小早川家の秋のレビュー・感想・評価
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貫禄と風格
松竹の大看板とも言える小津安二郎監督を東宝が招いて制作した作品です。と言っても、特に大きな出来事は起きず、娘が嫁に行くの行かないのというお馴染みの家庭劇はいつもの小津物語です。でも、本作は非常に強い印象が残りました。監督も老境に入ったせいか(本作の2年後に亡くなる)、お馴染みのローアングルの映像に凄く安定感があり観ているだけで心地よいのです。新珠三千代さんの脂の乗り切った貫禄、鴈治郎さんのちょっとした所作にも表れる上方歌舞伎俳優の粋さ。
そして、小津作品ではいつも物語にさざ波を立て、僕の御贔屓の杉村春子さんは本作でもどこか規格外れの魅力。などなど、オールスターキャストが決して出しゃばらず味わいを放ちます。東宝が監督を松竹から招いた力の入れ様が窺える作品でした。
画面に溢れる粋(いき)、そしてメメント・モリ
「午前十時の映画祭」で鑑賞。
面白かった。
今回も「なんてことのないお話を、ここまでじっくりと見せてくれるか」と感心。さすがです。
画面に溢れる「粋」。
まず、中村鴈治郎の演技と、小津の巧みな演出が素晴らしい。
セリフの絶妙の間、ギリギリのタイム感。とくに氷屋の場面に感銘を受けた。
それから、ヴィジュアルそのものが粋である。画面がビンボー臭くない。
団扇や浴衣のデザインが視覚的に心地よい。もちろん名優たち(豪華キャストだなぁ)の姿も美しい。
物語の最後に我々に送られる小津のメッセージ。
そこにぼくは小津の諦観(〈本質を見きわめる〉〈悟りあきらめる〉という二つの意味においての諦観)を感じとった。けっきょく彼はこの映画で世の無常を描きたかったのだろうか。
死の象徴である煙とカラスが繰り返し映し出されるところは、ちょっとくどいなという感じがしないでもなかったが……。
この作品も、平明で、清潔で、品があり、ユーモアがある。
そして、本作も「人間」がしっかりと描かれている。
それが映画芸術においてもっとも大切なことだ、と教えてくれているようである。
時代を超えて評価されるのには、それだけの理由がある。――今回も、そんなことを感じました。
また、タイムスリップして昭和の懐かしい空気を胸いっぱいに吸ったような気分にもなった。
つねが万兵衛の亡骸を扇ぐシーンが印象的だった。
それから、秋子の「品行はなおせても、品性はなおせない」というセリフがこころに残りました。
とても面白い
東宝の小津映画ということで豪華さもいつも以上。お話や端正な演出は何度も見慣れた感じだが、俳優の演技を堪能した。司葉子は非常に美しく、しかし原節子との揃い過ぎた動きはちょっとシンクロナイズドスイミングを見ているようだった。森繁のいやらしさはもはや不快に感じるレベルで、良いのか悪いのか。杉村春子は短い出番なのに、登場した瞬間に場をさらってしまうのがすごい。一番良かったのは新珠三千代で、家庭を切り盛りする俊敏な動きが美しい。足の裏にも見惚れた。
あと、映像、音声はデジタル化で確かにめちゃくちゃ綺麗なのだが、自分の目、あるいは眼鏡のレンズ?との相性なのかよくわからないが、輪郭部分で色が分離するような感じになって辛かった。
豪華キャストの美しさ
先ず俳優陣の豪華さが目を引く。ちょい役までも主役級の俳優が演じている。笠智衆、森繁久彌がそんなちょい役を演じているのだ。それでも、存在感と共に印象的なシーンとして鑑賞者を魅了する。主役は二代目中村鴈治郎であり、準主役が新珠三千代であり、原節子等は脇役のような扱いである。贅沢なものである。やはり、小津作品のことだけあって、映像が美しい。カラー作品であり、リマスターもされていて、発色の素晴らしさに感動する。絵画的な構図と小道具の配置、そこに色彩の美しさを考慮しているのも晩年の小津作品でもある。そのような透徹したミニマルな美しさに私たちは魅かれるのだろう。素晴らしい映像を劇場で鑑賞出来たことに感謝したい。
