座頭市と用心棒のレビュー・感想・評価
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1970年封切
内容は、タイトルのまま、二大娯楽作キャラクターをフツーに知る人(つまりコアでゲージツ的な批評家ファンは除く)が想像する通りの展開です。
寧ろ夫々の特徴がクドく描かれていて食傷するほどの雰囲気、見終わってこれがたった79分ものと知って驚きました。21世紀の‘洗練された’?我々日本人が鑑賞すると、濃いというかしつこいというか‥
でも無法村が舞台の如くいかにも粗っぽい作り、訳がわからん呑みっぱなしの用心棒の先生、それ以上に突然キレたりスベったり、かつそのアンマ術が全然気持ち良くなさそうな座頭市、明らかに厚白塗りに見えて怪しい追加浪人‥ 不思議な背景・設定・わざとらしいのに先が読めない展開というちょっと“サイケデリック(死語)”な味の映画でした。
これ、様々な意味でタイトルに書いた“1970”を表象した商業的流行娯楽映像・大時代スター出演物語ではないかとハタと思いつきました。つまり、コアでゲージツ的に解釈すると、
「“前期昭和的文化価値が消えつつあるなか、戦後の荒廃から嵐のような乱雑な復興を遂げた社会で、戦後的大衆+ウェスタンでサイケ(再び死語)な文化価値の乱流+不況や近づく孤独社会の影”を、黄金(実は作中でもあまり意味ない)と人と欲の対立を主軸に当代のスターとなった二大キャラクターの共演ならぬ競演でやっとこさ娯楽作に仕立て上げた時代劇っぽい物語」かなと。1970年て、私はほぼ知りませんがそんな世相ではなかったかと。
うーん自分で書いていてだんだん訳がわからなくなってきましたスミマソン。まあなんか丁寧作ってなくて荒れた印象なんですが、勝新と世界のミフネを岡本喜八が監督したら(当世的に)もの凄い娯楽チャンバラになりました(→座頭市シリーズ最大ヒット)、21世紀の今日はじめて見た私も異存ございません、ということです。
食い合わせ?消化不良?! 贅沢過ぎ、盛り込み過ぎの食あたり気味超大作
西部劇に翻案された『荒野の用心棒』(1964)が国際的に大ヒットしたほか、世界中の映像作家や作品に影響を与えた日本映画のマスターピース『用心棒』(1961)。主演は言わずもがなの世界のミフネこと三船敏郎。
かたやカツシンこと勝新太郎主演の代表作『座頭市』シリーズ。こちらの世界的認知度も『用心棒』に負けず劣らずで、特に発展途上の抑圧的政治体制下の民衆からは熱烈に支持された。
本作はカツシンの念願かない、東宝からミフネを借り受けるかたちでピカレスク・ヒーロー同士の対決が実現した勝プロ製作の時代劇超大作。『座頭市』シリーズ中、最高の興行成績をうち立てた作品。
久しぶりに頭を剃り上げたことも含め、原点回帰なのか、シリーズが進むにつれ健常者のように動き回れた市は本作では階段の上り下りにも四苦八苦。しかし居合(抜刀術)の腕は相変わらずで、序盤に愛刀を折るものの、にせ座頭(実は隠密)から引き継いだ特製の仕込み杖も難なく使いこなす。
その一方で、女子供に優しく義理人情に流され易い前作までの設定は薄まり、デカダンで個人主義の人物像に描かれ、無声映画の悪役みたいなメイクまで施されている。
三船演じる用心棒・佐々(多分、酒の女房詞「ささ」と掛けている)も黒澤作品のような堂々たる風格はなく、序盤は金に意地汚い吞んだくれの素浪人として登場。
「どうせ凄腕なんでしょ」という期待をよそに、なかなか本領を発揮しない。
主役二人の夢の競演だけで充分豪華なこの作品、彼ら以外に当時の名優が贅沢なまでに散りばめられていることにも注目。
村落のかつての長老・兵六役は元祖チャンバラ俳優のひとり嵐勘寿郎。年齢に関係なくアラカンと呼ばれていた。
新劇出身俳優きっての演技派・滝沢修が演じる烏帽子屋弥助の息子でやくざの親分政五郎役は彼の愛弟子、米倉斉加年。
