秋刀魚の味(1962)のレビュー・感想・評価
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ラストの「独りぼっちかぁ」が印象的。トリスバーでの元軍艦の乗組員が...
ラストの「独りぼっちかぁ」が印象的。トリスバーでの元軍艦の乗組員が軍艦マーチで敬礼しながら、行進する姿もキュートで良かった(*´∀`)
打ちぱなしのゴルフ練習場のシーンで長男のゴルフスィングに惚れ惚れした。後エプロン姿の長男に萌え~(*^^*)
●古き良き昭和。
スーツ姿の笠智衆は初めてだ。
高度成長期突入段階の日本。
女性が普通にお茶汲みしてたり、冷蔵庫買おうか迷ったり。
ゴルフクラブやハンドバックに憧れたり。
一方で、戦争の会話も。
「なんで負けたんですかね」「負けてよかったんだろう」
東京物語でも、こういう1コマがあったな。
バーで軍艦マーチをかけてもらう。
ご機嫌に踊り出す。
曲に合わせて敬礼する。
教育ってのは怖いもんで、戦後世代はなんとなく軍歌に抵抗を感じる。
でも彼らにとっては、青春真っ只中の盛りの流行歌なんだろうと実感させられる。
別に軍歌そのものが悪いワケじゃない。
同じように、適齢期が来たら女性は結婚を、とか、
日本人みんながほとんど同じ価値観で生きていた時代。
そうやって見合いでスッパリ嫁に行ったり、
娘がいなくなったらなったで、男たちは生きて行く。
人間がその寿命の中で、それぞれのタイミングを理解して
自然の摂理に抗うことなく生きた時代。
時に窮屈さもあっただろうが、人はリミット決めないと
ダメだなあと感じさせられた。
昔の池上線とかトリスバーとか、トマトを借りる団地の付き合いとか。5...
昔の池上線とかトリスバーとか、トマトを借りる団地の付き合いとか。50年経つと世界って変わりますね。
娘が嫁に行く頃になったらもう一度観たいと思います。
秋日和と日をあけず観たせいか前半は笠智衆と佐分利信の設定が違うだけ...
秋日和と日をあけず観たせいか前半は笠智衆と佐分利信の設定が違うだけの同じ映画のように似た空間でストーリーがゆっくり進んでいく。何気ない日常の積み重ねを描きながら人生の深さを感じる風情ある映画だった。小津作品にはいつも人間の孤独を感じる。
軍艦マーチのシークエンス
元駆逐艦の艦長である笠智衆が、当時の乗組員だった加東大介とバーへ行くシークエンス。この部分は映画の本筋とは直接関係のない話であるのに、わざわざ挿入されたのはなぜだろう。
軍艦マーチに合わせて敬礼をする加東に応えて、笠とバーのマダムの岸田今日子が掌を顔にかざす。この時の岸田の表情のなんと可愛らしいことか。控えめに微笑みながら頭を左右に揺らす彼女からは、後年のおどろおどろしい役柄にぴたりとはまる女優を想像することはできない。
そして、敬礼をしながら行進を始める加東のコミカルな姿は、どこまでが冗談で、どれくらい真面目なのか見当がつかない。この人の芝居にどこまで本気で付き合えばいいのか分からない状況を観客はしばし楽しむことができる。こうした演技はこの人をおいて他に出来ないだろう。主役の笠ももちろんだが、加東もオンリー・ワンの俳優だ。
考えてみれば、他にも代替えのきかない俳優が何人も出ている。中村伸郎だって、あの冷めた毒舌と下ネタで友情を温め合う芝居など他にできるものがいるだろうか。杉村春子だって、あの行かず後家の品格を保ったやさぐれ感を他のどの女優が出せるというのか。
しかし、このシークエンスで重要なのは加東や岸田の魅力ではない。彼らの仕事の素晴らしい出来映えとは本来関係のないところにこのシークエンスの意味がある。
笠と加東が「もしも戦争に勝っていたら」という話をする。もし日本がアメリカとの戦争に勝っていたら、今頃はニュー・ヨークにいるかも知れないと夢想する加東に対して、負けてよかったのではないかと応じる笠の会話。
下らない連中が威張り散らすことがなくなっただけ、戦争に負けて良かったのではないか。
これがこの二人の結論であった。
戦争を経験してきた者たちのこれが感想なのだろう。家が焼けた、食べ物に不自由をした。そんなことよりも、バカが大威張りだったことのほうが嫌な思い出だったのである。
だからこそ、お道化て軍艦マーチのリズムに乗ることができるのだ。あれを偉そうに押し付けた者たちを茶化すことで、嫌な思い出を笑い飛ばしたいのだ。
遺作となった小津安二郎監督はどうしてこのような戦争への回顧を映画に差し挟んだのだろうか。きっと鉄筋コンクリートの団地で核家族という物語を始めた人々に、憶えておいてほしかったのだろう。
それにしても、ゴルフの練習をする佐多啓二のフォームはきれいだった。実生活でもかなりやり込んでいたんだろう。
ゆっくりと時は流れて
日本で繰り返し描かれてきたテーマ。
娘の嫁入りに憔悴する父と、その家族について。
定番中の定番だからこそ、ごまかしはきかない。
ドキュメントに近いような、飾りたてない演技。
ゆっくりと時は流れていく。
少し色あせた灰色の映像に、赤や黄色の差し色が効いている。
なんとも、美しい・・・
この時代に自分も生きている様に感じる、リアルな世界観。
だから一度観だすと、深く引き込まれてしまう。
ニッポン・ノスタルジーに支配される、心地良さに身を任せてみては?
