河内山宗俊のレビュー・感想・評価
全10件を表示
守りたくなる原節子
アマプラ(日活プラス)で鑑賞(4Kデジタル復元版)。
無為な日々を過ごすふたりの男が、唯一心和む存在である少女お浪の危難に立ち上がり、彼女を救うため一計を案じる。
「わしはこれで人間になったような気がするよ。(中略)そのために喜んで死ねるようなら人間、一人前じゃないかな」。
本作のテーマを端的に示した市之丞のセリフが沁み、生きる目的を得た男たちが命を燃やして戦う様に心震えました。
クライマックスの立ち回りは、巧みなカメラワークとテンポの良い編集によって手に汗握り、ハラハラさせられました。
とても戦前とは思えない、色褪せてない演出だな、と…
男たちの行動の原動力となるお浪を演じる原節子の、15歳とは思えぬ演技が素晴らしい。守らずにはいられない儚げな佇まいが、天性で身に纏った雰囲気と共に画面から溢れ出す。
その才能を発掘し抜擢した山中監督の慧眼恐れ入る。誠に非凡な才能を持った監督ですし、若過ぎる死が惜しまれます。
わしはな、これで人間になった気がするよ。
講談好きには見逃すことができない作品。と言っても、DVDで持っていながらなかなか観ることもせず流していた作品でもある。
河内山宗俊、金子市之丞の友情物語、という趣向。直侍や三千歳は出てこない。丑松は出てくるが役どころが違っていた。憎まれ役が松江侯というのは同じだった。こういう作りは、山中監督の別作品「人情紙風船」でもそうで、下敷きの髪結新三から随分と脚色してあった。アウトローに堕ちても筋だけは通したい、男のダンディズム。エンディングの描き方に物足りなさを感じはするが、いいキレ場だと解釈すればよしか。
終映後、トークあり。/古賀重樹氏、瀬々敬久監督。
最後のタテの無常観について語る。とてもリリカルだとも。瀬々監督のピンク映画「未亡人初七日」のスジは、まるで河内山宗俊なのだそうだ。気になるな。この映画は、特集「時代劇が前衛だった」の一本。そのムーブメントを、作者主義・カルト主義ではなく集団、特権をもったものではなく運動、と語られていた。
死生観
何か「きれいなもの」のために死にたい、という憧れのような死生観がこの映画の根底にあるように思います。
きれいなもの、とは愛や純真無垢さ、思想、芸術など、人によりさまざまですが、自分が思った「美」のために身を捧げられるということが、死生観の一番高いところに見えた印象です。
一方、小柄を無くした家老の北村は、死を選べるはずが、切腹を口にしながらもうろたえて回避しようと保身に動きますが、金子から五十三まで生きれば出来のよいほうだと言われます。また、お静はそんな死生観を知る由もなく、お浪の純朴さに惹かれることを単に色恋ごとにしか見られません。
山中貞雄監督自身、徴兵制や戦争があった時代に生き、若くして戦病死となり自分で死に様を決められませんでした。こんな時代背景を思うと、この映画の重みを感じざるを得ませんでした。
すっきりしない話だな
この作品を酷評すると映画ファンとしてレベルが低いと言われそうなんだが。私はこれの脚本がよくかけてると思えない。こんな根っからしょうもないド腐れ野郎が急にシャキッとするかっての。そのシャキッとするところまでの話の内容があまりうまく描けてないので、急に・・っていう感じがするのだと思う。ドクサレ野郎が頭にくるもんだから主人公たちがドクサレ野郎のために頑張ってるみたいな感じになってしまっている。心中しようとした幼馴染が女郎屋でどのような地獄な目に遭っているかを知る。・・というところをしっかり描いていくと、多分そこがちゃんとできたんじゃないかと思う。しかし、それを描くと地獄すぎるので描けなかったのかもしれない。時代を考えると予算のせいかもしれん。それから手に入れた300両はどこに行ったか描かれてないので、すっきりしない(台詞が聞き取れなかっただけかもしれない。)。本当にその300両持って、そこへ行ったら取り返せるかどうかも。そして取り返した後、どこへ行くんだ?
