魚影の群れのレビュー・感想・評価
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北の漁場はヨォ〜
喫茶店のボンボンの俊一(佐藤浩市)が大間の漁師房次郎(緒方拳)の娘トキ子(夏目雅子)に惚れて、漁師に弟子入りしてでも結婚の許しを得ようとするが·······房次郎は大間漁師。それが余計に気に食わない。
夏目雅子級の美女に惚れても大間の漁師にはならない勇気が大事。
吉村昭の小説の映画化。
意外にも53歳で亡くなった相米慎二監督作品。
1983年公開。
夏目雅子はこのあと、1985年に白血病で亡くなっている。
下北半島のクロマグロ漁は本当に厳しい。個人所有の小さい船と伝統的漁具ではなかなか大物を上げられない。過酷な漁ゆえに漁師の寿命は短い。燃料代も馬鹿にならない。ましてや素人が大人になってから始めるんじゃ話にならない。頼み込まれて根負けした房次郎と俊一は一緒に漁に出るが、俊一はアタマにテグスを絡ませて大怪我してしまう。風になびくテグス(太いナイロン糸)がアタマに絡みつくのを待っているようなシーン。
マグロだけにトロいよ。大トロ。
若い佐藤浩市。まだまだ演技もトロい。しかし、夏目雅子の足の間に入り込むのだけは上手い。夏目雅子に「涙の連絡船」を歌わせるのはやめて欲しかった。
娘婿に怪我を負わせたあともマグロと格闘を続けてから帰港した房次郎をトキ子と漁港関係者は非難したに違いない。その後、釣り上げた130キロのマグロを大間漁港ではなく、他の漁港(伊布漁港)に揚げる房次郎。掟破り。そこで昔別れた妻のアヤ(十朱幸代)に出会う。漁船の中での濡れ場はなかなか。この頃、十朱幸代は五社監督作品「櫂」でも女衒役の緒形拳と濡れ場を披露している。何年か後に房次郎が大間に戻ると俊一は喫茶店を売り払った金で新造した船で漁をしていた。どうやって新しい漁業権を得たのか? 案の定マグロは一匹も捕れないでいた。オレだったら、和歌山の南紀白浜で喫茶店やって、時々釣りに行く方を選ぶ。ある日、漁に出たまま帰ってこないと漁労長からトキ子に連絡が入る。房次郎に頼み込んで捜索に出て貰うと、マグロが食ったテグスを体に巻き付けて漂流していた。学んでない。
房次郎が手伝ってあげたマグロと負傷した俊一の船を引っ張って大間に帰港する房次郎。漁労長の下川辰平は無線で、マグロを捨てて、全速力で戻れと言うが······俊一はトキ子のお腹には子供がいると房次郎に告げて息絶えてしまう。
漁で片足を失い義足の元·弁天丸船長エイスケ役は5代目三遊亭圓楽師。さすがに滑舌も良く通る声。しかしながら、噺家口調がちょっと抜けてないw
ほかにも、レオナルド熊、石倉三郎らが北海道の漁港関係者役で出演。
なんだか、緒形拳と十朱幸代の映画だったような。十朱幸代が緒形拳にいう。あんたにはマグロも人間も一緒。殴って言うこときかせることしかないの?みたいな。くらーい相米監督作品。好きではないが、十朱幸代がめっけもの。
BS放送を録画にて鑑賞。
青森に嫁いだ従姉妹の春枝が、電話してきて「今度、大間のマグロ釣ってみなよ」とバカにして煽ってきた。
ハルエ!
そこまで俺はバカじゃないんだよ💢
30〜50キロぐらいのマグロなら千葉でも普通に釣れるんだよ。その気になればね。松方弘樹でも梅宮辰夫でもないし、べつにマグロは釣りたくないんだよ。
泥臭い人間らしさ
数年ぶり二度目。流しながら観てたので所々内容飛んでいるが、津軽海峡を舞台にした、骨太な作品であることは疑いない。
昭和の後半、まだDVがDVとして認知されておらず、男は男らしくあれとされた息吹が残っている。一般論としてよくないのは重々承知しているが、この人間臭さが物語に深みを与えているし、惹き込まれる要素にもなっている。
2024年の今、大間に夏目雅子的な人がキャスティングされても浮世離れし過ぎて共鳴できないが、この時代なら、と思わせてくれる。
下北の言葉、全然わからないけれど、それでも伝わるものがあるのが、映像の強さ。その映像の強さを形作っているのは、役者の顔であり、所作であり、カメラのアングルであり。漁師は一か八かのギャンブル、人生もまた同じ。人間の暴力性というか、肉体性というか。泥臭い人間の織りなすドラマ、とても良かった。
35ミリフィルム、スクリーンで鑑賞。言葉に出来ないほど凄い。どうや...
