豪姫

劇場公開日:

解説

秀吉の養女にして奔放な豪姫と、利久亡き後の猛将かつ反骨の茶人・織部。権力者・家康になびくことなく自由を貫いた2人の生き様を重厚なタッチで描く、脚本・監督は「利休」の勅使河原宏。共同脚本は同作の赤瀬川原平。撮影は「陽炎」の森田富士郎がそれぞれ担当。

1992年製作/142分/日本
配給:松竹
劇場公開日:1992年4月11日

ストーリー

天正19年、時の権力者・豊臣秀吉の命により、茶頭・千利休は自刃。山城の大名であり、利休の高弟でもあった古田織部が、その後釜として秀吉の茶頭を命ぜられる。そんな織部を“オジイ”と言い慕う男まさりの豪姫は、加賀の大名・前田利家の娘だったが、生まれてすぐに秀吉の養女となった。そんな折り、京都の二条河原に自刃した利休の生首が晒されていた。それも利休の木像に踏み付けられる形で。一代の茶人であった人物を愚弄する卑劣な所業に憤りを覚えた豪姫は、織部の屋敷に仕える庭番・ウスとともに利休の首を奪い去る。ウスは奪った首を利休の娘・お吟に届けるが、首を見たお吟は突然自刃。実はお吟は利休の妾だった。それに動揺したウスはひとり都を離れた。その後、彼は山中でジュンサイと名乗る老人とともに暮らす。ジュンサイは高山右近の家臣であったが、キリシタンであった右近が秀吉の禁圧に抗して大名をやめてしまったため、落武者の身となっていた。慶長3年、秀吉死亡。同じく5年、関ヶ原の戦いによって徳川家康が天下を治める。ジュンサイは右近に徳川討伐の決起を促すが、その申し出を断られたジュンサイは失意のうちに非業な最期を遂げる。慶長8年、江戸幕府が開かれ、ウスが山に消えて以来、20余年が経った。織部は、関ヶ原で徳川側についた功で、二代目将軍・秀忠の茶頭に任命されるが、自由な芸術活動を続ける彼と、権力者然と振る舞う家康との間には次第に深い溝ができる。豪姫は宇喜多秀家に嫁いだが、関ヶ原で豊臣側についた秀家は、息子達とともに八丈島へ流刑されてしまう。そんなある日、ウスと運命的な再会をした豪姫は、ウスを自分の屋敷に客人として住まわせる。徳川監視下で何もできず、気力が失せかけていた豪姫は、利休の命日に織部、右近、細川忠興を招いて茶会を開くが、徳川の圧力により、結局、訪れたのは織部ひとりだけだった。そのころ、織部の重臣と息子が、徳川への謀反を謀った嫌疑で逮捕され、織部にも閉門命令が下った。そして豪姫の屋敷の周囲は徳川の兵士によって埋め尽くされて、やがて織部は切腹、非業な最期を遂げるのだった。

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映画レビュー

2.0作品は豪快ではなかった

2018年6月16日
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鑑賞方法:DVD/BD

難しい

寝られる

秀吉の養女・豪姫の生きざまを描く、名匠・勅使河原宏による歴史ドラマ。

豪姫。
利休死罪の後、茶事を任される事となった古田織部。
秀吉、そして家康。
歴史上の人物や知られざる逸話は、歴史好きには堪らないだろう。
が、歴史にちと疎い者としては…。豪姫も古田織部も、恥ずかしながらお初…。

時代や運命に翻弄されながらも、豪快で自由奔放な生きざまは確かに波乱万丈。
が、如何せん話のメリハリに乏しく、小難しく…。
話の方もよく分からなかった。

昔『利休』を見た時もそうだった。
勅使河原監督の格調高い演出。
キャストの重厚な演技。(宮沢りえは熱演しているが、今よりかは拙いけど)
芸術の域である美術などの様式美。
それらは素晴らしいが、ただそれらを睡魔と闘いながら眺めるだけだった。

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近大

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