劇場公開日 2014年6月7日

「全く色褪せない永遠の名作」ゴジラ(1954) 近大さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0全く色褪せない永遠の名作

2012年3月11日
フィーチャーフォンから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

悲しい

怖い

興奮

今日で東日本大震災から丸1年。
僕は福島在住で、未だ原発や放射能問題は消えないが、今日の特番を見ながら、日本映画で最も核や放射能の恐怖を描いた映画は、1954年公開の『ゴジラ』以外にないだろうと、ぼんやり思った。
直接的に描いた訳ではないが、ゴジラという姿を借りて、反核・反放射能を訴えている。
人類が作った科学によって生まれた核の落とし子が、人類文明を破壊し尽くすという皮肉な光景は、当時の人にとっては、どれほどの恐怖や警鐘だったろう。

この映画を何度見た事か。
上記のようなメッセージを含んだ社会派映画としても一級だが、やはり特撮怪獣映画として非の打ち所のない無駄のない傑作である。
冒頭の不穏な事件から、ゴジラの出現、上陸してからのゴジラの猛威と恐怖、それに対して迫られる人類の決断…怪獣映画の図式が全て出来上がっている。
『ゴジラ』以降の特撮怪獣映画がどんなに頑張って新発展しようも、この図式が消え去る事はない。
名作の輝きである一方、他の特撮怪獣映画にとっては呪縛というべきか…。

1998年にハリウッドでゴジラ擬きの怪獣映画が公開されたが、その何と愚かな事か!
ゴジラ擬きの怪獣はフランスの核実験によって誕生し(ここで既にアメリカはビキニ環礁での水爆実験の罪を忘れようとしている)、アメリカに上陸したゴジラ擬きの怪獣は、米軍の攻撃で呆気なく退治される。
これがゴジラ擬きの怪獣なら別にイイのだが、“ゴジラ”と題している以上、許されない事である。
ゴジラは人類を超越する存在。それが、ゴジラの存在意義であり、恐怖としての象徴。第1作目はまさしくそうだった。
しかし、米軍の攻撃で呆気なく命を落とすゴジラは(本当はゴジラ擬きと言いたいが)、恐怖の象徴でもなく、存在意義も無い。
どんな化け物だろうと人類を超越する事は出来ず、人類というよりアメリカは世界一という恐ろしい姿である。

話を第1作目に戻すが、そんな恐怖の象徴も遂に退治される。恐ろしい科学兵器によって。
果てしなく暴走する人類科学への警鐘他ならない。

ゴジラが死ぬラストは意味深い。
人類はゴジラを倒す為、ゴジラを超越する科学兵器を作った。
それは紛れもなく人類の罪。
その罪を背負ってゴジラは死んでいくのだ。

公開から60年経とうとしているが、その意味の深さやメッセージは全く色褪せない。
今後再出発するであろうゴジラ映画の為にも今一度見返すのも意義がある。

近大
しゅうへいさんのコメント
2018年6月26日

コメントありがとうございます。
近大さんのレビューも読ませていただいてます。
視野が広がるようで、新たな気付きもあり、楽しく拝読させていただいております。
ゴジラのことが大好きだという想いが、レビューの文面から伝わってきます。

しゅうへい