蜘蛛の瞳のレビュー・感想・評価
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「虚無は不幸じゃない、新しい何かの始まり」
娘の復讐を果たした新島。その後空虚な日々を過ごしている時に、高校の悪友岩松と再会。彼の会社に誘われ、殺しを請け負う裏稼業の手伝いをする。やがて上部組織の依田から、岩松の行動を報告するように言われるが。
序盤のいきなりの展開に戸惑いました。「蛇の道」の続編であり、それは未だ観ていないので、それを観てからが良さそう。どこかシュールなところは、黒澤清監督ならではの雰囲気、慣れが必要かな。
西新宿でアクセル&バック
『蛇の道』では哀川翔が復讐を果たし終えるまでの壮絶な過程が描かれていたが、本作では彼が復讐をあっさりと果たしてしまったところから映画が始まる。
哀川翔演じる新島は愛娘の仇討ちを果たし終え、妻とのつつましい暮らしに戻る。しかしそこには実感というものが完全に欠落している。復讐の炎は今や灰となっていた。
生活の空虚さに苛まれる新島のもとに現れたのは学生時代の旧友である岩松(演・ダンカン)だった。彼は新島にビジネスを持ちかける。新島は思案の末、勤め先を辞めて彼の話に乗ることにした。
岩松の会社は実のところ単なる暴力の代行屋で、新島は岩松の指示に従い再び殺人に手を染めていく。復讐に燃えていたあの頃の実感を取り戻すかのように。
このように物語の筋は至極単純なのだが、とにかく演出が面白い。ローラースケートで事務所の中を駆け回る岩松の手下たち、唐突な釣り、化石採掘場で繰り広げられる鬼ごっこ、西新宿の車道でアクセルとバックを繰り返す車、部屋の中で傘を差す大杉漣。それらのめくるめく視覚的快楽はしかし、物語とは一切の関係を持たない。
物語の面白さとは全く別の次元で動きの面白さを展開する黒沢清の演出には、翻って物語に比して過度に運動を特権化させない意図を感じる。動きの面白さが物語の面白さの根拠になってしまって場合、それはつまり「運動こそが映画である」という出来合いの価値観への跪拝を意味する。あるいは「運動さえあれば物語など要らない」という怠慢に陥りかねない。
黒沢清は物語の面白さと動きの面白さを一切交差させないことによって物語と動きの二項を同時に相手取っている。どちらか片方に逃げ込んでいない。そういう意味では非常に誠実な作家だなと思う。
哀川翔の翳りのある演技はもちろんのこと、岩松役のダンカンがいい。単なる浅薄な愚か者のようにも思えるが、いまいち実像が見えない。歯切れの悪い曖昧で不気味な存在感。それが岩松の会社の胡散臭さを倍加するとともに、いずれ彼らに降りかかるであろう不幸な破綻劇をも予期させている。
人間の内面なんてものは見えるはずがなく、そこには物体としての人体とその力学的作用だけがある、ということ。
蛇の道も好きだけど、香川照之の味がすごいのと、 ややヘビー感が強い...
傑作虚無ホラー
蛇の道との共通点は新島という名前と娘の扱いぐらい
ラストの愕然とする感じも一緒か。
「ある男がスカイダイビングをした。途中で男はパラシュートをしていないことに気づいた。男は気が狂うほどの恐怖を味わって失神した。ふと目をあけると男はまだ空を落ち続けていた。もう気が狂うことも失神することもなかった」
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