小津安二郎の本当の遺作
小津安二郎唯一の東宝作品を初鑑賞。当時東宝専属だった原節子と司葉子が前作「秋日和」に出演した見返りに、東宝が招いて製作したものとのこと。
前作では母娘だった二人が、本作では仲の良い義理の姉妹を演じている。二人のシーンでは、セリフの切り返し、横並びの構図、シンクロした動きなど、小津安二郎ならではの技法がふんだんに使われているが、本作では技巧的・人工的な感じが前面に出ていて、ドラマとしての深みにうまく繋がっていないような気がした。
本作の一番の見どころは、中村鴈治郎と新珠三千代の父娘のやりとり。父の妾通いを問い詰めるシーン、娘の目を盗んで出かけるシーンは、コミカルかつサスペンスフルで面白い。中村鴈治郎の軽妙さもいいが、新珠三千代が作品世界にぴったりハマっているのに驚いた。
父が急死した後、突然、特別出演の笠智衆と望月優子が出てくる川べりのシーンから、一気に雰囲気が変わる。人生の遣る瀬なさ、無常観といったものが、映像とセリフで珍しいほどストレートに表現されている。
小津安二郎の遺作は、次作の「秋刀魚の味」だったが、本当の意味での遺作は本作だったのかもしれない。
「大旦那」の最期
二代目鴈治郎の飄々とした歩き方、歩きながらするすると着物と帯を身につける様子にうっとりした。長女(新珠三千代)に嫌み言われて本気でむかつく鴈治郎お父ちゃんは憎らしくてかわいい。お父ちゃんは父親で隠居で、そして商家にとっては重石なんだってことがヒシヒシと伝わってきた。
大旦那が倒れた時の皆の動揺はとても大きかった。その後二度目に倒れて結局、京都の佐々木さん(浪花千栄子)の家で息引き取って顔に白布までかけられていたシーンにはかなりびっくりした。家族みたいに線香たいて。佐々木さん、涙も後ろめたさも勿論なくて平常心。これだけの逞しさと割り切りがなくては京都の花街の女は生きていけないだろう。でも家族も親戚も番頭もさっぱりしていて大袈裟に愁嘆しない。平和な時世、隠居位の年齢で死ぬっていうのはそういうことなんだろう。
岸には黒くて大きいカラス、川で何か洗ってる老夫婦。夫(笠智衆)の言葉が昔からの死生観なんだと思った:人が死んでも、またたくさん子どもが生まれるんだから。
人はいつか死ぬのだし、そんなに長生きしなかった時代の死はさっぱりしていたのかもしれない。親戚集まれば故人の悪口言ったり楽しかった思い出を話して必ず笑いがある。そしてふっとその人がもう居ないことに気がついて悲しくなって涙が出る、でもまだ死んだことが信じられない、葬式準備で忙しくてハイテンションにもなる。そんな人間の気持ちをあれだけの短時間で観客を納得させた杉村春子の演技には圧倒された。カジュアルな着物姿といったら杉村春子と沢村貞子が大好きだ。
原節子と司葉子の二人だけの映像が何度も挿入される。部屋の中だったり川岸や縁側だったり歩きながらだったり。特に同じタイミングでしゃがみ、同じタイミングで立ち上がるのが不自然でないのが素晴らしかった。その映像はまるで絵のような美しさだった。
大旦那が死んだら今まで通りの商売はできなくて、大会社と合併して商人がみんなサラリーマンになってしまう。それが私は一番悲しかった。
まず思いきり言いたい、
死んどるやないか!! 子ども? の罰当たりな動作も、伯母のあまりの暴言もブラックユーモアか?
他にポイントが二つ程。シスターフッドと言うかガールズトーク炸裂ですね。みんなスタイル良いなぁ。
もう一つが意図した事ではないでしょうが、絶滅カルチャーのオンパレード。今時送別会で合唱? 皆歌詞よく覚えてるな・・御膳とか森高並のフレアとか。
あ、忘れてた。オンザロック注文して水割りじゃないか?! ちゃうちゃうってイヌか!