後年、とぼけた人情味ある役柄が多くなる彼が、本作では眉を落としてこわもての悪役を熱演している。
本作のヒロイン、というより紅一点の梅乃役は大映のスター女優若尾文子。
怪しげな殺し屋九頭竜(正体は隠密・跡部九内)を演じたのは怪しい役が圧倒的に多かった岸田森。岡本喜八監督作品の常連で、TVシリーズ『怪奇大作戦』(1968~)など代表作も多いが、1982年に43歳の若さで他界。もっと活躍して欲しかった個性派俳優。
岸田の盟友で吞み友達の草野大悟はヒゲがトレードマークで時代劇、現代ドラマ双方で活躍した名バイプレーヤー。本作でも番太の藤三をコミカルに好演しているが、この人も51歳で早死にした惜しまれる才能。
二人とも酒飲み過ぎだよ…。
八州廻り同心脇屋陣三郎役の神山繁はTVの『ザ・ガードマン』(1965~)の出演で人気を博したが、今回は悪役。
というか、出てくる奴らみんなワルかワルワルばかり。
父の弥助を手に掛ける彼の愛息子三右衛門を演じた細川俊之はTV・映画・舞台に加え、低音の美声を活かして歌手や声優としても活躍。彼にも、もうちょっと長生きして欲しかった(70歳没)。
作品中、例外的に善人なのが約二名。
市を「先生」と慕い、体を張って梅乃を守ろうとする若いチンピラ余吾役は寺田農。彼も『肉弾』(1968)ほか岡本作品の常連で、硬軟演じ分けた実力派俳優。
鍛冶屋の留吉を演じたのは個性派の脇役、常田冨士男。のちにTVアニメ『まんが日本昔ばなし』(1975~)で市原悦子とともに永らく声を担当した人。
村を牛耳る二つの勢力をよそ者がまとめて片づけるというプロットは『用心棒』とほぼ同じ。
クライマックスでの座頭市と用心棒の対決が引き分けに終わるのには拍子抜けするが、予想できたというか、やむを得ない大人の事情。
大映と東宝、どちらの顔も立てないといけないしね。
脚本(脚色)も兼ねた東宝出身の岡本喜八監督は、『座頭市』の原作やシリーズ一作目に配慮しながら(佐々が酒乱気味なのは、平手造酒を意識しているから)、黒澤大先輩から預かった『用心棒』にも目配りしつつ、当時ブームだったマカロニ・ウエスタンの影響も反映した、少々盛り込み過ぎの映画に仕上げているが、幅広い作風で知られる監督のサービス精神が今回は裏目に出たのか、作品の輪郭も焦点もぼやけた印象。ほぼ皆殺しなのに、『用心棒』『座頭市』シリーズ、両者に感じた剣戟の凄味が見当たらない。
東宝からの三船貸し出しの条件が岡本監督との抱き合わせ、なんてことはなかったとは思うが、ともに『座頭市』シリーズにも深く関わり、TVシリーズ『必殺仕掛人』(1972~)でもシャープで乾いた演出を見せた三隅研二や、所属会社の枠を越えて黒澤明監督と交友があった森一生ら、大映組の監督がメガホンを執っていたらと想像すると、ちょっと残念。
BS日テレにて視聴。
これみようがしに差別用語を使う。今の人達はそれを知らない。無知の知だ。
『俺はもう飽き飽きした。ヘドがてる。あとは任せた』用心棒の言葉だが、見ているこっちが言いたい。
人物設定がこの演出家のオリジナルでは無い。
座頭市としては短編になる。7分くらいの映画。鑑賞者を暴騰している。
誇大広告と言える。
役者を食わせる為には仕方ないが、嘘でもかたをつけなければならない。何を忖度しているのだ。
次の演出家の為にかたは次回のお楽しみなのだろうが、もう、二人ともこの世にはいない。
いゃ、演出家さえいない。もっとも、この演出家も過大評価されていると想うが。
日本の演出家は徒弟制度の様なものはあったが、会社組織だったので、先ずは学歴って言う事が邪魔をしている。つまり、職人の様な演出家は多いが、真の芸術家がいない。
ある程度歳を重ねた方は、差別用語を使う事に嫌悪感を持つべきだと思う。
レビュー書くからには気を付けている。
二大スターの激突、バケモノ対ケダモノ!
