狂った一頁のレビュー・感想・評価
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難解
サイレントだから台詞わかんないし、あらすじと場面から推測することしか出来ないんでこの映画の本質とか真意をちゃんと汲み取れてるか自信ないです。
にしても後半の展開はよくわかんなかったな。
まず脱走を企てた理由。
家族で幸せに暮らしたい?
妻に娘の花嫁姿を見せたい?
とかならしっくりくる気がするけど、娘は精神病の母の存在を旦那に知られたくないわけだから普通は来て欲しくないよな?
そして脱走時の暴動とその後。
ここがマジでわかんなかった。
先生殺しちゃった?あれ?生きてる?
そしてあんなことした男が普通に働いてる?
結局どういうこと?
難解な映画だったけど、演者の迫真の演技は凄かったな。マジで。特に妻をはじめとした精神病患者の面々。
ノウズイはものを思うに ものを思うにはあらず。そして“さん”をつけろよ!このデコスケ野郎!問題。
いきなり訳わからんタイトルでごめんなさい。
大好きな筋肉少女帯の「サンフランシスコ」って曲の一節なんですね。モロに『ドグラマグラ』のパクリです。後半は脱線話への伏線←またか!
そういえば『ドグラマグラ』って映像化されていなかったっけ?と思いアマプラへGo!でした。←強引すぎる導入部。
実写版はあるにはあったんですが、ストリーミングではラインナップされておらず。
アニメーション作品ならあったんですが、OVAだったのか?.com様でのデータがありませんでした。タイトルだけ借りた全く別物作品ぽかったし。
妙に自己顕示欲の強い私のことですので「せっかく観てもレビュー書けへんのんはイヤや!」と思い、鑑賞しなかったんですよね。←めっちゃいやらしい性格!
なので、他に候補として挙がっていた本作を鑑賞することに決めました。
尺も1時間ほどで、サクっと観ることができそうでしたので。
1時間ってことは、ニューサウンド版ってことなのかな?←Wikipedia調べ
79分のサイレント版って、もしや音楽すら鳴っていなかったのかな?
制作年が1962年、つまり大正15年=昭和元年の作品ということにも気を引かれまして。←大正ってマジか!
かの川端康成原作・脚本じゃないですか!←マジか! 読んでいませんけれど。
“トーキー映画”以前の作品じゃないですか!←マジか! こういうの初めてです。
当然モノクロ映画です。
そーゆーのが、めっちゃ琴線に触れたんですね。
初っ端から、気がふれて踊り狂う娘のシーンで、既に禍々しさ全開です。
おどろおどろしい絵面に合わせて流れるBGMが、本当に怖いです。そして困ったのは“無声映画”だったってこと。台詞が全くないので、お話の5W1Hが、まるでわからないんですね。読唇術でもできないと、お話の筋を追うことなんて、とても無理。
ただひたすら、狂人たちの奇行を描いてるだけの作品に思えたの。前衛的にも程があるって感じ。その趣がよかったんですけれど。
なもんで、お話を紹介しようにも、できないんですよ、本当に。なので、アマプラの表題下の紹介文をコピペしますね。
「精神病院のブースメッセンジャーとして、精神障害のある男性と妻を見守る彼は妻帯者であり妻は重病患者であり、男性は彼女を救うことができると確信し、ある夜彼は彼女を病院から連れ出そうとし、彼女を混乱させ、激怒させた。それは失敗に終わります。」
って、なんなん、この怪しい翻訳?(笑)
一部始終、観ているこちら側まで精神錯乱に陥りそうな映画なんですよ。
スタッフ一覧に「特撮補助」として、かの円谷英一=円谷英二のお名前があったのですね。←マジか!