すべてが美しく見える
まるで絵画を観ているような完璧な構図
午前十時の映画祭14。
先週の『宗方姉妹』(1950)に続き、小津安二郎監督『小早川家の秋』(1961)鑑賞。
東宝さんの熱烈オファーに松竹専属の小津監督が快諾し単身乗り込んだ本作品。
新珠三千代さん、宝田明さん、小林桂樹さん、団令子さん、森繁久彌さん、白川由美さん、藤木悠さん、加東大介さんと当時の東宝映画のスターがオールスター出演してましたね。
原節子さん、司葉子さん、新珠三千代さんの3義姉妹もお美しく、スクリーン映えして超豪華なのですが、本作品の主役は中村鴈治郎(2代目)さんでしたね。
放蕩者の老舗造り酒屋のご隠居を、愛嬌たっぷり演じてましたね。やはり上方歌舞伎で立役から女形まで演じていたので、細かい所作、身のこなしが上品で良いですね。
撮影は黒澤明監督作品を担当した中井朝一さん、照明は成瀬巳喜男監督作品『浮雲』(1955)を手がけた石井長四郎さん、美術は大映で小津監督とタッグを組んだ下河原友雄さん。
小津組に負けまいと、食卓のビール瓶、コップ、お猪口や、墓石、店前の樽、自転車に至るまで画面に映るすべての小道具がミリ単位まで配置され、とにかく調和が取れて絵画を観ているようで美しかったですね。
今のYouTubeなどは「とにかく映っていれば良い」だけなので、こういった小道具を配置して奥行きを出すだけでもクオリティはあがりそうですね。
何気ない日常の一コマを103分間飽きさせない力量はさすが小津監督でした。
小津監督の数少ないカラー作品であり上品コメディー
「午前10時の映画祭14」にて鑑賞
小津作品と言えばモノクロのイメージが強かったのですが
私の認識不足でこの作品はカラー映画!
映画が始まった時、あっ、カラーなんだ!(苦笑)
画面に最初に出てくるのは中年時代の森繁久弥。
それだけで、小津っぽくな〜〜い(笑)
京都の伏見のとある古い造り酒屋と京の町屋を舞台に、
その家族の中で起こる悲喜交々を
絶妙なテンポの中に程よいスパイスの効いた会話で
非常に上品に描いたコメディーに
私には観えましたね。
小津安二郎〜〜どうよ〜〜〜??
みたいな人には観やすい映画だと思います。
で、月に8回ほど映画館で映画を観る
中途半端な映画好きとしては
古い造り酒屋のご隠居さんを演じる
当時の中村鴈治郎さんが良い味でね、
造り酒屋を切り盛りする娘夫婦が
お父さん最近、何だかお出かけが多いわね〜
と怪しんで、こっそり使用人に後を付けさせてみると
ご隠居さん、ちゃんとそれを察知して途中で逆に
「おまいさん、こんなところで何してるんや!」
と、煙に巻こうとする。
このシーンが結構笑える。
それでもナンヤカンヤで
ご隠居さんのお出掛け先を探ってみたら
昔馴染みの浮気相手と偶然再会して
焼け木杭(やけぼっくい)に火がついたらしい。
それを察知した娘は、亡くなった母親がいつも
浮気されて辛い思いをしていたのを覚えているので
事あるごとにご隠居さん(父親)にチクチクと
嫌味を言って、それにまたご隠居さんもちょっと意地になり
「出ていくで!!」「出ていくからな!!」
玄関先で叫んだりしてる。(笑)
そんな話が伏見の造り酒屋の古い日本家屋や
京都の町屋を舞台に繰り広げられ
日本家屋の何気ない美しさが伝わってきます。
映画のタイトルは「秋」になってるのだけど
物語は「夏」の話。
だからずっと蝉の声が画面に流れ、登場人物は
扇子や団扇をずっとパタパタしてます。
今と違って夏の暑さをしのぐための
京町屋の風通しの良い感じが伝わってきます。
昔は風が気持ちよかったのでしょうね。
最後「夏」が終わって小早川家に「秋が来た時」に
この映画は終わって行きます。
時代の波に飲まれそうな古い造り酒屋。
家族の思惑より、自分の本心を優先する
家族の中で一番年下の娘。
何かを変えるのでは無く、
そのままの状況を受け入れようとする、
厳密に言えば家族とは血が繋がっていない嫁。
憎まれ口を叩くことで、悲しみを紛らわそうとする
親戚の振る舞い。
それぞれの立場で、「小早川家の秋」を迎える。
色々と余韻を感じる映画でした。
関西と東京のテイストが混じり合う不思議な味わいの作品
小津が亡くなる前々年に宝塚映画からの招聘を受け、東宝の藤本真澄プロデュースで撮った作品。
昨年、茅ヶ崎美術館で開催された「生誕120年没後60年小津安二郎の審美眼」展で封切り時のポスターをみたが五社協定によるそれまでの限界を大きく超えるまさしくオールスター映画といえるものだった。
舞台は伏見、京都。大阪(京橋あたりか?)や奈良西大寺の競輪場も出てくる。出演者は基本、関西弁を喋っているが(原節子を除いて)、原節子はもちろん、出番の多い加東大介や司葉子も大船家庭劇風の瀟洒な感じを色濃く残している。一方で松竹の役者と、関西の風土、関西系の役者との絡みも妙にマッチングしていて(冒頭と終わりの方にある加東と森繁の絡みが絶品)なんともいいようのない間合、テイストが味わえる。
そしてともかく素晴らしいのは道楽者の小早川万兵衛を演じる中村鴈治郎。丈の身のこなしを十分に観ることができるだけでもこの映画を観る価値はある。
「充電させてもらえませんか?」の人が歳を重ねたような主人公(?)
