櫻の園(1990)のレビュー・感想・評価
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演出性すら感じさせない自然な彼女らの“奇跡の映画”に再び…
この作品を観てからもう35年も経ったのか
なぁと感慨深く感じる、
篠田正浩監督の「少年時代」を抑えて、
キネマ旬報ベストワンに選出された作品。
かつての鑑賞では、
“みずみずしい”という言葉が、
正にこの映画のためにあるかのような印象を
持っていた作品だったものの、
その後の鑑賞が叶わずにいたので、
大変嬉しいTV放映での再鑑賞となった。
しかし、今回は、
当時の感慨を更に上廻る鑑賞に。
それは、コロナ禍を経験し、
もちろん、小学生や中学生、更には大学生に
とっても大切な時期だったとは思うが、
特にこの作品の思春期真っ只中であろう
高校生においては、
この作品でも描かれたように、
異性や同級生への興味、そして、
喫煙や髪型など、
大人への過渡期における思春期において、
たった一度だけ共有出来る貴重な青春期を
奪われた子供達に想いが至ったからだった。
そんな思春期の彼女らを、
商業作品としての演出性すら感じさせない
自然でみずみずしい彼女らの世界に
浸らせて戴いたようなこの作品は、
私にとっては、ある意味“奇跡の映画”だ。
それだけに、最後まで彼女らだけの
みずみずしい余韻で鑑賞を終えたかった
ので、
二人のオジさんが登場する2シーンだけは
蛇足としか思えなく残念ではあったものの、
それでも、私にとっては、
他の映画では味わうことの出来ない
“奇跡の映画”であることに違いはない。
何気ないやり取り、他愛ない会話でも
あの頃
「映画ファンジャナイ!と言われても別にええわ」な作品でした。
お久しぶりです。ここのところ某短歌投稿サイトに入り浸ってしまい、レビューを書く云々以前に映画を楽しむことすら疎かになっておりました。
欠席中「いいね」コメント、フォローしてくださった方々、誠に申し訳ありませんでした。
人の心を0.01mmでも動かせることができる物が映画であるなら、本作を観終えた時の私の気分は「映画ファンジャナイ!と言われても別にええわ」でした。
最も苦手とする「起・承・転・結」がさっぱり見えてこないストーリー展開に加えて、登場人物が大変多くその全てにフォーカスを合わせていたような散漫な描写に全くついて行けず楽しめませんでした。
こういう“アート系”作品が映画ファンの資格の是非を問う試金石であるなら、私は「映画ファンジャナイ!と言われても別にええわ」でした。
唯一心に残ったのは「太田胃散のCМ」でした。
【”風に散る 花橘を袖に受けて 君が御跡と思ひつるかも”チェーホフの櫻の園を演じる2時間前の女子高校生達の繊細な瞬間を描いた逸品。】
■吉田秋生氏の漫画に嵌ったのは、高校の時に読んだ「河よりも長くゆるやかに」である。そこには世間的には不良と呼ばれる高校生男女の恋と性が、鮮やかな台詞で描かれていたからである。勿論、お笑いの要素も絡ませながら。
吉田氏の漫画は、人間の心の機微を見事に台詞で具現化した点が魅力であり、〇十年以上愛読している。
勿論、この映画の原作になった「櫻の園」も、その一冊である。
原作では、1.花冷え 2.花紅 3.花酔い 4.花嵐
の4章立て手で、今作でもキーパーソンになっている志水部長、杉山、倉田知世子たちが抱える切実なテーマを描いている。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・今作では、その各章の印象的なシーンが随所で描かれている。
・その中でも印象的なのは、皆から敬語で話しかけられる志水部長(中島ひろ子)が小学生だった頃から、胸が大きく且つ早熟だったことを、男の子たちに揶揄われていた事を、吐露するシーンである。
”だから、あたし許さないの。彼がその後どんなに立派な人間になっていたとしても。”
・更には、背が高く胸がある事から、それを気にしているラネフスカヤ夫人を演じる事になった倉田知世子(白島靖代)と彼女のことが好きな志水部長の描き方である。
漫画では、二人が屋上で会話を交わし、志水部長が倉田に”好きよ。大好きよ。”と肩を抱きながら言い、倉田は涙を流しながら”嬉しい。もっと言って。”と描かれているが、今作では場所は違えど、ラネフスカヤ夫人の衣装を纏って席に座る倉田に対し、隣の席に座った志水部長が”好きよ”と言うシーンである。
二人は、志水がセットした自動シャッターでドンドンカメラに近づいて来て、笑顔でフィルムに収まるのである。
・そして、それを煙草を吹かしながら聞いていた志水に好意を持つ杉山(つみきみほ)は、後輩部員が駆けて来る音を聞いて、二人に聞こえるように”そろそろ始まりますよ。”と大きな声を出すのである。
