強く感じました。行く間際の秀次郎と幾江の会話も胸に迫りました…
冒頭で秀次郎と幾江が初めて出会うシーンがめちゃくちゃ好きです。情感たっぷりで、夜の厳しい寒さが伝わって来るようでした。無一文になった秀次郎に優しく声を掛ける幾江。寒さと悔しさにしばれた体に暖かな優しさが沁みて来るように感じました。こりゃあ、忘れられんわなぁ…
高倉健と池部良、ふたりが繰り出すクライマックスの大立ち回りは見応え充分で、思わず見入ってしまいました。
背中の唐獅子牡丹を披露した秀次郎の剣撃に惚れ惚れ。池部良が先にやられてしまうのもいつも通りでした(殴り込みの前に包丁を置いたシーンに泣かされました)。
このマンネリが、長く愛される秘訣なのかも…
秀次郎が憎き相手に放った名ゼリフ―「死んで貰うぜ」。
こめられた想いの強い分、鋭く響いたように思いました。
※修正(2022/11/28)
典型的な渡世人映画
総合60点 ( ストーリー:50点|キャスト:65点|演出:65点|ビジュアル:70点|音楽:65点 )
典型的な渡世人が出てきて、その周辺には惚れてくる女や慕ってくる弟分や面倒見の良い上司役といった典型的な人が出てくる。なんか理想的と言うか、ありがちな配役。そしてこれまた悪いやつが出てきてそれと勝負するという典型的な物語に、典型的な斬り合いでかたをつける。
要はかっこいい健さんがいて、彼の周りにいい人がいて、でも悪いやつがいてそいつらの行動にいらいらしていると、最後には大暴れで悲しいけれどすっきりという単純な話。その意味ではありきたりの勧善懲悪な時代劇と大差ない。こういう単純明快な世界に格好良さを感じる人にはいいのではないか。
クライマックスに於けるカタルシスは半端ない
花田秀次郎(高倉健)と、風間重吉(池部良)との敵同士(ライバル関係)を越えた、男の友情殴り込みシリーズ。
基本的に、シリーズ物として、浅草を舞台にしてのヤクザの利権争いや、弱いもの虐めに対して。我らが健さんが耐えに耐えて、最後に怒りを爆発させてカタルシスが発生する。
今作品がシリーズの中で若干違うのは…。
舞台が深川である。※1
秀次郎(菊次郎)と重吉は初めから師弟関係と云うか兄弟関係に近い間柄にある。
元々ヤクザ者では無く、ヤクザ稼業に身を落とした為に親から勘当を受けて居る身である。
組を背負う立場には無い…等々、細かい変更点は多いですね。
そんな中で、個人的に一番違和感を感じたのは、主人公である健さん(秀次郎)が、博打打ちであるところ。
シリーズとしての花田秀次郎とゆうキャラクターを考えると、少し違うかな?とゆう印象。
寧ろ、過去にヤクザとしての“痣”を持っている(作品中には描写されない)風間重吉のキャラクターにこそ、相応しい気がした。
そんな背景から、花田秀次郎と因縁を持つイカサマ壷振り師には、悪役専門の山本隣一が壷振り師としての意地を示す感情的な役柄を好演しており、確実に映画を面白くしている。
でも、クライマックスでの斬り合いの場面で、あっさりと右手を斬られてしまい、はいそれまで!は悲しい。
お金の工面や、怒りが爆発するきっかけとなる味方(または知人)の惨いやられ方等。本シリーズや、『日本侠客伝』シリーズお馴染みの展開が形を変えながら場面場面に応じて描写されている。
藤純子(富司純子)が着物を縫うの『は昭和残侠伝 血染の唐獅子』だし、殴り込みの前に2人が町中を歩く情緒溢れる場面に、風間重吉が刀の封印を切るのは確か『日本侠客伝』でも描かれていた。
1つ1つの場面だけを観ると、シリーズ作品・又はシリーズ以外の他の作品の中に特出した描写は在るけれども、一本の作品になった時に、この『死んで貰います』は抜群の面白さを放っている。
スケール感は他のシリーズ作品と比べると小粒だし、悪役側の描き方も他のシリーズ作品と比べると小憎らしさはやや弱い。
但しそれだけに、シリーズを通して大勢いた登場人物に対する描写を少なく抑えられた事で、プログラムピクチャーとして90分前後におさめる為の苦労は減り、秀次郎と幾江。また秀次郎と重吉とのそれぞれ恋愛描写や、お互いの信頼関係をじっくりと描ける様になっているのが大きい。
でも、長門裕之はある程度重要な役所だから、まだ良いとしても。突然無意味に画面に現れる津川雅彦の登場はちょっと…。幾ら身内だからって。
冒頭、銀杏の樹の下での藤純子との出逢いの場面。
シリーズお馴染みの「唐獅子牡丹」の歌に導かれ、風間重吉と覚悟の道行き場面。
狭い日本家屋を縦横無尽に暴れ・壊しまくり豪快に相手を斬りまくるクライマックス等々。名場面の目白押し。
「行くなとは申しません。生きて帰って下さい…」
藤純子のセリフがまた泣かせる。
これだけ書いてもあんさん「観ない!」と仰有る訳ですかい?
「死んで貰うぜ!」
※1 考えて見たら、シリーズ全作品を全て観た訳ではなかった。
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