35ミリフィルム、スクリーンで鑑賞。言葉に出来ないほど凄い。どうやったら相米のような映画を撮れるのか。ティーチインの藤井先生も「わからないんです」と素直。
漁師の迫力ある漁獲シーン
広島市映像文化ライブラリーでの相米慎ニ監督特集の一つ(平成26年3月)。
長回しの監督と言われているが、クライマックスの捕獲など真に迫力があった。
俳優の演技も真に迫っている。
海原での船のシーンが多いため、撮影も船に乗って追いかけるのだが、かなり撮影は厳しかったと思われる。
漁師として生きる男と女。その辛さと悲しさ。命がけと博打打ちの人生。
日本映画の名作フィルイムが大画面で見られる広島市映像文化ライブラリーならではの醍醐味であった。
原作は、ノンフィクション作家の吉村昭氏。相米監督の中でも独特な映画だそうだ。
2014.03.06 広島市映像文化ライブラリー
キュルルキュ
耳を引っ掻くようなテグスの擦れる音が恐怖である。カメラが横に少しずれて既に取り返しのつかない大惨事をとらえる。突きつけられる事態。おそらく親父は何をするのが娘の彼氏にとっての解なのか用意などなかったのだろう。男のロマンなどはない、柔軟になれぬ不器用さが男に残酷な罪を背負わされる。現実に背を向けて自分の世界に逃げ込む。マグロを手繰り寄せる下りの長回しはドキュメンタリーのようでもあり、緒形拳の船から乗り出す所作は演技の枠を超えたものであるが、ただ流れる虚しい時間が哀しい。
マグロと人間の区別がつかないとは前妻の言葉。娘の彼に会いに行けば相手の隙をみてマウントして、手まで出す始末の悪さ。体を任せて服を脱ぎ着させる姿は男女の役割分化が象徴されているが、むしろ分化したことで不能になってしまったようでもある。このまま死なれては男は何も果たせぬが、やれることを投げ出してやっても救われない残酷さ。娘の数え歌が響く。
佐藤浩一の家庭内レイプシーンは動物的で、腰のみが機能しているような眼は、何かを屈さなければ自らの存在確認できぬ虚ろな姿をよく表現している。どっしりと中央に位置する夏目雅子の存在感。濡れ場含めて十朱幸代も熱演。どこから撮っているのか考えれば楽しいカメラワークの数々。相米慎二らしさが活きた大作。
役者というより漁師です!
高校生の娘から薦められて見た、古い作品1983年
娘「これ、いいよ、見ない?」
母「へー?やたら古いね、夏目雅子じゃん、どんなの?」
娘「マグロの一本釣り、ガチなやつ、マジ見たほーがいいよ」
というノリで…
女子高生が持ってくる作品じゃないよね(^_^;)
原作があたしの大好きな吉村昭だったので見る気になりました
漂流や船上、海を描いた作品が多いのでもう想像ついたけど
いきなり長回しのロングショット
いちいちワンカットが長い!
船上のシーンはリアルそのもので怖い
この間の「劔岳」と同じで、どうやって撮ってるんだろうと思いながらハラハラ見る
なまりが本格的でよくわからないけどだいたいわかる(^_^;)字幕ほしいわ
緒形拳は本当にすごい…役者というより漁師です!
ここには男と女の人生のクライマックスがある
2019年6月9日 魚影の群れ 鑑賞
大間を舞台に、マグロ漁師、その一人娘、娘の恋人で漁師を目指す青年の物語。
マグロの一本釣りのシーンは壮絶バトルでした。佐藤浩市 が若い!
