座頭市物語のレビュー・感想・評価
全7件を表示
座頭市のデビュー作であるとともに、平手造酒との映画史における「交代劇」でもある。
黒澤明監督作品とともに、世界中に影響を与え続ける座頭市シリーズの第一作。講談・浪曲で人気を博し、幾度となく映像化された大利根河原の決闘(いわゆる「天保水滸伝」のハイライト)が作品の舞台。
原作者・子母沢寛の、ほんの10ページほどの随筆を元に、盲目の居合斬り(抜刀術)の達人・座頭の市をケレン味たっぷりに演じた勝新太郎は、この役が自身のライフワークに。
シリーズが進むにつれ、人当たりが良く腰も低くなる市は、初登場の本作ではいかにもヤクザっぽく、ドスを利かせた声で凄むし啖呵も切る。この辺りは前年の『悪名』の主人公・朝吉のイメージを引きずっているが、平行してシリーズ化したので差別化が必要だったのかも。
一方、同作がカラーだったことを思えば、あえて本作をモノクロ作品にしたことには『用心棒』〈1960〉の影響も感じる。
監督の三隅研二は本作以降もシリーズに関わり、TVシリーズ『必殺仕掛人』でも監督を担当。白黒画面特有の陰影を活かした演出や大胆な画面構成で剣戟の凄味と悲哀を見事に描き出している。
この映画の見どころは、何といっても座頭市と実在した剣豪、平手造酒(本名・平田三亀)の一騎打ち。
創作物中心に語り継がれているのでどこまで史実を反映しているかは不明だが、平手造酒の本来の最期は飯岡の子分に寄ってたかって斬り殺されるというぶざまな死に方。
そんな末路哀れの造酒の死に様を、本作では盲目のヤクザと余命幾ばくもない剣士との一対一の真剣勝負という、滅びの美学ともいうべき名シーンに昇華させ、実力を認め合った達人同士の否応なき対決は、同年公開の『椿三十郞』のラストシーンをも彷彿とさせる。
「つまらん奴の手に掛かるより、貴公に斬られたかった」との造酒の末期のセリフは、武士でありながら酒乱の挙げ句になぶり殺し同然にチンピラの手に掛かる彼の無念の浄化と魂の安堵ともいえる。
この作品の公開前まで40本を越えていた平手造酒が登場する映画は、本作以降は僅か4作に激減。
市と造酒の対決は、邦画史における名キャラクターの交代劇でもあったのだ。
過度の飲酒で命を縮めた悲運の剣豪・平手造酒を鬼気迫る演技で見せたのは天知茂。
映画・TV双方で扮した『四谷怪談』の民谷伊右衛門役が有名だが、TVの『江戸川乱歩の美女シリーズ』や『雲霧仁左衛門』の主役など善悪どちらでも存在感を示した昭和を代表する名優(大映のもう一つの看板シリーズ『眠狂四郎』にゲスト出演した際は、その存在感で主役食って市川雷蔵を怒らせた話は有名)。
映画の終盤で造酒の亡骸と一緒に埋葬するよう、市が仕込み杖を寺の小僧に託した場面からも、当初はシリーズ化を念頭にしていなかったことが窺えるが、続編を検討させるまでの人気作になった理由は勝新が演じる主人公の魅力のみならず、平手造酒に扮した天知の存在感抜きには語れないのでは?!
1985年に54歳で他界。
最近、映画のレビューを投稿するようになってから、出演俳優について調べると道半ばでの死亡が多いことに驚くが、この人の急逝は子供心にもリアルタイムに悲しかった。
本作で演じた平手造酒とは逆にアルコールを嗜まなかったと聞いていたので、突然の訃報は青天の霹靂だった。
「生まれ時が悪いのか、それとも俺が悪いのか…」
そんなこと、知るもんか。
とにかく、もっともっと活躍が見たかった…。
BS12トゥエルビにて視聴。
気品があってカッコいい
昔の時代劇は言葉遣いに品があってカッコいい。イーストウッドの早撃ちよろしく、勝新太郎の居合斬りも神業で惚れ惚れする。平手も良き好敵手だった。何となく、2人の間には友情とはまた違う絆を感じた。尊敬と愛のような。
予想外に面白い、人気シリーズの最初の作品だけはある
三隅研次 監督による1962年製作の日本映画。配給:大映。
勝新太郎出演の映画を初めて見た。加えて、三隅研次監督の時代劇も初めて。大ヒット映画のしょっぱな作品だけに、とても面白かった。
勝新太郎が居合い抜きの名手とのことだが、一見そうは見えず、妙に謙虚なとこが上手い。勝がずっと目を閉じていて、最後の方でかっと眼を見開く様も迫力あり。天地茂演ずる結核持ちの剣豪との二人の触れ合いも良い。ただ、二人の闘いは今一つ迫力不足であった。ただ勝の有する剣の光る様は何とも美しく切れ味抜群の様で、剣技には怖さを感じた。
監督三隅研次、原作子母沢寛、脚本犬塚稔、撮影牧浦地志、照明加藤博也、録音大谷巌、美術内藤昭、音楽伊福部昭。
勝新太郎(座頭市)、万里昌代(おたね)、島田竜三(笹川繁造)、三田村元(松岸の半次)、天知茂(平手造酒)、中村豊(飯岡乾分猪助)、真城千都世(半次女房お芳)、毛利郁子(繁造女房お豊)、南道郎(飯岡乾分蓼吉)、柳永二郎(飯岡助五郎)、千葉敏郎(飯岡乾分政吉)、守田学(飯岡乾分清助)、舟木洋一(笹川乾分与五郎)、市川謹也(笹川乾分茂吉)、尾上栄五郎(笹川乾分利兵衛)、山路義人(蓼吉の父親弥平)、堀北幸夫(笹川乾分金治)、越川一(百姓男)、浜田雄史(飯岡乾分安七)、木村玄(客の正六)、小林加奈枝(笹川飯炊お兼)。
面白かった❗人生初の座頭市。
ふと思ったのですが、本作が公開されたのは1962年なら当時ってまだ「お爺ちゃんがお侍様だった」とかいう方も生きていたのではないでしょうか?武士の話をよく聞いてたよ~とかいう方。大政奉還が1867年。んー、微妙な所かな?