松竹でなく東宝ロゴで始まる小津監督作品というのが新鮮
午前十時の映画祭14にて鑑賞
さすが4Kリマスターだけあって、1961製の作品とは思えない鮮やかで見事な映像に大満足
「東京物語(1953)」みたいな超メジャー作品ではない小津作品を劇場のスクリーンで観るチャンスは相当に稀なので、とても有意義で至福の体験でした
内容は他の小津作品同様、家族・親族でわちゃわちゃする日常を淡々と描くというもので安定・安心の面白さで楽しめます
個人的には新珠三千代さんがものすごく綺麗で素敵な女優さんだなあと思いました
本作ではそんな新珠さんが演じる目力&気の強い長女と中村鴈治郎さん演じる父親のバトルシーンが最高に面白い
原節子さんは今作では泣くシーンがなく、司葉子さん演じる義理の妹やその他の人々が泣くのをケアする側に回っていて、それなりにベテランの域に移行し世代交代を感じさせた
カラスを入れた風景ショットは小津映画らしくなく、ホラー映画か!と突っ込みたくなる気持ちの悪さ、とても不気味で救いはモノクロではなかったこと(笑)
とまあ、本作もずっと観ていたくなる小津ワールドの名作の1本でした
8時23分でした…
小津映画は古き良き侘び寂びの日本文化を体現しており〜みたいな言説を見かけるたびにいやいや違うだろと思う。
個人的にはもっとこう、ブラウン管から流れてきてほしいというか。だって考えてもみれば我々を生き写しにしたような素朴な人々が素朴に動いてる映画なんだからそもそも必要以上に気張る必要なんかないよな、と思う。そんなわけで本作も自宅で大笑いしながら見た。
もう本当に所作の至る所に人間の微笑ましい愚かしさが滲み出ていて、特に笑いどころでなくても顔が弛緩してしまう。孫とかくれんぼするフリをして京都まで逢瀬に出かけるジジイのせせこましさよ。そんなジジイを見つけてバンバンと銃で撃つフリをする孫も孫だ。お前『お早よう』に出てた頃からなんも変わってねーな!
ジジイが愛人の家で死んでいる(死ぬのではなく既に死んでいるというのがよすぎる)のを息子と娘が見たときの反応もいい。8時23分でした…と団扇を冷静に仰ぐ愛人も間が抜けている。
しかし本作のMVPは杉村春子演じるジジイの妹だろう。彼女は葬式の席に現れるや否や死んだジジイの不謹慎な悪口を矢継ぎ早に連発する。前に倒れた時に死んじまったらよかったんだ、と。そうかと思えば「…でも本当に死んじまったら終わりじゃないか」と不意に涙を流す。この緩急がたまらない。それにつられて長女の新珠美千代が涙を浮かべるのも素敵だ。
ジジイの破天荒な生き様と死に様を目の当たりにした次女の司葉子が「自由に生きてみたい」と言って想い人の暮らす北海道へ行くことを決め、それを長男未亡人の原節子が「私もそうするのがいいと思ってた」と鼓舞するシーンは少し切ない。既に子持ちの原節子は少しばかり胸中にわだかまっていた夢と欲求を、若々しい司葉子の決断に一切合切明け渡す決心をしたのだと思う。
ラストシーンは爽やかな秋晴れの空だというのに終始不穏なBGMが流れていて怖かった。火葬場付近の水場に集まるカラスたちも何か不吉な予示のように思えた。
近代日本の家族制度をフラットに見つめ続けた小津安二郎は、図らずしてその崩壊の予兆を作中の節々に覗かせていた。本作もまたそのような未来予想図の一つとして、しかしなおかつ優れた家族映画としてこれからも長く記憶されるべき一作であると思う。
個人評価:3.6 原節子が美しくまた優しく、なんともうっとりと眺め...
