機動戦士ガンダムF91のレビュー・感想・評価
全15件を表示
「ピーターパン」をモチーフとするガンダム作品。話がわかりやすい。(長文)
このガンダム作品はおとぎ話「ピーターパン」をモチーフにしている。話は単純明快で敵の海賊のリーダー「鉄仮面」を主人公のシーブックとガンダムF91がやっつけてヒロインのセシリーを救い出す。本作の有名なシーンはシーブックとセシリーがそれぞれガンダムF91とビギナ・ギナに乗り込み一緒に宇宙を「飛ぶ」シーンだがこれはピーターパンとウェンディが空を飛ぶシーンからアイデアを得ていると思った。鉄仮面はフック船長なので体がサイボーグ化しているのだと思う。この物語はヒロインのセシリーの夢だったと見ることもできると思う。冒頭の平和な学園祭までが現実であって海賊が襲来した瞬間、ピーターパンであるシーブック(とガンダムF91)によってセシリーは夢の世界ネバーランドに連れていかれたと物語を解釈できる。セシリーは海賊に捕まりシーブックとガンダムF91は海賊の親玉「鉄仮面」を倒してセシリーを救出する。セシリーはラストシーンの後でピーターパンの物語と同様に現実の世界に戻るのだと思う。ピーターパンは大人になれないという設定があるがこの映画の作者はガンダムF91に乗っている限り大人にはなれないという暗喩をこの作品に込めていると思う。主人公のシーブックはガンダムを降りてセシリーを見つけ物語はめでたしとなるが同時にシーブックは子供から大人に成長したと物語を解釈もできると思った。
点数:4.0。この映画は戦争の場面が怖くてけっこう好きです。特に殺人ドローン兵器「バグ」が無差別に住民を殺戮するシーンや「ジェガン後期型」や「ビルギット機」が撃墜されるシーンは見ごたえがあって好き。
追記1:「クロスボーン」は「海賊」という意味
「ピーターパン」の物語ではピーターパンはフック船長を倒した後に海賊船の船長になります。そして「機動戦士ガンダムF91」でクロスボーン・バンガード軍のリーダー、鉄仮面を倒した主人公シーブック・アノーは続編「機動戦士クロスボーン・ガンダム」では海賊になって再登場します。このことは「機動戦士ガンダムF91」が「ピーターパン」をモチーフとしている証拠です。
追記2:アンナマリーはタイガー・リリー
途中で仲間になるアンナマリーは「ピーターパン」に登場するインディアンの娘タイガー・リリーだと思われる。アンナマリーの顔もインディアンのように褐色の顔になっている。
追記3:「竹取物語」をモチーフとした「ターンエー・ガンダム」
富野由悠季監督の作品「ターンエー・ガンダム」(1999年)ではおとぎ話「竹取物語」をモチーフとしているような設定があります。「ターンエー・ガンダム」は過去に一度地球へ来て月へ帰った姫(ディアナ姫)が再び月から地球へ下りてくる話です。
追記4:監督が「ピーターパン」をモチーフとした理由
ガンダムのSF世界というのは子供にとってネバーランド(「ピーターパン」の主人公が冒険する別世界)のようなものである。富野由悠季監督はガンダムをいつまでも観続けるピーターパンのような大人のファンに大人になって欲しいと願ったのかもしれません。
追記5:宇宙世紀はネバーランド
ネバーランドは怖い海賊や頼もしいピーターパンなどがいる子供にとって刺激的な別世界ですがこれはガンダムのいる宇宙世紀の世界も同じです。ガンダムの世界に入り込んだ子供(テレビ視聴者)は怖い戦争を体験をしたり頼もしいガンダムや仲間たちにも会えます。ガンダムのいる世界は視聴者のための刺激的な別世界です。子供はうるさい親や先生や同級生などのいない自分だけの別世界を空想する。その助けとなるのがガンダムの世界です。
追記6:現実世界はネバーランドに飲み込まれた
近年ではインターネットの発達によって自分だけの別世界であった小説など物語の世界は現実世界と同様に他人と共有できるようになったといえるだろう。つまり現実がピーターパンが現実に存在しているような世界となった。現代社会では現実世界はネバーランドに飲み込まれたと言えると思う。
追記7:炎と煙という自然現象は人にいろいろと教えている
