死の棘のレビュー・感想・評価
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本作には結末はありません 結末は本作を観たあなたが現実の夫婦生活の中でこれから作っていくのです
1990年4月公開
「泥の河」のように白黒作品ではなくカラーです
死の棘とは?
針のむしろのことです
いたたまれないほどにきつくなじなれます
修羅場が延々とつづきます
地獄というのはいまお前さんが落ち込んでいるところなんだ!
この地獄から逃れる為に、奇声を突然上げて衝動的に自殺しようとするほどに
ついには一時的にうつ状態になってしまうのです
これは夫の不倫で精神に異常を来たした妻のミホのことではありません
十年も続いた夫の裏切りに、彼女の胸には汲めども尽きぬ怒りがいつまでも湧きでて止まらないのです
こうして夫の不実をなじり続ける妻の執拗な攻撃に耐えきれなくなった夫のなれの果てなのです
これ実話です
原作者の島尾敏雄の実話ベースの小説を映画化したものです
舞台は東京江戸川区の小岩辺り
時代は1954年、昭和29年頃です
時折フラッシュバックされるのは、1944年昭和19年頃の敏雄が特攻隊の隊長として赴任していた奄美群島の加計呂麻島での思い出です
短い回想シーンで壕から一人で引き出す緑色のモーターボートは震洋という海軍版の特攻兵器です
いまその近くが島尾敏雄文学碑公園になっているそうです
この島は映画ファンならよくご存知のはず
寅さんシリーズ第48作「男はつらいよ 寅次郎紅の花」の舞台です
ほら、あのリリーさんの家があった島です
その映画は1995年12月公開ですから、本作の5年後のことです
もしかしたら、本作のことが山田洋次監督の頭にあったのかもしれません
しかし、その映画では島尾敏雄のことは一切触れられていません
敏雄の勤めている学校は、文京区の都立向丘高等学校定時制です
終盤の精神病院は千葉県市川市の国府台(こうのだい)病院
ミホとの島での馴れ初めや、敏雄が出版社に持ち込む小説の内容のことには映画ではほんのすこし映像にでますが説明はなされません
原作を読んだ人が分かればよいこととされているのみです
本作では、ミホが精神に異常を来した原因はあくまでも敏雄の十年に及ぶ不倫であることに焦点をあてています
あまりに救いのないまま物語は精神病院での治療のシーンで唐突に終わります
すねに傷のある方、まさにこれからそうなりつつある方には本作の死の棘がグサグサと刺さったことだと思います
不倫したことがなくても、妻を放置している人は沢山あると思います
長い単身赴任生活で、連絡するのも億劫になり用事ができて数ヶ月ぶりに連絡したら「あなた、生きていたの?」なんて言われたことのある自分はまさに本作の予備軍でした
死の棘のすぐ近くまで行っていたのだと思います
修復には長い長い時間がかかりました
本作には結末はありません
結末は本作を観たあなたが現実の夫婦生活の中でこれから作っていくのです
二人の家のボロボロの塀が、新しい板塀に変わるシーンを挿入する演出はそういう意図であったと思います
それが本作のメッセージだったと思います
数々の映画賞を受賞して当然の作品であると思います
小栗康平監督の実力の凄さ
松坂慶子、岸部一徳の表現力の凄さ
ノックアウトされることと思います
特攻隊でした
2022年12月4日
映画 #死の棘 (1990年)鑑賞
#島尾敏雄 の自伝的小説を #小栗康平 監督が映画化。夫の浮気をきっかけに妻の精神が錯乱
#松坂慶子 の体当たりの演技が注目されたようです
子どもにしてみりゃ迷惑な話でしかない夫婦の問題
終戦から10年後の東京。夫の浮気が発覚し、妻の精神が破綻する。心の...
終戦から10年後の東京。夫の浮気が発覚し、妻の精神が破綻する。心の底から改心を誓ったのに、妻はしつこく夫を責め立て、地獄のような状態に。二人は戦時中に出会い、死を覚悟しながら愛を誓った。そんな棘だらけの責苦も純粋な愛ゆえで、幸せの表現かもしれない。小栗康平監督の傑作。
怒りの 矛先
妻、島尾ミホの精神疾患の記録でもある 夫 敏雄の小説を映画化
愛人の発覚により、壊れてしまった妻を 松坂慶子が好演している
島民の娘が (島民を犠牲にする)特攻隊長である敏雄と 大恋愛の末、結婚したのに 戦後ぬけぬけと浮気!
妻 ミホの病気を 赤裸々に書き、世間に公表してしまう
それで 家族は口糊をしのぎ、又 夫が評価されていく、ということ
そして 彼女もまた、文筆の才があるということ
何重の意味でも 自分が犠牲者になっていることに、体の奥から ふつふつと 沸き上がる怒り!