暗めの小津作品
冒頭のバー、森繁久弥が若くて面白い。彼と原節子の縁談話と隠し子?の話。しかし、親戚関係が難しい(劇中でも藤木悠が言っている)。
全体を通してみると、結局は万兵衛の病気・死がメイン。造り酒屋も衰退の一途を辿っていたのも父親のだらしなさが原因かと思っていたら、死んで初めて父親の偉大さに気付く家族。夏から秋にかけての縁側と茶の間の会話が叙情的。
終りの方になって、笠智州がようやく登場し、重い葬送の音楽と火葬場の煙突が青い空と妙なアンバランスで訴えてくる。最後だけ見るとホラーかと思ってしまう・・・
小津監督作品の番外編ながら名品だと思います
原節子41歳
まだまだ十分に美しいです
ですが流石に娘役はもう無理で、大きな子供のいる後家さんの役で司葉子の相談相手という脇役としての登場です
原節子と小津監督のコンビは本作が最後となりました
彼女は冒頭から登場しますが本作では主人公ではありません
実質的な主人公は造り酒屋の主人の小早川万兵衛です
中村鴈治郎が見事な演技を見せます
その周囲に様々な女性が衛星のように巡る物語です
関西を舞台に東宝のスターを使った特番的風情ですが、そこは小津監督です
大満足のクオリティで圧倒されます
とにかく新珠三千代が素晴らしく、小津監督の作風に大変にマッチしています
彼女の持つ気品と気位がピタリとはまっているのでしょう
司葉子が本作のヒロインなのですが、現代的な雰囲気が今一つ溶け込んでいないように思えました
小津監督作品の常連俳優も登場します
加東大介も冒頭から登場して森繁久彌とつばぜり合いをして見せますが、少し遠慮がち
というか森繁久彌が前に出過ぎ気味です
笠智衆は顔見せ程度のチョイ役で本当にゲスト出演という体
杉村春子も出番は少ないもののクライマックスでの放言しての笑いから号泣への自然な移行の演技は見事
小津監督作品の番外編ながら名品だと思います
心から楽しめる作品です
新珠を撮った小津
20年近くの間を空けての鑑賞。この間に自分自身も歳をとり、映画の観方も変わってきた。
この作品は小津安二郎が、所属の松竹ではなく、当時の新興映画会社である東宝で撮った。しかも、東京ではなく宝塚映画であり、舞台は関西である。松竹製作ではないという以上に、関西が舞台であることに小津作品としての特殊性があるといえよう。
原節子以外の役者はみな関西の言葉を使っているのだが、そのイントネーションにはぎこちなさを否定できない。名優・杉村春子をしてそうなのだから、観ているほうも諦めがつく。
しかし、当然関西出身の役者のそれは堂に入っており、中村雁治郎や浪花千栄子は言うまでもなく、新珠三千代(奈良出身)が圧倒的な存在感を放つ。
原、杉村、司葉子など松竹の女優の中で、一歩も引けをとることなく、ついつい老父に辛くあたる娘の役を演じている。川島雄三の「洲崎パラダイス 赤信号」でも見せた勝気な女性、それを後悔する女性を見事に表している。
小津は、華やかな松竹の常連たちを周囲に配しながらも、雁治郎と新珠の父娘の物語を浮き上がらせている。例によって、司と原の結婚話が出てくるが、それを横糸にしながらも、消えゆく老舗の造り酒屋を盛り立ててきた父を娘が送り出す縦糸にドラマを織りあげている。
この作品の最大の見どころは、新珠と雁治郎の丁々発止のやり取りである。全てお見通しの新珠の口撃に対する雁治郎の切り返しは、同じく小津の「浮草」の京マチ子と雁治郎が雨降る軒下での口論を思い出させる。
もちろん、「浮草」での口論は冷たい雨の降る中の寒々しい言い争いなのだが、こちらのは親子であるが故の遠慮なしの物言いがむしろ滑稽で、コミカルなものに仕上がっている。
このコミカルな雰囲気は雁治郎が亡くなっても続くのだ。それは、ミンクのコートを買ってもらい損ねたと言って、肉親的な感情を出そうとはしない団令子。どうせなら一度倒れた時に死んでいてくれれば二度も出てこなくて済んだという杉村。極めつけは、「そうか、これで終いか、、」だけ言うて死んだと、自宅から駆け付けた家族に淡々と説明する浪花である。影の女としての後ろめたさや、遠慮など微塵も感じさせない。
観ているこちらが可哀想になるほどに、雁治郎の死を囲む人々は淡々としており、悲哀よりも笑いを誘う。そんなコメディだからこそ、新珠のカラッとしたイメージが活きる。
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