座頭市物語のレビュー・感想・評価
全26件中、1~20件目を表示
気品があってカッコいい
昔の時代劇は言葉遣いに品があってカッコいい。イーストウッドの早撃ちよろしく、勝新太郎の居合斬りも神業で惚れ惚れする。平手も良き好敵手だった。何となく、2人の間には友情とはまた違う絆を感じた。尊敬と愛のような。
これが座頭市の初作なのか。 モノクロがなんとも味がある。ヒロインも...
これが座頭市の初作なのか。
モノクロがなんとも味がある。ヒロインもなかなか。敵役もいい。ラスト一騎打ちのアクションがまだ洗練されていないのもかえって初々しいか(笑)
勝新の座頭市、やはりなんとも面白い。
BS12
予想外に面白い、人気シリーズの最初の作品だけはある
三隅研次 監督による1962年製作の日本映画。配給:大映。
勝新太郎出演の映画を初めて見た。加えて、三隅研次監督の時代劇も初めて。大ヒット映画のしょっぱな作品だけに、とても面白かった。
勝新太郎が居合い抜きの名手とのことだが、一見そうは見えず、妙に謙虚なとこが上手い。勝がずっと目を閉じていて、最後の方でかっと眼を見開く様も迫力あり。天地茂演ずる結核持ちの剣豪との二人の触れ合いも良い。ただ、二人の闘いは今一つ迫力不足であった。ただ勝の有する剣の光る様は何とも美しく切れ味抜群の様で、剣技には怖さを感じた。
監督三隅研次、原作子母沢寛、脚本犬塚稔、撮影牧浦地志、照明加藤博也、録音大谷巌、美術内藤昭、音楽伊福部昭。
勝新太郎(座頭市)、万里昌代(おたね)、島田竜三(笹川繁造)、三田村元(松岸の半次)、天知茂(平手造酒)、中村豊(飯岡乾分猪助)、真城千都世(半次女房お芳)、毛利郁子(繁造女房お豊)、南道郎(飯岡乾分蓼吉)、柳永二郎(飯岡助五郎)、千葉敏郎(飯岡乾分政吉)、守田学(飯岡乾分清助)、舟木洋一(笹川乾分与五郎)、市川謹也(笹川乾分茂吉)、尾上栄五郎(笹川乾分利兵衛)、山路義人(蓼吉の父親弥平)、堀北幸夫(笹川乾分金治)、越川一(百姓男)、浜田雄史(飯岡乾分安七)、木村玄(客の正六)、小林加奈枝(笹川飯炊お兼)。
文句なしに面白い!
めちゃくちゃ面白かった。文句なしに面白かった。
人情、友情、ロマンス、ダンディズム、アクション……etc. 娯楽映画の魅力満載。
「これぞ映画! これぞ時代劇!」と叫びたくなるような傑作!
そして、この映画魂、時代劇魂は、ハダシやビート板やブルーハワイたちに受け継がれていくのであった。
面白かった❗人生初の座頭市。
ふと思ったのですが、本作が公開されたのは1962年なら当時ってまだ「お爺ちゃんがお侍様だった」とかいう方も生きていたのではないでしょうか?武士の話をよく聞いてたよ~とかいう方。大政奉還が1867年。んー、微妙な所かな?