ありとあらゆるものに 腹がたつのは、よく判る
映画は 時に、この葛藤をコミカルにも見せて笑いを誘う(ところに 救いがある)
才能のある妻の 夫への叱責とツッコミは 的確である
愛人が見舞金を持って、島尾宅を訪れる辺りの嫌らしさ(敵情視察)と偽善
夫の 妻にとことん付き合うことを決めた、計算(小説家としての)と偽善と被害者面
愛は何処へいったのか?
鋭すぎる妻の自問自答は 怒りを呼び起こし、正気を失わせる
彼の小説が いつの間にか、「深い夫婦愛の物語」に置き換えられて、世間で美談になっていることも、
彼女の心を傷つけたに違いない
これは 今 巷で言われている「歴史の改ざん」だよね
それでも 妻と夫の 激しい精神的葛藤の物語は、
珍しく 興味深く見た
部屋から見える 竹垣はグシャグシャで、空はいつも 曇天
外の風景も 奇妙な不安定さを見せ、妻(と夫?)の 心象風景を現している
この 原作を映画化した監督の着眼と、表現に感心するが 妻の怒りの激しさに、心を奪われる
敏雄氏の死後、喪服で暮らした 妻の心中や いかに?
不倫の恐怖を知れ
主人公は愛人に別れを告げる時にはトラブルにもならず終えたようだ。しかし奥さんのほうが不倫された嫉妬から精神に異常をきたした行為、自傷や夫への強烈な罵声などをし続ける。主人公はどれだけ奥さんが罵詈雑言を与えたり異常な行為をしても、主人公は奥さんと別れようとしない。
奥さんが問い詰めないと最初は主人公は噓をつく。問い詰めてから本当に近づける。これは不倫したような人達の共通点だと思われる。松坂慶子の怖さも凄いが、岸部一徳の耐えるというのか、風情も不気味でさえある。途中で主人公のほうも、謝ったのにこれ以上どうするんだ。と怒鳴り返すが、今そうやって落ち込んでいる状態が地獄というのだ。なにを寝ぼけているんだというように奥さんが返す。それでも主人公も耐えきれなくなって線路にのぼろうとすると奥さんは、死なないで私が悪かったと涙するが、その後も奥さんの怒りや狂気はぶり返してしまう。帰り道、主人公が泣き叫びながら歩く横で奥さんが泣かなくていいのよ。と慰める。ここら辺が、愛人と別れられて、奥さんと別れない分岐点なのか?そして二人の幼い兄妹は一体どうこの両親をみていたのだろうか。
夫婦間の平和が訪れたかと思うと、駅のホームで愛人をみかけたと絶叫してしまう奥さん。どうして愛した人を捨てられるんですか。と問う奥さんに対して、主人も怒りだす。夫婦で上半身裸状態になって向かい合ったところ、主人公が縊死をしようとするのを奥さんが必死で止めるシーンは迫力がある。(こういうヌードシーンは複雑な見せ方である)ところが奥さんが腹痛で倒れると縊死しようとした主人公はそれを辞めて、どうしたと心配する。狂気の連続である。松坂慶子の38歳の時の映画だと思うが、肉体女優だったわけでは無く、地味な女も演じられるし表情も上手い。元愛人が夫婦の所に用事で会いに来てしまい、狂ってしまった奥さんが主人公の前で元愛人に掴みかかるシーンは、不倫はこんなに危険な事が起きるという恐怖映画さながらのシーンであり、教育映画ではないだろうか。
夫婦の深淵、毒々しく
「おまえ、どうしても死ぬつもり?」
「おまえなどといってもらいたくありません。」
「それなら、名前をよびますか?」
「あなたはどこまで恥知らずなのでしょう。あなたさま、と言いなさい。」松坂慶子扮する妻ミホは、浮気をした夫(岸部一徳)にこう言い放つ。横並びにすわり、感情を閉じ込めて、しかし言っていることはまさしく相手の心に棘を刺す。冒頭シーンからこのような異様な夫婦の会話ではじまり、浮気という罪が夫婦の間に死の棘を打ちこんでしまったという話。妻は次第に神経を病んでいき、夫が見張っていないと突拍子もない行動をおこしてしまう。全編通して、夫婦の会話や行動が狂気じみていたり、時として滑稽に映ったり、二人の幼子を巻き込みころころと事象が変わりながら、一体この夫婦はどうしたいのだろう…。と観る者の心を捉え縛り付ける。一言で言うなら宙釣りにされっぱなし。
松坂慶子はノーメイクすっぴん顔で妻役を体当たり。特攻帰りの夫で妻に負けじと従順なのか開き直りなのか、同様に神経を病んできたのかわからなくなる役を岸部一徳がこちらも熱演。そして、愛人役は一見、知性理性がありそうなのに?という木内みどり。
こんな夫婦・家族の有り方は初めてだった。凄い作品に出会ってしまった。というのが、率直な感想。この監督作品、他のも鑑賞したくなった。
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