全体的に脚本が手抜きな感じで、もうちょっと頑張ればもっと良くなったのに残念だという印象を受けた。しかしまあ、時代を考えると、それもいたしかたなかろう。いや、むしろ最初の伏線がクライマックス前のところで見事に生きてる点なんか驚嘆すべきなのかもしれない。
それにしても、この時代の人たち。真冬だというのに、なんて薄着なんだ。
凄い‼️
時代劇なのに時代劇に見えない‼️完璧なエンターテイメント。時代を考えたらそら恐ろしい‼️脚本に始まり演出、カット割り、カメラアングル、全て完璧である‼️それに付けても原節子の15歳・・・驚嘆する‼️せめてもう少し作品が残っていたらなぁ~。小津の進化系が見れたかもしれない!
15歳の原節子
居酒屋に居候する河内山宗俊と、用心棒の金子市之丞の2人はその日暮らしの生活をしていて、甘酒屋の娘・お浪は心の慰めだった。ある日、お浪が弟・広太郎の借金のために身売りすることを知った宗俊と市之丞は、彼女を救うため一芝居をうち・・・てな話。
これもコメディ時代劇で楽しく観れた。
お浪役の原節子が当時15歳だったらしく可愛かった。
山中監督作の中で、現存するのがわずか3作品どの事で、残りの1作品も観たいと思った。
日本映画は既にトーキー黎明期にして、これほどの高い実力があったのです
見事な娯楽作品です
緩急自在、的確な演出、何より良くできた脚本
これほどのクォリティで娯楽作品を作れる山中監督の才能は恐るべきものです
長生きしたならどれほど名作を量産したかもしれません
原節子15歳のデビュー作で有名です
確かに可憐で可愛いですが、どちらかと言うといまの15歳よりも大人びています
現在の15歳が子供過ぎるのかもしれません
それよりも河原崎長十郎、中村翫右衛門の演技は見事なもので、こちらの方に目を奪われてしまいます
日本映画は既にトーキー黎明期にして、これほどの高い実力があったのです
若き日の原節子と壮絶シーン
甘酒を売ることで弟との二人の貧しい生活を支える少女の役を原節子が可憐に演じる。しかし、その弟がだらしない。盗み、女郎の足抜けに加担などやりたい放題の揚句に、姉を身売りするところまで追い詰めることになってしまう。
遊び人の河内山宗俊らが、その少女の健気さに義教心を打たれて、やくざの手から逃れさせることになる。そこへ至るまでの宗俊とその妻の葛藤がドラマチックである。いい歳をした夫が若い女にほだされていると誤解し嫉妬の塊となっていく妻を、宗俊ははじめは冷たく突き放す。自分の嫉妬心すらも顧みられず、ますます怒り心頭の妻に対して、いよいよ自宅にやくざたちが押しかけてきたときに、彼は「お前は河内山宗俊の妻」なんだという言葉を残して去る。このたった一言で、妻は夫の義侠心と自分への信頼を確認し、やくざの追っ手に対して毅然とした態度で臨むのだ。
このような決定的なセリフが映画の随所に現れるなかなかの脚本だ。
しかし、画のほうも素晴らしい。水路にバリケードを築いて追っ手を阻む河内山宗俊が、その障害物を必死で支える背に刃を受けてなお立ち続けるラストのシーンは、いったいこの後どれほど多くの作品に受け継がれた構図だろう。やはり、カメラのほうを向いた被写体がその背中を襲われて苦悶の表情を見せるというシーンは壮絶である。
もう一度ゆっくりとセリフを味わい、アクションシーンの構図を確かめながら鑑賞したい一本である。
全10件を表示