「これぞ小津作品の完成形ではないでしょうか」秋刀魚の味(1962) あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
これぞ小津作品の完成形ではないでしょうか
秋刀魚は登場しません
そのほろ苦い味をタイトルにしています
1949年 晩春
1951年 麦秋
1962年 秋刀魚の味
この三作品はテーマが同じです
特に本作は晩春の実質的なセルフリメイクと言って良いと思います
ヒロインが原節子ではなく岩下志麻なのは、流石に年月が流れて彼女の年齢では最早無理との判断と思われます
男やもめの初老の男が娘を嫁に出すという物語なのですから
よって本作のヒロインの名前は路子で紀子ではありません
紀子は原節子の為の永久欠番のような名前なのだと思います
岩下志麻は美しく気品もあり適役ではありました
しかしやはりその姿の向こうに原節子の面影を見ているのは観客だけでなく小津監督もその面影を追っていたように思います
主人公の周平の会社は京浜工業地帯の横浜寄りのようですし、彼の言動から家はどうも川崎辺りの雰囲気です
ヒョウタンのラーメン屋、そこで出会う加東大介の演じる海軍時代の部下が連れていくトリスバーはおそらく蒲田であろうと思われます
長男の光一の住む団地は池上線の石川台駅の近く
あの辺りに公営団地は無いので、社宅という設定なのだと思います
ところが路子は石川台駅で三浦と一緒に石川台駅の五反田方面のホームに立っています
本来なら反対側の蒲田方面のホームに別れて蒲田から京浜線で川崎の家に帰るべきところです
なかなか手の込んだ演出の仕掛けだと思います
同級生があつまる料理屋の若松はネオンの位置から見て銀座6丁目と7丁目の間辺りのようです
ラジオのナイター中継は大洋阪神戦
調べて見るとその年は阪神優勝で大洋は2位の結果でした
杉村春子の演じるヒョウタンの娘
アラフィフで独身のままの無惨さを圧倒に雄弁に演技で語って見せます
晩春における、父親が娘に嫁に行けと雄弁に語るシーンを本作ではその杉村春子のシーンで置き換えているのだと思います
本作の方がよりスマートに雄弁に語っていると思います
のんびりして真剣に取り組まなかったが為に路子の縁談相手が他に取られたと言われて周平が焦るシーンも見事な伏線回収で鮮やかな決まり方でした
軍艦マーチが何度かかかります
それは過去を懐かしむ、過去の思い出にしがみつく心情の記号として扱われています
加東大介が演じる自動車修理工場の社長は周平を案内したトリスバーで海軍時代を盛んに懐かしむのですが、周平は全く関心を示しません
周平もヒョウタンも現在をただ懸命に生きていて過去を振り返って懐かしんだりしていないのです
しかしラストシーンで酔いつぶれた周平は軍艦マーチを口ずさんだのです
過去の方に心が向かってしまった心情を見事に表現した演出です
もちろん娘の路子の面影を反芻しているのです
海軍の思い出なのではありません
自分が若い時の思い出
妻がまだ生きており、まだ小さかった頃の娘の思い出に耽っているのです
しかし彼は泣きはしません
秋刀魚の味のようにほろ苦い思いが胸中に詰まっています
秋刀魚の味は美味しいのです
酒に合うのです
こんな美味しい酒は無いのです
秋刀魚の味を快く噛みしめているのです
晩春での再婚の嘘の設定を、死別した妻にトリスバーのママの面影が似ていたという話で置き換えてよりスマートに処理されています
また娘のエディプスコンプレックスという別の要素を入れ込むこともなく、焦点を絞りめてもいます
本作は大変にスマートに何度もトライしてきた主題を本当に最後の最後で完成させたのだという実感を感じます
これぞ小津作品の完成形ではないでしょうか