<今作は、吉田秋生氏の名作漫画をベースに、切実で繊細な思いを抱える少女達を、創立祭でチェーホフの「櫻の園」を演じる2時間前に焦点を絞って描いた逸品なのである。>
郷愁は誘う。けれど、原作の深みがない。 原作の方が百倍良い。
吉田先生のファン。
吉田先生の描く女子高校生は、もっと肉感的。第二次性徴による変化・アンバランスな危うさを匂わせてくれる。
まだ経験値も低くて、何も考えていないような夢見る乙女を描かせても、どこか、”女”そしてやがて”おばさん”になる片鱗をちらつかせる。
経験値と感受性・思考度が高い女子なら、なおさら、性的な意味だけでなく”女”を匂わせ、それでいて天女の如く、鬼女の如くその存在感を放つ。
純粋で、それでいて泥臭く、神秘的で、”生”を感じさせてくれるような登場人物。
それなりに、悩み、逡巡し、それなりに放り出し、それなりに生きていく。
それに比べて、この映画の女子は皆、砂糖菓子。
何かを抱えていても、金平糖のよう。もしくは琥珀糖。
本音を言っているようでも、男子を前にしたぶりっ子。金魚鉢の金魚。アイドルが頑張っています的な。
そんな彼女たちを愛でたい人々からは珠玉の一本なのだろう。
けれど、私には物足りない。
★ ★ ★ ★ ★
杉山さん、切ない。志水さん、まっすぐすぎて…。
脚本賞をとったのも納得。
でもね。演技が…。賞総なめって、確かに着眼点とか、演出の方法は唸るんだけど。
主要4人はなんとかいい味出しているものの、他のメンバーは棒読み状態。
途中差し入れをしてくる先輩。もう少しどうにかならなかったのか。
たくさんの演劇部員の雑談場面がカメラ目線の会話。確かに日々たわいもない会話をしている。でもその会話に没頭している時の仕草や表情がカメラ目線なんだよなあ。女性の監督だったら、ああは撮らなかっただろうなあ。
そして、主要4人。
城丸さんは、本当は一番際どいはず。ばれたら杉山さんの比ではない騒ぎ。だけど、さりげなく傍観者の役をとってあっけらかんとしていて、え?という感じ。やばいと思っている半面、なんとかなると思っている世間知らずさ・要領の良さからくる万能感。周りがしていない経験している優越感と勇気があるみたいな勘違い。かえってスリルを楽しんでいるのだろうな。
と想像するのだが、演技からは感じない。彼とお付き合いして、演劇部のことやってと時間割をこなしているみたい。男子にしたら、相手してくれるしでもポカやって迷惑かけられなさそうだし、都合がいいのだろうな。
杉山さん役のつみきさん。煙草で指導受けている、その辺の演技がなおざり。何故、このような学校にいながら煙草を吸うメンバーと喫茶店にいたのかとか、吸っていないのに誤解されている憤りとか、確かに脚本にはないけど、ないからこそ、演技で表現してほしかったのだけど、表面的な台詞の解釈だけだった。
でも、志水さん達が写真を撮っている場面を観ている表情。あれはぐっときた。見応えありました。そして、届かない志水さんへのアプローチ。切ないですねぇ。
志水さんも同じ。演技は頑張っているんだけど、なんで急にパーマかけてきたのか、その辺が全く表現されていなかった。別にパーマかけていないおさげ髪だって、そのあとの展開変わらない。ま、杉山さんと指導室に呼び出される為にパーマが必要だったのだろうけど。
倉田さんが一番自然だったかな。いるいるああいう人、みたいな。
そこにいて表現しているだけで、志水さん他各メンバーが、どういう家族の元で、どう成長して、そういう期待をかけられていて、昨日家庭でどういう会話をしてきて、今この場にいるかが全然見えない。
映画中の台詞にはないし、場面もないけど、有名な役者はそこまで考えると聞く。最近、本当に実力のある若手が多かったから、その方々と比べちゃうのはかわいそうなのかもしれないけれど…。
大切な、(伝統行事で毎年やるけど)自分が演じるという点では生涯1度しかない上演が潰れそうなのに、なんかのんきだなあ。そんなに思い入れなく、中止となったらそれはそれでOKで、あくまで”部活”としてやっているからかしら。そういえば「しらけ世代」という言葉が出てきたのってこのころだっけ?劇の上演より、友達とのおしゃべりや告白の方が数段大切ってところは、まさしく高校生を見事に描写したなぁと思う。どうせ、もうすぐ受験でそれどころじゃなく、卒業して別れて行くのだからこの一瞬を大切にというほとんど祈りにも似た思い。
上田氏はさすが。学校にいる場面だけでなく、帰り道、家にいる様子とかも想像出来ちゃう。いいアクセントになっています。
吉田秋生先生の漫画を脚色した映画とな。
でも、吉田先生が描くものってそんな単純なものだっけ?