#緒形拳#夏目雅子#佐藤浩市#三遊亭圓楽#レオナルド熊#下川辰平
日本の海洋映画のナンバーワンです
文句無しの傑作です
正に日本の老人と海です
ジョンスタージェス監督の作品より遥かに上だと思います
ワンカットワンシーンは、ほとんどと思える程のシーンがこの手法で撮られています
ですが、前作のションベンライダーのようなこれ見よがしのものではなく、リアリティの迫真性を生み出す為にのみ使われており、大変に効果を上挙げています
緒形拳、夏目雅子といった名優がこの相米マジックというべき映像の中で、その名演技が爆発しているかのようです
カメラもワンカットワンシーンに応じて、時にパン、時にズーム、時に移動します
それもとんでもなく動く程です
神業です
その映像の中に全ての人物があるがまま俳優ではなくその役そのままの人となって存在して、同じ時間の中で生きているのです
津軽海峡を走る漁船を捉えるカメラがローアングルの構図であるのにはたまげました
冒頭で娘は父の服を脱がせます
終盤では父に服を着せます
男尊女卑ではないのです
漁師の仕事の過酷さが自然と男女の役割をそうさせているということです
実際にそうであることを再現しているそのシーンの自然さが本作の見事な迫真性を代表していると思います
日本の海洋映画のナンバーワンです
夏目雅子♪
町を捨て、簡単に漁師になると言われたことに無性に腹が立った房次郎は俊一を殴る。結婚したいという男として殴ったのではないのだろう。子どもの頃からいつの間にか漁師になってたというほど、漁師一本の海の男なのだ。トキ子は「漁師になってもマグロのことしか考えないのではだめだ」と言う。無視され続けた俊一だったが、粘りに粘って何とか房次郎の船(第三登喜丸)に乗り込む。何度目かの漁に出たとき、マグロの群れに遭遇。房次郎はかかったマグロを引き揚げようとするが、釣り糸が俊一の頭に巻きつき、血だらけとなった。無線で港に救急車を手配するものの、あきらめたマグロがまたもやかかった。房次郎はマグロと死闘して、何とか釣り上げる。が、手当てが遅れたため、俊一は病院で生死をさまよった・・・
1年後、房次郎は津軽から北海道へと足を延ばし、しばらく伊布港に留まる。そこで20年前に別れたアヤ(十朱)と再会。一旦は寄りを戻すが、今の男に絡まれる。北海道で続けた漁において、何度も釣り糸を切られたショックで引退を考える。大間港に戻った房次郎は、家を出て行ったトキ子と俊一に再会。しかし、事件後にほぼ絶縁状態となっていた・・・
俊一は店を売って漁船を購入していた。トキ子の妊娠も父親には告げずにいたが、彼は漁師たちの仲間に入れない孤独を感じていた。ある日、漁に出た俊一が行方不明となり、トキ子は房次郎に助けを求める。房次郎は長年の勘によって俊一の第一登喜丸を発見。俊一は三百キロ近い大物と格闘中だった。重傷を負った俊一を見た房次郎は糸を切ろうとするが、「切らねでけろ。俺も大間の漁師だから」と断った。そして大物を仕留めて寄港する途中、俊一は死んでしまう・・・
マグロとの格闘はかなりリアル。津軽弁はよくわからなかったが真に迫る演技には圧倒される。相米の長回しは『ションベンライダー』に見られるような技巧的な長回しというよりは、心情を伝えるための必然性を感じるもの。男の生き甲斐と妻への愛情・・・天秤にかけられるものじゃないのに、マグロ漁に生きる過酷な人生をも感じさせるのだ。かつて漁師だったエイスケ(三遊亭円楽)もその一人。テグスに挟まれ、足の骨と筋肉がグチャグチャになってしまったと語るところに哀愁さえ漂う。俊一が死んでしまい映画は終わるが、もう一度、冒頭の漁師になる前のシーンを見てみると、物語を反芻させるくらい重い未来を予言しているようだ・・・この冒頭のシーンをそのままラストにもってきてもいいくらい!
緒形拳 & 佐藤浩市
夏目雅子目当てで内容も知らず見た映画でした。が、「漁師」緒形拳から目を離せなくなるすごい映画でした。若い佐藤浩市の孤独、漁師として認められたら初めて本当に彼女の家族になり「夫」になれるという思いに胸がえぐられました。
十朱幸代は上手いなあと思いました。
夏目雅子様お美しい
夏目雅子様目的と、相米慎二を観たことがなかったので、いい機会かもと思い鑑賞しました。
いやー、さすがに夏目雅子様はお美しかったです。役柄にはさほど魅力を感じませんでしたが、存在するだけで有難いというか。ただ、長回しが多用されているおかげで、夏目雅子様のアップが少なく残念でした。
物語はなかなか硬派で重厚。若き日の佐藤浩市演じる俊一の一人前になりたい・父的存在に認められたいという思いが、物語の骨子かな〜なんて感じています。
正直、俊一は最初から最後まで空回っているので、なかなか歯がゆいものがありました。彼の死につながる事故もそのような焦りからくるもので、自業自得感が強く、「もっと地に足つけて挑めばいいのにな〜」などと感じました。しかも、最期のマグロ漁すら義父の力を借りており、哀れさを感じました。
緒形拳はたいへん迫力があり、カッコよかったです。ガチの漁師にしか見えなかったです。マグロと格闘する長回しシーンは白眉ですね。
とはいえ、あの手のコミュニケーションができない昭和の男は見ていてキツく、はやく全滅して欲しいな〜くらいにしか思わなかった。
2時間20分は長く、しかも長回しだと間延びしてより長く感じてしまいました。長回しは相米慎二のウリだと思いますが、上記のマグロの場面以外はイマイチでした。もっと夏目雅子様のアップをバシバシ入れて欲しかったです。
長い上に登場人物にも共感できず、割としんどい映画でしたが、夏目雅子様とハードなマグロ漁の場面が観られたので、まぁ悪くなかったなかな、といった感想と相成りました。
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