獄門島(1977)のレビュー・感想・評価
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千鳥の大吾の出身地周辺で起きた恐るべき事件
総合55点 ( ストーリー:50点|キャスト:65点|演出:65点|ビジュアル:70点|音楽:65点 )
舞台となった岡山県笠岡市沖の島だが、私の持つ印象といえば吉本芸人である千鳥の大吾の出身地なのかというくらいで、現代ではもう怖い因習の残る怪しい田舎ではなくなってしまった。たくさんの人が一度に登場するし、島の古くからの因習やら設定があるので状況把握に苦労する。ネットで誰が誰なのか調べながら観た。
そして犯罪は特に事前に事件にまつわる材料をしっかりとした伏線として準備するでもなく、動機も示すことなく、いきなり犯人がわかり謎解きになる。若い女が無惨に殺されたのにみんなへらへらしていて恐怖も緊張感もなく不自然、警察は相変わらずの無能でわかったわかったを連発して何も捜査に進歩がない。犯人はなんとなく予想出来たのだが、その犯罪の背景の整合性には突っ込みどころだらけで疑問が残った。
横溝正史の原作から出来た映画を何本か観てわかったのは、隔絶された古い因習が残る地方を舞台にした奇妙さの中にある怖さからくる雰囲気を楽しむもののようだ。しかし犯罪の仕組みという意味では全くたいしたことはない。
物語がどうもはっきりわからないのでネットで確認してみたら、島の外から来た小夜の三人娘が気違いでこの三人の誰が跡を継いでも家が衰退するということで嫌われたようだ。そういえば仲が悪いようでもないのに、姉妹が死んでも悲しみもせず気にしないし、それも納得できる。
海賊と流人の子孫の島、獄門島。冒頭のナレーションが怖い。 そしてキ...
海賊と流人の子孫の島、獄門島。冒頭のナレーションが怖い。
そしてキャスティング、おー大原麗子だ、大好きだ。坂口良子もいる、期待感溢れる。
鑑賞しながら、昔読みまくった横溝正史の小説、どハマりした古谷版横溝正史シリーズのドラマが懐かしく思い出された。よおーし、わかった、犯人はあいつだったな。
そして結末。なんか違和感。そりゃそうだ、ネットで確認したらなんと犯人が違うらしいな。そんなんあり?
にしても、麗子様、超絶綺麗。もはや神レベルです。
そして、全然わかってない「よおーし、わかった」、これがこの映画の最大の見どころかも。私生活で使いたくなってきた(笑)
むざんやな 犯人変えた 獄門島
先日NHKーBSプレミアムにて「獄門島」がSPドラマとして放送。金田一役は長谷川博己。
久々の金田一の映像化は大変嬉しく原作にも概ね忠実で悪くなかったが、ラスト犯人に事件の真相を暴く際に発狂する金田一に如何なものかと言うより、ドン引き…。
奇しくもちょうど、市川&石坂コンビのシリーズを見返していた時だったので、尚更…。
監督・市川崑×主演・石坂浩二による「犬神家の一族」「悪魔の手毬唄」に続く金田一耕助シリーズ第3弾。
原作はシリーズ屈指の名作であり、日本ミステリー小説の最高峰。
俺が帰らなければ妹たちが殺される…。
亡き戦友に頼まれ、彼の故郷の島・獄門島に赴いた金田一。
やがてその遺言通り、3人の妹が特異な姿で殺されていく…。
(本作では金田一が戦友・千万太に直接ではなく、彼の友人に頼まれ…に変更)
タイトルバックにキノコ雲や戦後の焼け野原の映像を挿入。
話にも復員兵が絡み、引きずる戦争の陰は本作の重要な要素。
また、夜の暗闇が大きなトリックの一つ。
映像派の名匠・市川崑監督の腕の見せ所であり、おどろおどろしくも美しい雰囲気、インパクトあるショック描写、素早いカット…シリーズに一貫するスタイルは健在。
しかしながら本作はどうしても「犬神」「手毬唄」と比べると見劣り。
否めない要因が、犯人を変えてしまった事。
ネタバレチェックを付けるので、まず本来の犯人と動機をぶっちゃけるが…
犯人は、島の有力者3人、了然和尚、村長の荒木、医者の幸庵。
獄門島の網元・鬼頭家。その本家の跡取り・千万太が死んだ場合、分家の一(ひとし)に継がせる為、本家の3姉妹を殺せ。
息子をたぶらかした憎きよそ者女が生んだ3姉妹に本家を継がせてなるものか。