私が本作「機動戦士ガンダムF91」を初めて観たのは数十年前だった。シャア推しの近所の幼馴染の部屋で「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」を観た直後この日の2本目だった。レンタルビデオなので小さなテレビ画面だったがある場面だけが記憶に残っている。それは敵のラスボスのモビルアーマー「ラフレシア」が爆発する場面である。超巨大な花に触手が何本もついているデザインのこの敵キャラは主人公のガンダムF91たちを苦しめたがついにガンダムF91に撃破され爆発炎上したのだった。ちょうど花のおしべとめしべの部分から炎と煙が上に噴き出るようなシーンであった。ところでいろいろな映画でも爆発炎上を遠くから見ているシーンを観ると不思議な気分になるのはなぜだろう。遠くを見る景色と炎と煙(すべてが灰になるイメージ)が視聴者に何か問題が起こった(あるいは終わった)という気分にさせるのだと思う。炎と煙というものは人の気持ちを高めたり落ち着かせたりいろいろな作用があるのだと思われる。私の人生で印象的な炎と煙は「2001年同時多発テロので巨大双子ビル火災の炎と煙」「1995年阪神大震災の町火災の炎と煙」や「2011年東日本大震災の町火災の炎と煙」などであった。これらを見た時は神経が研ぎ澄まされるような気持になった。なにか良くないことが起こっているがもっと情報を知りたい気分にもなった。炎から出た煙はたいていは空に上がって広がっていく。それらの自然現象は人に自然の理(ことわり)を教えているのである。
追記8:(2026年1月25日)
映画の冒頭に登場する戦争博物館のロイ・ユング館長(通称:ロイ将軍)はドン・キホーテのように時代錯誤した滑稽な人物として描かれている。ロイ将軍は町を襲撃してきたクロスボーン・バンガードの軍隊に対して博物館に展示されている古い兵器を引っ張り出してきて応戦しようとする。ロイ将軍は博物館館長ではあるが軍人ではなくただの民間人なので応戦中の地球連邦軍の部隊の兵士には迷惑がられる。主人公のシーブックたちを無理やり仲間にしたロイ将軍は自機の旧式ガンタンクをうまく扱えないまま周囲に迷惑をかけながら敵に反撃もできずにドン・キホーテのように退場する。「ドン・キホーテ」(1605年)はスペインのミゲル・デ・セルバンテスの小説であり現在でも世界中で読まれている有名な古典小説である。小説「ドン・キホーテ」の内容は本を読みすぎて現実と物語の区別ができなくなった田舎の郷士の中年男がドン・キホーテ・デ・ラマンチャと自分で名乗り架空の物語に登場する主人公の騎士は自分のことだと突然勘違いしだし、旅に出かけ周囲に迷惑をかけるという風刺コメディ的な内容である。私はロイ将軍とドン・キホーテは似ていると思う。ロイ将軍は平和になった時代に戦争にあこがれ、旧式の兵器を買いあさって自分の博物館に飾って満足していた人物である。兵器を見ているうちにロイ将軍はドン・キホーテと同じように自分があたかも戦争の英雄になったような気分になったにちがいない。本当にクロスボーン・バンガードの軍隊が町に攻めてきて町が戦争状態になった時にロイ将軍は自分が戦争の英雄だと勘違いし、博物館の展示の兵器を引っ張り出して戦おうとした。一方でドン・キホーテは自分が物語の主人公の英雄の騎士になったと勘違いし痩せた馬と古い武具を引っ張り出してきて風車(とても敵わない大きな建物)と戦おうとした。物語を見すぎて現実の自分を見失うと周囲に迷惑をかけるという教訓がこの二人のエピソードには込められていると思う。たとえば選挙運動で候補者が夢を見すぎて実現不可能な選挙公約をしたりする。ドン・キホーテの物語のすごいところは意味の深い風刺である。ドン・キホーテは周囲の現実的な忠告をまったく聞き入れない、それどころか現象の理屈を勝手に自分で作ってしまう。この風刺物語は自分中心の世界観がいかに周囲に迷惑をかけるかを教えている。私も気を付けたい。
追記9:
クロスボーン・バンガード軍の目的は貴族ロナ家による恐怖政治の統治を復活させることであった。本作の前日譚であるテレビアニメ「機動戦士ガンダム」ではジオン軍という敵の実権は貴族ザビ家が握っていた。本作の貴族ロナ家はおそらく貴族ザビ家の後継団体か何かなのであろう。ではなぜ人類は「敵」を作りたがるのか疑問が湧いてくる。人類は「敵」を作ることにより自分たちの「群れ」を強化しようとしているのかもしれない。人類の祖先は群れで生活しなければ生きていけなかったと思う。群れが強ければ強いほど自分が生き残り子孫も残せる。「敵」を無理やり強引につくりあげ、群れの団結力を高め、攻撃性を高めると群れが強化されるのかもしれないと思う。クロスボーン・バンガード軍やロナ家は自分たちの「群れ」を強化するために戦争をするのだと思う。群れの強化が目的なので戦争は際限なく続けることができる。まず群れの「敵」をつくり、敵を攻撃すると群れが団結し強化される。この敵が滅びたりしていなくなると、また次の敵をつくり、群れを強化しようとする。世界中で戦争がなくならないのは人類が群れるからである。人類をここまでにしたのは群れる能力のおかげであるが人類はその群れる能力ゆえに自滅するのかもれない。本作「機動戦士ガンダムF91」では人類無差別大量虐殺ドローン兵器「バグ」が登場する。群れを強化するという本能に突き動かされロナ家による貴族の恐怖統治を復活させ究極のチカラを求め機械となった本作の主人公たちの敵のクロスボーン・バンガード軍のリーダー鉄仮面はついに人類無差別大量虐殺兵器を完成させてしまった。人類が群れを強化しようすればするほど世の中に差別を生み貧富の格差は広がり戦争や争いが起こりやすくなり大勢の弱者が苦しむのである。本作では貴族や軍隊が悪ではなく人類の群れようとする能力が人類を滅ぼしてしまう脅威を描いていると私は思った。軍隊という群れ、貴族という群れ、国家という群れ、大企業という群れ、宗教という群れ、人類という群れ、これらすべてが群れであり群れを強化することの代償というものを人類は知るべきであると思った。
追記10:
富野由悠季監督が本作の次に発表した作品であるテレビアニメ「機動戦士Vガンダム」(1993年)では残忍な貴族の治めるザンスカール帝国が登場し地球を侵略してくる。本作のラストでは人類という群れを分断させるサイコミュによる超能力技術を結集した人類無力化最終兵器エンジェル・ハイロゥが登場しエンジェル・ハイロゥからの強力なサイコミュ波を宇宙空間から地球表面に照射し人類の群れとしての闘争本能を無力化させようとした。人類無力化サイコミュ波を浴びた人は戦うことを忘れ乳幼児のような性格になってしまう。あるいはヒロインのひとりカテジナ・ルースのように感情を持たない廃人のようになってしまう。この作品では人類の争いを終わらせる人類無力化最終兵器エンジェル・ハイロゥが印象的である。
追記11:
富野由悠季監督の1999年のテレビアニメ作品「∀(ターンエー)ガンダム」(1999年)の物話では人類は究極最終兵器「月光蝶」によって兵器が分解されすべての科学文明技術を一度リセットされており人類の一部は月に移住している。究極最終兵器「月光蝶」は鉄などで作られた世界中の武器を無数のナノマシンにより分解する。
追記12:
富野由悠季監督の2014年のテレビアニメ作品「ガンダム Gのレコンギスタ」(2014年)の物語では人類は月や金星に進出している。月のトワサンガ国、金星のビーナス・グロゥブ国の人々は彼らの祖先が元々住んでいた地球を取り返そう(レコンギスタ)とする。地球にも依然として国家があり地球を取り返そうとする人々は地球に住む人々と衝突する。未来永劫に勝者のいない地球の領地の奪い合いの虚しさをこの作品は表現しているようであった。
追記13:
私は人類間の戦争は永久になくならないと思うが、努力する事をあきらめてはいけないとガンダム作品は語り掛ける。
最初から映画として作るべきだった
劇場公開時に友人といっしょに観たんだが、つまらなかったという意見で一致した。同時上映の『SDガンダム』目当てで親に連れてきてもらったと思しき子供たちが途中で飽きたのか「つまんな~い」と言い出し親に注意されてたのを記憶しているが、普段ならイラッとする僕も「そうだね。つまんないね」と心の中で同意していた。