そんなこんなで「午前10時の映画祭」で人生初の座頭市でした。タイトルは有名なのですが、何故か今までご縁がなかった座頭市。いやー、カッコいいですね✨多分「午前10時の映画祭」でやってくれなかったら引き続き縁がなかったと思います。ありがたや、「午前10時の映画祭」。
Wikipedia先生によると座頭市は映画だけで26作品、更にはテレビドラマでもあるそうです。勝新太郎、物凄く座頭市漬けな人生ですね。本作はその後も長く続いたシリーズの第1作目だけあって良くできてました。
座頭市がホントに目にも止まらぬ早業なのですが、あれは勝新太郎本人がやっているのでしょうか?だとしたらスゴイ!やるなぁ勝新。キャラクターも飄々としているようで決める時にはビシッと決める。こりゃ人気出ますわ。相手役の病気を抱えた用心棒とのやり取りも良かったです。
白黒時代の映画って事もあり、ちょっとハードルが高く感じるのですが、本作はストレートなお話ながらも十分面白かったです。こういう情緒ある映画って日本ならではですよね~。最近の邦画は詳しくないのですが、やっぱり邦画って昔の方が面白かった気がしますね。
けっこうよかった
勝新太郎の『座頭市』を見るのは初めてで、たけしのしか見たことなかった。
盲目であることで人々を油断させて、人間性を試す。相手によって態度を変えていると、ひどい目に合わされるので本当に気をつけたいとつくづく思う。敵の剣客が最初から腕を見抜いていてシンパシーを抱く。ヤクザの世界だからか、クズみたいなやつばっかり出るのもいい。
シリーズ第一作で、継続することを考えていなかったようで、最後仕込み杖を処分している。
これぞ座頭市の勝新太郎。
座頭市の映画は初めて。でもこんなに痺れて泣けて、よかったと思わせてくれた。勝新太郎の演技もさることながら、何より脚本が素晴らしい。人間のいやらしさ、悲しさの中で、剣術の上手い2人の立派な戦いを絡ませる。
若い勝新太郎と万里昌代
午前十時の映画祭11で。
居合抜きの達人でマッサージや博打のツボ振りをしてる盲目の座頭市は、飯岡のヤクザ助五郎に呼ばれ客となった。市は肺を患っている平手造酒と池で釣りをしてる時に知り合い、酒を共にして話をするうち、助五郎と対立する笹川一家の助っ人だとわかった。助五郎と笹川一家の抗争が始まり、市は平手と対決をすることになった。どうなる、という話。
勝新太郎の座頭市と言えば誰でも知ってるが、その第一作を初めて観た。若い勝新太郎が凄く新鮮で、ストーリーも面白かった。
ヒロイン役の万里昌代が美しかった。
ダークヒーロー座頭市の誕生
午前十時の映画祭11にて。
この映画を劇場で観賞できる日が来るとは思わなかった。
大映のマンモス時代劇シリーズの記念すべき第一作。
講談「天保水滸伝」で有名な、剣豪平手造酒(ヒラテ ミキ)が最期を遂げる「大利根河原の決闘」をクライマックスに、笹川一家と飯岡一家の抗争を物語の背景としている。
平手が笹川一家の用心棒なので、座頭市を 飯岡一家の客人とすることで、二人を闘う宿命で結びつけている。
そもそも、飯岡助五郎の子分に盲目の侠客がいたという逸話が座頭市物語の基になっているので、この設定に必然性はあるのだろう。
監督は三隅研次。シリーズ25本中6本を担当している。
(’86年の勝新太郎監督版『座頭市』(松竹配給)をシリーズ26本目とするのは違和感ある)
少し抑え気味な感じはするが、所々でスタイリッシュな映像が堪能できる。
寺の台所で平手(天地茂)が、座った状態で居合い抜きを見せる姿を画面いっぱいに仰角で収めたシーンが芸術的だ。
市(勝新太郎)とおたね(万里昌代)が夜道で言葉を交わすシーンは、二人を画面の左半分に寄せ右上に満月を配置してロマンスの雰囲気を高めている。
遂に平手と市が橋の上で対決するシーンの引きの映像では、斜め下から橋全体を画面に収めて橋の上で対峙する二人は画面左上にあるという、三隅研次独特の何ともアンバランスな構図が見られる。
脚本は犬塚稔。シリーズ25本中8本を担当している。
