修羅
劇場公開日:1971年2月13日
解説
「東海道四谷怪談」「菊宴月白浪」で知られる鶴屋南北の『盟三五大切』を、「薔薇の葬列」に次いで劇映画の第二目として松本俊夫が脚本・監督した。撮影は「キューバの恋人」「薔薇の葬列」の鈴木達夫がそれぞれ担当。
1971年製作/135分/日本
劇場公開日:1971年2月13日
ストーリー
塩治の浪人薩摩源五兵衛は、主君仇討に参加しようと、敵の眼をあざむくため酒色におぼれているように見せかけていたが、芸者小万に対する執心はそれ以上のものがあった。小万もまた腕に「五大力」をほる程に源五兵衛を慕っているかのように見えた。源五兵衛の苦悩は、仇討ちに加わるための御用金として必要な百両が調達できないことにあったが、このことを我がことのように感じている忠僕八右衛門が、四苦八苦の末ようやく金の工面をして戻って来た。源五兵衛は、自分のふしだらを恥じ、改めて義士連判に加わる決意を新たにした。だが折も折、高野の侍賎ケ谷伴右衛門から、百両で小万身請けの話が持ち上っていることを三五郎から聞くと、矢も楯もたまらず、八右衛門が工面した百両を投げだし、小万を身請けしてしまった。しかし身請けした以上我が物になると信じていた源五兵衛は、小万にはれっきとした三五郎という亭主と子供まであり、自分が仕組まれた芝居にだまされたことを知ると復讐の鬼と化し、芝居を仕組んだ三五郎の手下を斬殺した。一方、辛うじて逃げのびた小万と三五郎は、乳のみ児をかかえ四谷の長屋に身を秘めた。そして三五郎は、父徳右衛門の主筋に当る人のために調達したその金百両を届けに、徳右衛門を訪ねた。その間、三五郎のすまいをつきとめた源五兵衛は、小万の「五大力」の彫りものが「三五大切」に変っているのを見ると、乳のみ児と小万を殺してしまった。その頃、百両を手にした三五郎と、徳右衛門は一刻も早く主人船倉宗右衛門に渡そうと、近くにある庵室を訪ねた。庵室では源五兵衛が、うち落してきた小万の首を机の上に置いて、酒を飲んでいる。源五兵衛こそは船倉宗右衛門の世をしのぶ仮の名だったのだ。顔を合わせた源五兵衛と三五郎の気の転倒するほどの驚ろきはいうまでもなく、二人はこれまでの出来事が何を物語っているのか一挙に知った。三五郎は自決し、嗚咽にむせぶ徳右衛門をひとり残し、源五兵衛はいずこへともなく去った。数カ月後、塩治の浪人は討ち入を決行したが、もちろん船倉宗右衛門の名を義士の列名から見出すことはできなかった。