銃殺(1964・日本)
劇場公開日:1964年6月20日
解説
立野信之の「叛乱」を「雲切獄門帳」の高岩肇が脚色「パレンバン奇襲作戦」の小林恒夫が監督した二・二六事件秘話。撮影は「暴力団」の仲沢半次郎。
1964年製作/96分/日本
配給:東映
劇場公開日:1964年6月20日
ストーリー
昭和六年。満州事変勃発以来、軍閥は次第に勢力を強め、政治の実権を握っていった。しかし政界、財界には醜悪な疑獄事件が相ついで起り、世相は混乱していた。祖国の将来を憂える、安東大尉以下青年将校達は、指導者矢崎大将を中心に一挙革新の機を伺っていた。これを察知した、永井軍務局長等反対派は、矢崎大将を罷免し、同時に大将の崇拝者、相川中佐をも追いやろうとしたが、却って相川派のために、永井は暗殺された。革新派、指揮官の立場にある安東は、自分達の行動が、事実上天皇の軍隊と対決しなければならないことを憂い、そのために部下を不名誉な叛乱軍の名の下にさらさねばならぬことを恐れて断行に苦しんだ。しかし、そんなこととは知らぬ青年将校達は、安東の柔弱さをなじるのだった。そんな時、部下の塚本一等兵が、家族の貧苦を知り、いたたまれずに脱走し、数日後親子心中を計った。この事件を知った安東は、今の政治では、このような悲劇はあとを絶たないことを悟り、直接行動にうったえることを決意した。二月二六日早朝、降りしきる雪の中を安東隊は侍従長官邸を襲い、岡部総理、高垣蔵相、斎田内大臣、渡見教育総監を殺害し、さらに警視庁をも占領した。しかし天皇は、重臣達を殺害したことから彼等を叛乱軍と呼び、矢崎大将をはじめとする、幹部達は安東隊を裏切り責任を、安東に押しつけ、鎮圧軍をおくった。安東隊は山手ホテルにたてこもったが、部下の命を案じた安東は単身鎮圧軍の前にとび出し、部下の救命を願った。しかし望みは果せず、一同は一網打尽となり、陸軍衛戌刑務所へ送られ全員銃殺となった。