劇場公開日 1998年4月11日

「なんでこんな演出?」SADA とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)

2.0なんでこんな演出?

2022年4月28日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

寝られる

ベルリン国際映画祭で受賞したというが、なんで?どこが評価されたのだろう?ジャポニズム?セットの、登場人物の立ち振る舞いは、趣向を凝らしていて、きれいな部分はたくさんある。
 でも、トータルでみると…。
 日本を知る日本人には、苦笑もしくはしらけてしまうような演出も多々あって…。

『戯作』とわざわざ明記したように、お芝居ちっくにしたかったのは、わかる。
さまざまなところに挟み込まれる、大仰なセリフ・立ち回り。コミカルチックに展開する場面。けれどもその演出が空回り。全然活きていない。
 良い役者たちを使って、何をしたかったのか…。
 黒木さんの14歳。さすが元宝塚の娘役トップと、たたえたいショットはありつつも、あの演出ですべては台無し…。

戦争の色濃くなる様はわかるとして、なぜにハンセン氏病を入れたのかも意味不明。

”本当の愛”を知らない定の流されていくさまを表現したかったのか。
”離人感”の現実味のなさを表現したかったのか。
 少し優しくされたからと、もしくは自分をかまってくれることで、すぐに惚れてしまう定。
 ちゃんと自分のことを考えていたわってくれる存在を、それとして認識できなかった定。
 だから、龍蔵にのめりこむさまよりも、
 立花先生の「一緒に旅行しよう」という申し出を断って(岡田のことを思い切って)、立花先生から「いい人と夫婦にさせてあげる」という言葉に見せる、見捨てられた子犬のような表情が印象的。
 それまでは悲惨な生活なれど、愛がなくともその日暮らしでやってこれたのに、立花先生とのあのやり取りのあと、坂道を転げる雪だるまのように、破滅が止まらなくなる。

龍蔵のことをそれほどまでに愛していた?心の中には岡田がいたのに?
矛盾。

けれどそんな切ない定の生きざまを、その外連味のある演出のおかげで、じっくり、しっとり味わえない。
 それはそれで革新的な野心的な試みなのかもしれないが、私という観客はつぃてゆけない。

遠い昔の事件のような気がしていた。
 肌の触れ合いだけが自分を満たす手段だったような定。
 せっかく安穏とした生活を送っていたのに、わざわざドキュメンタリーに出演して、自分で暴露して、安穏とした生活を自ら破壊する定。
 どんなスキャンダルでも利用する顕示欲?

 今も、似たような女性はたくさんいる。
 そんな女の生きざまを、ハンセン病・戦争の足音が近づくあの時代をあんな風に組み入れることで何を表現したかったのか?時代が生んだ女性としたかったのか?それならそれで、ちゃんと意味づけしてくれないとと思うが、それもない。コメディタッチで自らの提案を自らつぶしている感じ。

定の人生が破城しているように、
この映画も破城している。
そういう意味では”定”の映画なのかもしれない。

とみいじょん