古き良き映画、でも自分好みではないかも
総合:60点
ストーリー: 65
キャスト: 65
演出: 55
ビジュアル: 65
音楽: 65
人々のありきたりの日常と彼らの抱えるささやかな問題を、しっかりと話としてまとめて映画化するという点において、本作は独自の位置を確保している。やたらと派手な出来事や目を引く映像がなければ映画化にならないことが多いであろう娯楽産業において、この位置づけは興味深い。その中で、恩師とその娘の人生の「失敗例」としての描き方はなんとも厳しい。
しかしこのころの映画の特徴なのか小津安二郎監督の特徴なのか知らないが、科白は互いに重なることもなく交互に順番で行儀よく喋られる。映画の中の会話というよりも舞台演劇の科白回しのようだ。しかも淡々と棒読みをするだけである。現代の映画を見慣れていると、それがいかにも演技という感じを受けてあまり自然な演出には思えない。セットもたいしたことはない。
この不自然な演出も含めて、なんとなく良さはわかりつつも、それほど好きな作品とも言い難い。やはり昔の映画だなと感じるし、のんびりしたなかなか進まない話にもちょっと退屈を覚えることもある。世間の評価も高いし古き良き映画なのだろうが、もしかすると自分の世代の好みではないのではないかと思う。いやでも若い世代もこの映画を支持しているようだから、ただ単に自分の趣味にぴったりとは合わなかったということか。
あっ、わかってる、わかってる、しっかりおやり。幸せにな
映画「秋刀魚の味」(小津安二郎監督)から。
今更、私がわざわざ書かなくても・・と思うくらい、
驚くほどの人たちが、この作品の感想をネット上に書いている。
そしてまた、全編を通して、一度も登場しないのに、
タイトルが「秋刀魚の味」だから、その推測も多くの人が・・。(笑)
一度、「秋刀魚の味」で検索して欲しい、本当にビックリするから。
さて、私は私の方法で・・とメモした台詞を振り返って眺めていたら、
ひとつ気付いたことがある。
1回の台詞が非常に短く、NGを出すような長い台詞は無いに等しい。
それが、ひとつのリズムとなって、画面の切り替えに繋がっている。
日常生活の家族の会話って、こんなもんだよなぁ、と感じた。
最近、1人の台詞が長くて、走り書きでメモをするのに苦労するが、
この作品は、そんなことは1度もなかった。
だから今回の「気になる一言」は、あえて長い台詞を選んでみた。
岩下志麻さん扮する娘が、結婚式を前に、父親役の笠智衆さんに、
お決まりの挨拶をするシーン。
「おとうさん・・」と口にした途端、その後の彼女の台詞を遮って
「あっ、わかってる、わかってる、しっかりおやり。幸せにな」。
これが、娘を嫁にやる父親の気持ちであり、
「長い間、お世話になりました」というフレーズは耳にしたくない、
父親の本音が伝わってきた。
ニュースになるようなことは何も起こらない、
どこにでもある日常生活なのに、こんな温かい胸を打つ作品になるのは
「魔法」を使っているとしか、言いようがない。
そう「オズの魔法使い」ではなく「小津は魔法使い」です。
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