前作『逆襲のシャア』でファーストガンダムからの流れに区切りをつけて新たな物語を創出した作品だが、設定も人物もメカも全部1から覚え直しになるのが意外に結構大変だったような記憶がある。もともとはテレビシリーズとして製作する予定だったらしく、途中から映画に方針転換されて当初のテレビ第1クール13話分を圧縮した物語となったらしい。そのためか登場人物が2時間の映画にしては多すぎ、はっきり言って余計な登場人物が多い。主人公の仲間の子供たちなどはほとんどがいらない登場人物で、アニメというのは「絵」だけに出てきた当初は誰が重要で誰が重要じゃないのかがわからず、全員を一応一通り覚えなきゃならないのが難儀だった。また話を縮めたためかヒロインであるセシリーの行動があまりに唐突で、やたらあっちに行ったりこっちに来たりするのも説得力に欠ける。
映画としては失敗作としか言いようがなく、富野監督もおそらく自覚してたのではないか? だからこそ次作ではこの物語も捨て去り、またも全てを一新したテレビシリーズ『機動戦士Vガンダム』を作ったんではないかと思う(本作の興行成績が悪かったという製作会社側の事情もあるんだろうが)。富野監督のテレビ総集編ではない映画オリジナル作品は『逆襲のシャア』と本作のみであり、本作ももとはテレビシリーズの予定だったことを考えると、富野自身も映画には向いてないと思っているのかもしれない。大量の人物を登場させる群像劇的で長大な物語を作る富野監督はやはり映画よりテレビシリーズのほうが向いてるんだろう。
なお本作はやたらメディアミックスが仕掛けられた作品でもあり、模型企画『機動戦士ガンダムF90』『機動戦士ガンダム シルエットフォーミュラ91』、ファミコンゲーム『機動戦士ガンダムF91 フォーミュラー戦記0122』などが当時出ていたが、肝心の映画自体の興行成績が悪く評判も芳しくなかったため全て不発に終わっている。
ビデオスルーの『完全版』も観たが、大型モビルアーマー・ラフレシアが発進するシーン以外はどこが足されたのかよくわからなかったし、評価は特に変わらない。
時代が産んだ駄作
なんともどうしようもないガンダムですね。
大人は知能が低い人しかいないみたいで軍人も民間人もただただ大騒ぎして、うるさく自分の感情を吐き出すだけ。ストーリーは、わかりにくくなったらやたら長尺の説明セリフで話を強引に進めるスタイルで、常にご都合主義で主人公もヒロインも主要キャラも話進めるために本当にあっさり裏切るし、状況的にありえない信じられない嘘つくし、話進める為ならなんでもあり。感情移入なんて普通の人には無理。
テーマと言われている家族の愛なんて無くて、あるのは遺恨に満ちた思い出と諦めだけ。そのくせ執着が酷い。全く救いがない。
更に2時間かけて全く外的な状況は変わっていない。2時間かけてこの人達は何やっているの?
こんな話よく商業映画にしたと思うのだけど、バブル絶頂期ってそんな時代だったような気がする。
女の人は基本補助役でしか無くて、蔑まれていて、でもマスコットではひっぱりだこ。
男が仕事に使命感持っているかと言われると金金金で俺が俺がの押し売りばかり。
この映画のヒロインは最初の登場シーンから最後まで本当にそういう立ち位置しか与えられていないし、出てくる大人が自分の都合と感情しか言わないのも当時はむしろそれが評価されていたところを反映しているのかもしれない。
まあ思い出補正無しにすればバブルって碌なものじゃないし、そんな時代に浮かれて作られたこの映画も碌なもんじゃない。
商業ベース
商業ベースに乗せつつ、定期的に長編アニメーションを発表し続けていく難しさについて、考えてみた。魅力的なキャラクターを生み出す安彦良和や、作品ごとに違うアプローチで富野劇場を展開していく監督、そして、バンダイとすり合わせをしながら劇中のモビルスーツを商品化していく展開を進めていくデザイナー。
ロボットアニメという、特異なジャンルが行き着いた、ひとつの理想形と言えるのだと思うのだが、それと、映画が面白いかどうかというのが、別のベクトルにあるのが残念でならない。
例えば、興奮して大満足で劇場を後にして、「あー面白かった。ところで、あのヒーローが乗っていたクルマって?」と思って、調べてみたら、アストンマーチンだった。というのと、真逆のアプローチなのだ。商品のプロモーションありきで、よくできたドラマを見せられたところで、所詮はまがい物。