吉田先生の漫画なら、たったひとコマで、なんでパーマかけてきたのか、その前の志水さんの人生・家族背景を描きだしちゃう。
学校では優等生やっていそうな城丸さんの別の顔。女のしたたかさとこれがばれた時の顛末を想像できない甘さ。もしくは、顛末を想像できない目の前の快楽に興じるだけの幼さのみの女子。それでいて上級生の恋愛ごっこに気づきながらも知らんぷりするしたたかさ。そんな人柄が描き出される。
吉田先生は、けっして砂糖菓子のような綺麗事では済まない複雑な一人ひとりの内面をも描き出しつつ、その人たちの日常の一こまを紡ぎだしていくのがうまい作家さんだと思う。
美化した回顧録と重ね合わせてみるか、男性目線での映画。
確かに、美しい部分の少女たちの姿が綺麗にまとまっており、ちょっとしたほろ苦さと共に気持ちよく映画の世界に浸れる。
この映画が吉田先生原作のものでなければこういう切り口の映画ってあるねと、それはそれで評価できる。
でも、
吉田先生原作と聞くと、登場人物への人間考察が表面的すぎて納得できない。
なので☆3つです。
チェーホフ
櫻の園=女子校を連想... うまい。
私くらいの世代の男性が、女子高とはこんなものかと想像し、それを純化したような女子高の雰囲気が何ともいえない。なんともいえない甘酸っぱさの残る映画。
令和の始まりにこそ相応しい映画だと思います
少女たち櫻華の如く
私立櫻華女学園。
毎年春の創立記念日に、演劇部によるチェーホフの『櫻の園』を上演する事が伝統となっている。
その開演2時間前。集う演劇部員たち。
が、各々の問題や出来事で、上演が危ぶまれ…。
原作は『海街diary』でも知られる吉田秋生の同名コミック。
原作では四季の移ろいと共に少女たちの心情が描かれているそうだが、本作では開演2時間前に脚色。原作設定も見てみたかったが、短い時間軸の中で多感な少女たちの心情が濃縮されている。
それをナチュラルに演じたオーディションで選ばれた少女たち。余す所無く活写した中原俊監督の演出。
1990年度のキネマ旬報ベストテン第1位他、多くの映画賞を受賞。
劇中の美しい映像と春の陽光、少女たちの輝きの如く、青春映画の名編。
今では少女たちの何気ない姿を綴る作品は珍しくはないが、当時は新鮮だったとか。
劇的な事件は何も起こらない。
が、少女たちにとって動揺を隠せない問題や出来事は起こる。
突然パーマをかけてきた真面目な部長。
自分の役に自信が持てない部員。
前日、煙草を吸って補導された部員。
果たして、上演は…?
彼女たちにとっては“事件”だ。
演劇部員たちの面々。
特別可愛い娘やアイドルのような娘も居ない。
良くも悪くも、“普通”の女の子たち。
それが親近感を感じる。
と同時に、彼女たちがどんどん魅力的に見えてくる。
宝塚の男役のような凛々しい娘も居れば、パーマをかけた部長もエレガントに。
彼女たちの魅力と、映画のマジック。
展開は淡々と。
でも、少女たちのやり取り、他愛ないお喋りなどが不思議となかなか飽きさせない。
泣き笑いも過剰ではなく抑えて描き、それがじわじわ身に染みる。
そして、少女たちの繊細で瑞々しい心の動き。
友情、憧れ、仄かな恋慕…。
ほんの一瞬の彼女たちの“今”。
心地よく、ずっと見ていたいと思うほど。
満開の櫻の花。
彼女たちも、満開。
見ていたら、生身もいいが、クオリティーの高いアニメーションでも見てみたいと思った。
その時は是非とも、山田尚子監督で。
名社、京都アニメーションで!
