「私にとっては、サスペンスじゃなく、ホラー」獄門島(1977) とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)
私にとっては、サスペンスじゃなく、ホラー
ただひたすらに殺人現場の美的様式が印象的。それを映像化したくて映画化したのじゃないかと思ってしまうほど。
「蔑視的表現」と人権団体から袋叩き似合いそうな、三人姉妹や座敷牢の描写。加えて復員兵。おどろおどろしさがこれでもかと醸し出される。
何のための殺人…。一見、理に適っているようで、他に回避策はいくらでもあるのに。
映画で、状況を客観的にみている身には憤りすら感じる。
狭い閉塞された空間で、因習にとらわれた視野狭窄にとらわれた中での凶行。
警察機能が働いていない場所なら、暗黙の了解として、島ごとこの罪を背負っていくのだろうな。「しかたなかったんじゃ」と言いながら。
すべてが決着してから我に返った時の、己の所業への後悔・虚しさ。亡くなった娘たちへの憐れ。
その落差が絶妙。
そして、島を覆っていた因習が瓦解することで、島に新しい風が吹く。
そんな話だと思っていたのに、この映画で結末を変え、別の意味付けをしたことで、後味が変わってしまった。
人間の業の切なさ・怖さは半端ない。
原作通りなら、この殺人の糸をひく人物の掌で動かされる人々。実行犯はただ操られているだけ。この状況でなんで操られる? しかも、理由が、親の因果が子に巡り、って…。そこだけで十分ホラー。
そこに、この映画での犯人の想いが加わる。それは世界・時間軸共通の想い。愁嘆場。胸に迫る。でも、ちょっと清楚すぎるかなあ。この犯人をこの方が、こんな風に演じられると、動機づけが弱く感じる。
それでも、
東野さんの因業おやじを筆頭に、役者は皆さんいい仕事をしている。その演技・たたずまい・お姿を見るだけでも至福。
でも、『犬神家の一族』でも書いたけれど、関東圏の小都市育ちの私にとっては、地方ってこんな風に恐ろしいしがらみに縛られているところなのかって、変な偏見を上塗りしてしまう映画(シリーズ)。
加えて、”障碍者”と定義づけられる人への偏見も上塗りしたなあと不愉快さもまとわりつく。
だから、映画自体にはマイナスつけたいけれど、役者に☆3つ。
確かに、ホラー特有の「怖がらせ」的な演出・映像はない。
「殺人防御率が一番低い」とされながらも、「日本の三大名探偵」の一人に数えられる金田一さんの推理(解説)は冴えわたる(映画では、ストーリーを観客に見せてくれるガイドっぽい役割)。
だから、本当はサスペンス映画なのだろうけれど…。
上記に書いたような、殺人の動機がまるで人身御供とか。
殺すだけで飽き足らなくて、死体に加工して見世物にするのって、なんのため?『犬神家の一族』では復讐相手に思い知らせて怖がらせるためだったけれど、この映画では、背後で糸ひく人物の嗜好って…。それって、快楽殺人?しかも殺す相手って…。
今でもあの島では、
霧の深い夜にでも、梅の木にぶら下がった死体が揺れ、
鐘からは振袖が下がり、
一つ家から鈴が鳴り響いていそうだ。
ほら、やっぱり、ホラーだ。