政五郎と烏帽子屋弥助との対立構造は、実は親子の対立でもあった。一方はヤクザ、他方は生糸問屋を営む一見堅気の老人であるが、実はもう一人の息子(細川俊之)が小判を作る大蔵省?で目方をごまかし、6万両分の金を得ていて、それを父である弥助の元へ少しずつ届けていたのだ。
悪い奴ばかり。市が里を訪れたのは、地獄のような毎日から安らぎを求め、そよ風、せせらぎ、梅の匂いを懐かしんだためだった。ところがどっこい、3年の間に静かな里は生糸問屋と息子のヤクザが住みついてしまった。市にとっても手を引いてくれた想い出のある梅乃(若尾)も借金を背負い、誰とでも寝る女にすっかり変わってしまった。その梅乃に惚れている小仏側の用心棒佐々(三船)。最初から市とにらみ合うかと思いきや、ちょいと手合せしただけで、中盤からは金のありかを探るために手を組んでしまうのだ。
もう一人の凄腕の殺し屋、九頭竜(岸田森)もやってくるが、実は彼は金の不正をただす隠密だった。誰が“悪”なんだ?と考えるにつけ、結局、目の前にある金によって、人は変わってしまうということだ。この九頭竜にしてもそうだし、生糸問屋側は皆そう。米倉斉加年なんてのはヤクザの親分といった威厳もなかったし、単なる親の金をせしめたかった道楽息子にしかすぎないようにもとれる。市と用心棒との対立構図は一見、金に目がくらむといった雰囲気ではなかったが、最後にそれを皮肉った場面もあった。
最初に仕込み刀を折ってしまった市であるが、鍛冶屋(常田富士男)が直してくれたのか?ちょっとわからなかった。また、二大スターであることの配慮のためか、決闘してお互い傷だらけになるものの、二人は死なない。若尾文子だって生きていた。この、みんな金によって悪党になっていくシニカルな設定はいいんだけど、ちょっと残念・・・
勝が構えた!三船が抜いた!スター頂上決戦!!
座頭市シリーズ第20作。
DVDで2回目の鑑賞。
勝新太郎と三船敏郎…二大スター豪華共演! ただ一緒に出ているわけじゃない。両者の当たり役―座頭市と用心棒の共演だから堪らん。バケモノ・ケダモノと呼び合うのも面白い。
ふたりがそれぞれの扮装で並び立つだけで画面が引き締まるようで、夢の共演に心踊りました。凄まじいスターのオーラが迸り、両雄の顔合わせはまさに時代劇ヒーローの頂上決戦。
ストーリーは「用心棒」とほぼ同じでした。心安らぐ場所だった里を荒ませた二大勢力を、共倒れさせようと市が暗躍。そこに公儀隠密が絡んで来て少々ややこしくなりましたが、個人的にはもうひとつの追加要素の方に魅せられました。
それは、隠し金の在り処を巡って繰り広げられる、金の亡者たちの熾烈なバトル・ロワイアル。誰もが金に目が眩み、親子であっても殺し合う…。人間の欲望・エゴの底知れなさに戦慄すると共に、その儚さや切なさに胸が痛くなりました。
座頭市と用心棒の剣が交わるクライマックスに手に汗握りましたが、決着をつけるわけにはいかなかったと見え、痛み分けに終わってしまいました。スターへの忖度を度外視しても、どちらも死んで欲しく無かったのでこれはこれで良かったです。
※修正(2021/06/18)
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