甘酸っぱい、切ない爽やかさ
この作品を見たのは、当時、長女が産まれた頃で、春の爽やかさの風を感じ、幸せな時期でした。演劇という皆が主であり、個性のある皆の中で、最も志水(中島ひろ子)倉田(白島靖代)杉山(つみきみほ)が杉山さんが、志水さんが倉田さんに想いを寄せているのを知っている中で、杉山さんは志水さんの事を好きなんだけど、自分の心の中にしまい、そっと告白し志水さんと倉田さんが寄り添い写真を撮っているところを静かに見守る、男女とは違い、でも、そこには甘酸っぱい、切ない、レビューにもありましたように、僕には、最も美しい感動的な作品です。ショパンのピアノがたまらない作品にマッチしています。
もっと称賛を受けていい作品だと思います。
2017になっても見ています。
非常に映画的。
父がじんのひろあきさんと知り合いという縁で鑑賞。
ストーリーがシンプルだったため、他の映画ならではの描写に焦点を当てて「魅る」ことが出来た。タバコに溜まった灰でその人の感情を描写しているのがお気に入り。少ないセリフで映画を描くことが映画の良さだと思った。
一方で、芝居のような臨場感を見事に演出している。それは、同じ部屋で複数演技が行われていることや、役者があるアクションを起こす前段階からスポットを当てていること、役者のシーンへの登場から描いていることなどに起因しているのだと思う。
カメラワークだけでなく、どの場所で聞いた音かということも臨場感を与えている。カメラは引きで音は手前のものを使っている場面でそれを感じた。そうした視点と聴点(?)をしっかりと考えて作られていた。
鏡を利用したシーンと、階段を横から撮影するシーンも気にいっている。
桜が毎年同じように咲くことと、青春を対比することで、終わりある青春を鮮やかに描いていると思った。
じんのさんの他の作品も観てみくなった。
美しすぎる。
スカートの裾を摘んでおじぎするのが夢。
少女漫画らしからぬハードボイルドなアクション作品を発表している吉田秋生は、本作の原作である『櫻の園』や、及川中監督で映画化された『ラヴァーズ・キス』など、胸キュンな青春漫画の名手でもある。創立記念式典に毎年チェーホフの「桜の園」を上演する女子高の演劇部員たちの心の機微を情感豊かに綴った秀作を、見事に映像化し青春映画の傑作とした中原監督の手腕に舌を巻く。携帯電話もインターネットもなく、ギャルもいない時代。名門女子高では、タバコを吸っただけ、パーマをかけただけで大問題となる時代。バックに流れるショパンの前奏曲のように、ゆったりと流れる時間の心地良さ。しかしその心地良さを感じるのは観ている我々だけであり、少女たちは決して立ち止まってはいない、彼女たちの心は様々に揺れ動き、時に疾走している。”少女”から”女”になることへの憧れと、それとは相反する強い拒否反応。同年代の男子よりずっと早く”成長”してしまう彼女たちの焦りと恥ずかしさに胸がキュンとなる。この胸の痛みは、この少女たちと同じことを自分も考えていたことの懐かしさと、2度とその時代へは戻れないと思う切なさ。大人になるためには、どれほど沢山のものを捨てなければならないのか。キャストには当時ほぼ無名の少女たちが起用され、等身大の高校生を瑞々しく演じている。達者な演技とはいえないが、そこがかえって初々しい。「桜の園」の上演開始までの時間を様々に過ごす彼女たちの姿が微笑ましくも切ない。演劇部の物語だが、劇中劇を登場させなかったことも効果的だ。開演のベルがなり、何かをふっきったかに見える彼女たちが、明るい照明の舞台へ踏み出すラストカットは爽やかだ。それは大人への第一歩なのかもしれない、そこに少しの”希望”が見え、爽やかな後味となっている。
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