特段のストーリーがあるわけではない原作(原案)を基に、平手造酒を座頭市のライバルに仕立て、両雄に友情を映し出した見事な脚色。
先に『不知火検校』で描いた盲目のダークヒーローを発展させて、単なる正義漢ではない新しいチャンバラヒーロー座頭市のキャラクターの基礎を作り上げた。
子分たちの屍を放置して勝利の祝盃をあげる飯岡に座頭市が怒りを露にする場面は、チャンバラアクションの合戦の後の描きかたとしては珍しいと思う。
シリーズ化の予定がなかったのか、当初の案では市とおたねは結ばれて終わることになっていたらしい。
仕込みを寺の小僧に預けて封印する場面は採用されている。
主演の勝新太郎は、その後座頭市がライフワークとなる。
勝の類い稀な身体能力で見せる見事な逆手抜刀術は、美しい限りだ。
後々に定着する市の泥臭い闘い模様は、本作ではまだ見られない。
敵の凶刃を仕込みで弾くと、体を回転させて背中で敵を突くという独特の殺陣が新鮮だ。
盲人としての所作はシリーズを重ねてリアリティが増していくのだが、1作目である本作は未完成といえる。とはいえ、ただただニヒルで気取ったアウトローではなく、滑稽さを出しているのは後のキャラクターにも通じている。
飯岡助五郎に怒りをぶつける終盤の演技で、それまで閉じたままだった眼を見開いた表情は迫力がある。
音楽は伊福部昭。シリーズ最大のヒット作『座頭市と用心棒』までの20作を連続して担当している。
土俗的とも言える独特の音楽が、特にモノクロである本作の画面に融合し、雰囲気を盛り立てている。
戦う事で確かめ合う男の友情に泣ける
時代劇研究家?評論家?兎に角、春日太一氏が
以前に熱く解説しておられた本作。
興味があったのですが映画は映画館派なので
各社配信に未加入のため「午前10寺の映画祭」にて鑑賞。
クズ同士の田舎やくざの悪だくみをしり目に
いいねえ〜〜〜!!
男同士の友情に胸熱〜〜〜〜!!
江戸にほど近い関東のとある宿場町を仕切る
ヤクザ同士の抗争に心ならずも巻き込まれた
座頭市と、悲運の剣豪、平手造酒(ひらて・みき)の
剣豪同士の心のふれあいの物語。
男は自分を知る者のためにこそ命を掛ける、
限りある命だからつまらぬ事で失いたくは無い。
いつかは果てる命なら自分の納得の行く死に方がしたい。
その思いを果たすためにあえて対決に向かう
座頭市と平手造酒。
しびれますね〜〜
ぜひご覧くださいませ。
で、月に8本程映画館で映画を観る中途半端な映画好きとしては
時代劇に馴染みの無い方への解説ですが
座頭とは、盲目だけど三味線や琵琶、または
あんまや針などの技能に優れ、剃髪している人々の総称で
座頭市とは、目の見えない市(いち)さんって事です。
目が見えないから周囲から何かと差別されたり侮られたり
そんな辛酸を経験してきて、身を守るために
居合斬りの達人となったって訳です。
居合切りっていうのは、解り易い例だと
「ルパン三世」の石川五右衛門の切り方ね。
チャンバラの様に刀を抜いて相対するのではなく
刀は鞘に入れたまま、または半分抜いてタイミングを計り
相手の一瞬のスキをついてあっという間の早業で
急所を切ったり衝いたりして相手を倒す殺法です。
普段は盲人として地味に暮らしているけれど
ヤクザや子悪党が舐めた事を仕掛けてくると
バシッと反撃する。
「舐めてた相手が殺人マシーンだった!」の元祖ですね。
現役で一番人気のあった頃の座頭市はよく知らないけど
改めて一作目を観るとやっぱよく出来た作品だと
強く感じます。
まだ若かりし頃、豪快伝説を帯びる前の
割とフレッシュな勝新太郎と
流石の目力でただ者でない空気感と
悲運な気配を併せ持つ天知茂(あまち しげる)
昭和の名優は見所一杯です。
「午前10寺の映画祭」ならではのラインナップ。
ぜひ劇場で〜〜。
爽やか
午前十時の映画祭で観られて幸運
多分観たことはあるはずですが、すっかり内容忘れてました。
座頭市ってこんなに清々しい時代劇でしたっけ?なんだか、薄暗いイメージしかなかったんです。
