「タイトルの意味が、監督のメッセージ」3-4x10月 あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
タイトルの意味が、監督のメッセージ
音楽が皆無
ほぼ素人の俳優
外形的な特徴だ
ストーリーには明らかに重きはおいていない
やりたいことは別にある
従来の映画とか舞台でありがちな演技らしい演技でない、北野武が考える本当の演技の映画を撮りたい
感情の表出をセリフや表情を訓練されてきたありきたりなものでないもの
そんなものに頼らせない
仕草、姿勢、歩き方だけで表現させたい
だからたけし軍団を使ったのだと思う
自分の手の内の人間を使って何度でもトライ&エラーを繰り返しし易い
それをやっても役者の反発もない
何より四六時中話し合い、監督が求めるものを相手に理解してもらえるからだろう
そこに集中したいから、だから敢えて音楽は一切つかわない
それをカメラでどう写つせば伝わるのか
構図の取り方、独特のカット割、編集はどうあるべきなのか
それを実践してみた
脚本はまたそれらをどう表現されるべきなのか
しないべきなのか
処女作は他人の脚本を自分なりの解釈で撮りはしたが、とにかく映画として完成させることが優先した
100%フリーな中で、自分の表現方法はどうあるべきか、どのようにすればそれが実現されるのか
つまり監督としての表現方法の実験作品にみえる
3対4x で劇中の草野球は主人公のチームが負ける
主人公が前の走者を抜いてしまいアウト、ゲームセットになったからだ
つまり北野武監督が並み居る業界に長くいる先輩監督を差し置いて、傑作の前作を撮ってしまったことを意味していると思う
しかも映画の素人が、映画業界の慣行やルールや定石、そんなものを無視して
主人公か冒頭で打席に代打で入ることを得たのは、レギュラーメンバーがトイレに行ってたまたま打席に立てなかったからだ
これは前作の「その男、凶暴につき」を監督することになったいきさつを表現している
本作公開予定の10月
その時に、その処女作の傑作がまぐれなのかどうなのか
本作を見て判断してくれ
これが監督のメッセージなのだと思う
俺の撮り方、映画に対する考え方はこうだ
そこを評価してくれるなら、映画をもっと撮ってもいい
これはそのショーケースだ
色々な要素を入れてあるのはそういうことだよ
こんなような映画ならどんどん撮れるよ
そんな監督の声がするように思えた
だから、ラストシーンは冒頭に戻るのだ
主人公は再度打席にたって長打をかっ飛ばすのだろうか?
果たして映画業界は、観客は、北野武という監督を打席に立たせてくれるのか?
ロングに引いたカメラは主人公かどうかは分からないが、誰かが長打を打って塁を回っている様子が伺えるのだ
強烈な自負だ
結果はその後の映画の歴史が証明している