だからかもしれないのですけれど、本作、特殊っぽい撮影技術が多用されているんですね。
導入部での雷を絵(?)で書いて、映像と重ねてみたり。
多重露光を多用したり。
何という手法かは、わからないのですが、映像をぐにゃぐにゃと歪ませたり。
当時としては画期的な手法っぽいですね。何しろ撮ったのが、大正15年ですからね。
えっとね、尺もかなり余ったっし。ついでにこの際ですから、悩んでいることを書かせてくださいな。
俳優に“さん”を付けるのか付けないのか問題。
故人に対して“さん”を付けるのか付けないのかには答えがあったのですね。
【敬称をつけない場合】
●歴史上の人物(歴史上の人物として定着したかどうかは没後30年をめどとする)
織田信長さんとは言わないもんね。
でもね、ご存命の著名人に関しては、大いに悩むところなのですよ。
私のレビューね、監督・俳優に“さん”くれるかくれないのかが混在してるんですよね。
きっと初期のころは“さん”を付けていたと思います。なので
「“さん”をつけろよ!このデコスケ野郎!」
「そんかし、俺が勝ったらちゃんと“さん”くれろ。“ペコさん”。そう呼べ」
って自分でも思うところあるのですが。
色々と調てみたのですけれど。“さん”くれなくてもいい理由が、こう記されていたんですよ。
【NHK放送文化研究所】の見解です。
“さん”は名前の後について、敬意や親しみの気持ちを表す敬称です。しかし自分の実生活とは直接関わりのない、客観的な存在、例えば歴史上の人物などには“さん”を付けず、呼び捨てにするのが一般的です。
“さん”を付けるのは、その人の生前の姿が多くの人の記憶に残っている場合や、その人に特別な親しみを感じている場合になります。
“さん”を使わなくても、○○総理大臣や、○○医師など、名前の後ろに付ける肩書きがある場合は、その肩書きで紹介することができます。しかし、作家や俳優など、名前の後ろに付けづらい肩書きもあり、その場合、名前の後に“さん”を付けるべきか迷うようです。
って…俳優については何の解決にもなってないし。
もう少し深掘りで調べてみました。知恵袋の過去回答からの引用です。
●タレントにとっては、敬称なしに語られることが、ステータスシンボルでもある。著名であるということの証なのだ。(野口恵子『かなり気がかりな日本語』の抜粋)
こうも記されておりました。
●芸能人を“さん”付けで呼んではいけないということではなく、“さん”付けをすることで、著名人を一般人に格下げし、かえって無礼に当たる。
●芸能人の名前にさん付けするのは、芸能人と一般人の距離感が縮まった現在においては、何ら問題ないというべきでしょう。
●“さん”を付けることで、距離感が出る要素もあり、一方で親近感が出る場合もあります。
ともありました。
結局は、どっちなんや。付けても付けなくても、なんか釈然としませんが。
きっとこちらの多くのレビュワーさの方々でも意見が大きく分かれるところでしょうね。
ややこしい案件。破蛇つつくんじゃなかった。
ちなみに私は“さん”付けをしていらっしゃる方々を非難したり否定しているわけではありませんよ。
むしろ、立場はどうであれ“さん”くれるのが礼儀の正しい姿勢だと思うです。
私の場合は便宜上、前述の引用文の「個人的な繋がりがなければ“さん”を付けないのが常識です」と「タレントにとっては、敬称なしに語られることが、ステータスシンボルでもある」がしっくりくるので、呼び捨てにしているのに過ぎないのです。確固たる信念なんてないんですね。←風見鶏。一番アカンやつ(笑)
そして、お詫びの意味を込めて、姓だけで書く時は“さん”くれるです。どっちやねん。統一しろし。
精神病院で踊り狂う女。
1926年(大正15)の無声映画。活弁士、片岡一郎。キーボード演奏、上屋安由美。この生の臨場感があって1,900円なのだから、エンタメとして映画は安い。
だけど、作品として自分にはよくわからなかった。片岡活弁士も冒頭、古典だからとってすべてが優れている(面白い)訳ではなくその価値が重要、的なレクチャーをされていたが、その意味はわかった。その点では★4、鑑賞後の満足度と作品の理解度でいえば★1、真ん中とって★2.5か。時代劇だったら、もう少し楽しめたかも。
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