勝新も天知茂も美しい
さすが、ハダシ監督の生涯ベスト
観るきっかけとなった
サマーフィルムにのって に感謝します。
笹川親分
壺ふりをやらせてもらって、サイコロが壺の外に出る。みんな丁に張り、市の一人負け。もう一度振って、みな半に張る。今度は「おっと袖からサイコロが落ちた」と言って壺を開けると丁だった。今後も同じようなシーンがあるかも。 目明きの蓼吉に腰をもませる座頭市。こんなシーンがあったのかぁ。
ストーリーの伏線として、おたね(万里)の兄・蓼吉(南道郎)が宮大工の娘・咲を孕ませて、咲が沼に身を投げたという悲恋。でも中途半端・・・
やがて笹川の用心棒となった平手が血を吐いて倒れたと聞いて、飯岡は殺された子分の弔い合戦を仕掛ける。平手のいない分、鉄砲で市を倒すと聞いた平手は病床から這い出して喧嘩に参加するのだ。労咳(結核)を患っていた平手。何人も斬ったあとで血を吐く姿は痛々しい。そして座頭市と平手との対決。「つまらねぇ奴に斬られるよりはお前さんに斬られたかった」という最期の言葉が印象に残る。
やくざの道に一旦入ってしまったら、簡単に抜けられるもんじゃない。喧嘩に勝って祝い酒をふるまってる飯岡の親分には、「お前さんのために死んでいった奴がいるんだぞ」「ヤクザは世間の嫌われ者。どうしてお天道様を拝めるんだい」などと、ヤクザ業の哀しさをも表現する。そして市の旅に連れて行ってもらおうと待つおたねの表情もいい。
神速の居合!勝新太郎の当たり役!
座頭市シリーズ第1作。
Amazon Prime Video(シネマコレクション)で鑑賞。
原作は未読です。
勝新太郎の当たり役と云えば座頭市!
その原点である本作、初鑑賞でした。
勝新の役作りがすごい。座頭市の性格やら動きやら、この時からすでに完成されていたのかと驚嘆させられました。
仕込み杖から繰り出される居合斬りは、まさに電光石火の速ワザで、市の実力がどれほどのものか、盲目だからとナメてかかっていた連中を一瞬で黙らせる威力を持っていました。
普段の仕草からは想像もつかない剣の使い手である、と云うギャップに心底シビレました。これが座頭市なのか…
勝新太郎にしか出せない魅力だなぁ…
平手造酒との運命的な出会いと友情、そして悲しい宿命の対決に心揺さぶられました。敵対する組織の用心棒とは云え、互いの実力と人間性を認め合っていたふたり。
平手造酒は肺を患っており、その命は風前の灯。死を前に現れた好敵手との死闘を望んだ心は、剣に生きる者のさだめだったのかもしれないと思うと、胸が締めつけられました。
その想いを汲んで、決闘を受け入れた市の心のなんと美しいことか。心が美しいからこそ、自らをやくざな生き方しか出来ない人間だと理解した上で、人を人とも思わぬ極悪な親分の所業に怒り、鋭い啖呵を切ることも出来る。
渡世稼業に身を置きながら、任侠道のなんたるかを忘れず、筋を違えぬその生き様に、憧憬の念を抱きました。
[余談]
三隅研次監督の優れた演出もさることながら、本作を格調高いものにしているのは、伊福部昭の音楽の力も大きいのではないかなと思いました。特撮作品の劇伴とはまた違った、伊福部音楽の荘厳な部分を感じ、新鮮な気持ちになりました。
演出と撮影が素晴らしい そしてなにより勝新太郎!
めくらだとか、かたわだとか、そんなこと言ったって、別に文句は言やしねえよ
その通りだもんな
だけどね
たかがめくらだとか、めくらのクセに・・・フッ
めくらを侮っていなさることに文句がある
昨今のポリティカルコレクト(PC)による言葉狩りにはこの座頭市の台詞を問いかけたいものです
画期的なヒーローのキャラクター造形です
それを説明するカットの的確さ
しかし居合い斬りの腕の凄さは、彼の勘の鋭さだけを見せて予想させながらも、なかなか披露してくれません
ようやく上の台詞があって初めてそのシーンとなります
燃えるろうそくを空中に投げて居合い抜きでぶった斬る
横にではなく、縦に真っ二つ!