そんなこんなで「午前10時の映画祭」で人生初の座頭市でした。タイトルは有名なのですが、何故か今までご縁がなかった座頭市。いやー、カッコいいですね✨多分「午前10時の映画祭」でやってくれなかったら引き続き縁がなかったと思います。ありがたや、「午前10時の映画祭」。
Wikipedia先生によると座頭市は映画だけで26作品、更にはテレビドラマでもあるそうです。勝新太郎、物凄く座頭市漬けな人生ですね。本作はその後も長く続いたシリーズの第1作目だけあって良くできてました。
座頭市がホントに目にも止まらぬ早業なのですが、あれは勝新太郎本人がやっているのでしょうか?だとしたらスゴイ!やるなぁ勝新。キャラクターも飄々としているようで決める時にはビシッと決める。こりゃ人気出ますわ。相手役の病気を抱えた用心棒とのやり取りも良かったです。
白黒時代の映画って事もあり、ちょっとハードルが高く感じるのですが、本作はストレートなお話ながらも十分面白かったです。こういう情緒ある映画って日本ならではですよね~。最近の邦画は詳しくないのですが、やっぱり邦画って昔の方が面白かった気がしますね。
けっこうよかった
勝新太郎の『座頭市』を見るのは初めてで、たけしのしか見たことなかった。
盲目であることで人々を油断させて、人間性を試す。相手によって態度を変えていると、ひどい目に合わされるので本当に気をつけたいとつくづく思う。敵の剣客が最初から腕を見抜いていてシンパシーを抱く。ヤクザの世界だからか、クズみたいなやつばっかり出るのもいい。
シリーズ第一作で、継続することを考えていなかったようで、最後仕込み杖を処分している。
笹川親分
壺ふりをやらせてもらって、サイコロが壺の外に出る。みんな丁に張り、市の一人負け。もう一度振って、みな半に張る。今度は「おっと袖からサイコロが落ちた」と言って壺を開けると丁だった。今後も同じようなシーンがあるかも。 目明きの蓼吉に腰をもませる座頭市。こんなシーンがあったのかぁ。
ストーリーの伏線として、おたね(万里)の兄・蓼吉(南道郎)が宮大工の娘・咲を孕ませて、咲が沼に身を投げたという悲恋。でも中途半端・・・
やがて笹川の用心棒となった平手が血を吐いて倒れたと聞いて、飯岡は殺された子分の弔い合戦を仕掛ける。平手のいない分、鉄砲で市を倒すと聞いた平手は病床から這い出して喧嘩に参加するのだ。労咳(結核)を患っていた平手。何人も斬ったあとで血を吐く姿は痛々しい。そして座頭市と平手との対決。「つまらねぇ奴に斬られるよりはお前さんに斬られたかった」という最期の言葉が印象に残る。
やくざの道に一旦入ってしまったら、簡単に抜けられるもんじゃない。喧嘩に勝って祝い酒をふるまってる飯岡の親分には、「お前さんのために死んでいった奴がいるんだぞ」「ヤクザは世間の嫌われ者。どうしてお天道様を拝めるんだい」などと、ヤクザ業の哀しさをも表現する。そして市の旅に連れて行ってもらおうと待つおたねの表情もいい。
神速の居合!勝新太郎の当たり役!
座頭市シリーズ第1作。
Amazon Prime Video(シネマコレクション)で鑑賞。
原作は未読です。
勝新太郎の当たり役と云えば座頭市!
その原点である本作、初鑑賞でした。
勝新の役作りがすごい。座頭市の性格やら動きやら、この時からすでに完成されていたのかと驚嘆させられました。
仕込み杖から繰り出される居合斬りは、まさに電光石火の速ワザで、市の実力がどれほどのものか、盲目だからとナメてかかっていた連中を一瞬で黙らせる威力を持っていました。
普段の仕草からは想像もつかない剣の使い手である、と云うギャップに心底シビレました。これが座頭市なのか…
勝新太郎にしか出せない魅力だなぁ…
平手造酒との運命的な出会いと友情、そして悲しい宿命の対決に心揺さぶられました。敵対する組織の用心棒とは云え、互いの実力と人間性を認め合っていたふたり。
平手造酒は肺を患っており、その命は風前の灯。死を前に現れた好敵手との死闘を望んだ心は、剣に生きる者のさだめだったのかもしれないと思うと、胸が締めつけられました。
その想いを汲んで、決闘を受け入れた市の心のなんと美しいことか。心が美しいからこそ、自らをやくざな生き方しか出来ない人間だと理解した上で、人を人とも思わぬ極悪な親分の所業に怒り、鋭い啖呵を切ることも出来る。
渡世稼業に身を置きながら、任侠道のなんたるかを忘れず、筋を違えぬその生き様に、憧憬の念を抱きました。
[余談]
三隅研次監督の優れた演出もさることながら、本作を格調高いものにしているのは、伊福部昭の音楽の力も大きいのではないかなと思いました。特撮作品の劇伴とはまた違った、伊福部音楽の荘厳な部分を感じ、新鮮な気持ちになりました。
全7件を表示