全ては亡き当主・鬼頭嘉右衛門の憎悪を3有力者が引き継ぎ、さらに殺人の必須条件が不運か偶然か整り、決行したものだった。
一応映画も、3姉妹が殺される。俳句の見立て通り。
しかし、3姉妹の一人を殺したのは和尚なのはそのままとして、後の二人は本作オリジナルの犯人に変えられた。
本家の女中がその人物。
オリジナルエピソードは悲しみを表すのに充分だが、残念な事に動機がどうも納得いかず、元々の犯行の動機とも巧く交わらず、ある人物との関係も陳腐で浮いてしまった。
そこはやはり、周囲から隔離された孤島に残る封建的な因習のままにして欲しかった。
ミステリー好きの監督が趣向を凝らした結果、策に溺れてしまった。
キャストで特筆すべきは、大原麗子。
演じた早苗は金田一が数々の事件のヒロインの中でも唯一仄かな感情を抱き、それも頷ける色っぽさ。
大原麗子を見るといつも思うけど、今なかなか彼女のような綺麗な女優、居ないね…。
尚、「獄門島」の映像化は同時期の古谷一行主演のTVドラマ版「横溝正史シリーズ」のものが傑作であった。
金田一・市川論
冒頭、プロローグ的に原爆のきのこ雲や復員列車のモノクロ映像が流れる。そして、金田一耕助が訪れる瀬戸内の小さな島では、戦争から戻ってくるはずの若者を待ちわびる者たちが、例によって陰惨な事件を引き起こすのだ。
市川崑は、一連の横溝正史シリーズだけではなく、他の作品でも、戦後の混乱を執拗に描く。彼によって描かれる戦後は、それ以前の習俗、生活習慣、社会階層の崩壊過程として描かれる。
名探偵・金田一耕助が訪れるのは、決まって岡山県のどこかの旧い封建的な因習の残る村である。
なぜいつも岡山県なのか。それは、いつもの早とちりな県警の警部・加藤武に「よし、分かった!」の名セリフを言わせるためだけではあるまい。岡山県は関西にも近く、そうした都会との交流が決して多くはないが、少なからず存在する。海と山の自然が豊かで、都会からもそう遠く離れてはいないことが、物語の舞台としての要件なのだ。
その舞台となる村には、たいてい金田一以外の他所者の存在があり、そのことが村人の旧来の価値観にゆさぶりをかけている。しかし、その他所者が恐ろしい殺人を行うことはない。むしろ、殺人の首謀者は旧制度によって最も守られている人間であり、しかも、その犯人が守ろうとするのは自分自身ではなく、その最愛の者の利益である。
犯人が連続して顔見知りの人間を殺さねばならないきっかけは、戦争へ行った者の帰還もしくは帰還しないことであることが多い。こうした戦争が人の心の中に落とす暗い影は市川崑の映画の通奏低音ともいえる。
殺人の被害者たちは、おそらく戦後の社会変動ののちには生きて行くことが最も難しい人々である。それは、村の有力な家の娘たちで、彼女たちの生活と人生は、その家の経済力と村人からの畏敬によって保証されている。旧来の制度が失われたのち、彼女たちの居場所はない。多くの横溝作品で、若い娘が次々と殺されるのだが、仮に殺人が行われなかったとしても戦後社会に彼女たちの生きて行く場所が存在しないのである。
闖入者である金田一耕助によって、たまたま事件は解決されるが、そのために犯人が守ろうとした旧い家族制度が崩壊していく悲劇。
しかし、戦争が終わった後の大きな社会の変化の中では、遅かれ早かれ彼らの守ろうとしたものは失くなっていく運命だった。そうした、戦後史の視点でみるとこの殺人事件は喜劇的なものになる。
動機はそれでいいのか?
観終わった後に原作から犯人を変えているというのを知ったが、そのせいか犯行の動機がぶれている気がした。実の息子に家を継がせたかったのか、和尚さんの身代わりになりたかったのか(第1の殺人の犯人が和尚さんなのでこれはおかしいけど)、はたまた和尚さんが好きだったのか、分かりづらいと思った。
原作通り死んだおっさんの妄執に捕らわれて3人の男がそれぞれ見立て殺人をやってしまう、というほうがスマートだったと思った。
復員詐欺や復員兵の海賊行為など戦後のゴタゴタした感じがストーリーに絡んでいたのはよかった。
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