しかも芯まで縦に切り分けており、火は左右に転がる二つのろうそくで燃えている
この痺れる演出
画面のなかで息をのんで仰天する一同の姿は観客の私達の姿です
このシーンで本作のやりたいことは半分終わってしまったといっても良いと思います
残りの半分は天地茂の演じる平手造酒とのエピソード
溜池での釣りでの出会い、寺での酒の酌み交わし、そして橋上での決闘
どのシーンも最高だ!
つまり天保水滸伝に題材を取った筋立てはこの二つを撮りたいがための、お膳立て、舞台設定に過ぎないのです
全てが終わり飯岡の町をでる時、市はドスを寺の小坊主に託します
平手造酒の亡骸と一緒に埋めてくれと
市がめあきから侮られたく無いために修練して会得した居合い斬りの技
それを捨てるという意味です
平手造酒との交友は、彼が本当に求めていたこと
それはみあき、めくらとか関係なく、お互いの人間性だけを認めあった人と人との心からの付き合いだったのです
居合い抜きの技をあそこまで高めたのは侮られたく無いためにではなく、人として認められたかったからだったと彼は気がついたのです
それを達成したからには最早こんなドスは不要
人として互いに認めあった友人を斬ったドスは忘れさりたいものになっていたということです
そして待ちぼうけをくう女のカット
市は道を逸れておたねを避けて去っていきます
おたねは彼を杖となって支えると言い彼を慕いますが、平手造酒のように互いを尊敬しあった関係では無いのです
市にとっては煩わしいだけだったのです
彼は林の斜面から道に戻り遥かな空の先に歩いて行きます
手前には伸び放題の草が取りのされています
それは残されたおたね、町の連中、観客たる私達のことでしょう
そしてエンドマーク
この全てを振り捨てて去っていく市の後ろ姿の果てしない虚無感は本当に印象的です
居合い抜きの技
それは人と人との本当の尊敬しあう関係を作りたかった為に始めたものだったのに、それは二度と出会えないであろう真の友人の命を奪ってしまったのです
演出と撮影が素晴らしい
そしてなにより勝新太郎!
彼でなければ本作の成功はなかったでしょう
座頭市
日本映画永遠のヒーローとしてこれからも失われることのないキャラクターでしょう
めあきがめくらに敗北する物語
ラストにかけて、やくざ者の筋目を通した奴と、通さなかった奴の違いが浮き上がる物語。で、浮き上がらなかったのは、身内である兄貴分を死なせておいて、お鉢が回ってきた!代貸になれそうだやったー!と抜かし、最も卑怯な斬りかかり方をして泥沼にハマった人。ラストの泥沼のシーンはそういうことを表現していた。
まさかの正統派時代劇
一作目の座頭市。
僕は、タケシ版、あと、何作目か分からないけど、たまたま見た座頭市をいくつか観た程度であるが・・・
面白かった。この一作目は僕の知っている座頭市と違っていて、正統派時代劇だった。突飛な殺陣は無し。とても静かな時代劇だった。
社会派・・・というか、基本的には人間ドラマで魅せていた。悪役の見せ方が上手い。「許されざる者」のように、この人良い人かな?って思うと、ことごとく裏切られるので、話がどっちに転ぶか分からない。
ハラハラドキドキ・・・はしない・・・しかし、この登場人物はどうなるのかな?という、人物描写で観客の興味を飽きさせない。
勝新太郎の自慢の殺陣はあまりない。ちょっとずつ、ちょっとずーつ見せていく。あと、殺陣より何よりも座頭市の日常シーンが魅力的。ずんぐりむっくりしている勝新太郎が「可愛い」んだよね笑。愛嬌がある。すごくハマってた。
ちなみに、音楽は伊福部昭がやっていた。確かに、音楽はゴジラが歩いてる時にかかりそうなやつだった。
全26件中、1~20件目を表示