『機動戦士ガンダム』が優れていたのは、その日本式アプローチが、何人かの限られた天才によって奇跡の融合を果たしたことにあった。同じ奇跡は、二度と起きない。でも、「ガンダム」の名を冠し、「モビルスーツ」が出てくるアニメーションに、商品化を前提に製作費が集まり、時の才能が集められる。そうして、定期的に長編の劇場アニメーション作品を発表し続けるのは、毎年つながりのない別の作品を制作していくことよりも、容易いに違いない。
商業ベースで、発表され続ける宇宙世紀の物語は、最初の一年でとっくに終わっているのに。
前作よりかなり質感低下
総合:50点 ( ストーリー:40点|キャスト:50点|演出:60点|ビジュアル:70点|音楽:60点 )
物語の設定と展開がどうにも強引だし、登場人物も敵味方陣営を切り替えて変わり身が早いし、何かと受け入れがたかった。
ウイキペディアによると、時代設定は一年戦争から40年以上、第二次ネオ・ジオン抗争からは約30年の年月が経過しているらしい。それまで活躍していたジオンは出てこないが、代わりに時代錯誤な貴族が率いるクロスボーン・バンガードというのが暗躍していて、各種先端兵器が開発されるほどの国力を持っている。
その割にやっていることがしょぼくて、孫娘一人確保するのに平和に迎えを派遣するのではなく、わざわざ危険な攻撃を仕掛ける。戦闘に巻き込まれて彼女が死んだらどうするつもりだったんだろうか。宇宙居留地が攻撃されて損害を受けていて大きな穴がいくつも開いているのに、人々は普通に生活も出来ている。突っ込みどころに事欠かない。
特に物語の展開が後半に急激に進行して、内容が希釈されてしまっていて薄っぺらになる。脚本がしっかりしていなくて無理やりに展開を圧縮して詰め込んだ印象。
登場人物はころころと陣営を変えてしまうし、たくさんの人が死ぬ大きなことをしようとしている割には、家族でのいがみ合いをしているだけだったりする。それも権力闘争とかではなく、感情的な人間関係のいがみ合いが原因なのがなんともしょぼくて。そんな登場人物にも魅力がない。
前作でシャアが世界を変えようと命を懸けたことに比べると、この人達はいったい何のために何をしているのだろうかと思いながら観ていた。
BS12放送録画 実質120分
映像娯楽作品として…
この作品、歴代シリーズでは評価が低いようだが、私はコレを評価している。
まず、敵がジオンや連邦の内乱組織でなく、新たな時代に発生した敵で
あること。
そして、過去の作品の知識を知らなくても、全く新しい世代の物語として
見始める作品と、なっていること。
その2つだけでも、ガンダム・ワールドを大きく広げた作品として、評価
できる。
よく、内容量が消化しきれていないと言われるが、主人公シーブックの
感情や主義は伝わる表現方法を行っているので、主人公の視点で
作品を見るとしては、失敗した作品ではない。
何より、アニメというのが「映像娯楽」であることの、絶対条件のツボは
押さえているわけで、受け手側が見て楽しむ作品となっているから、
30年以上、VHSテープ、DVD、Blu-ray、4Kと映像ソフトが変わっても、
売れ続けているのではないのですか?
辻谷耕史さん、ありがとう。
他の方々のご指摘の通り中盤の作画の乱れと展開の早さは当時の制作側の大人の事情が透けて見えます。
がしかし、富野監督が仰る通り「アニメーターが物理的に無理な事をやってのけた」といわれるシーブックとセシリーの月をバックにクルクルまわるシーンはガンダムシリーズ屈指の名シーンだと思います。
シーブックも
今までのガンダム主人公とは違いフツーのこ。ニュータイプではあるんだけど最初から優等生。初陣でMSを撃ち落とした時の心の葛藤もしっかり表現していて辻谷耕史さんの声の演技も相まって素敵な主人公。
森口博子さんの歌手人生を決めたという主題歌も神がかり的な美しさ。
30年経った現在に
大画面でF91と辻谷耕史さんの声を堪能できることに感無量でした。
4DXを見て
人生初の映画館で見た映画をこの年でもう一度映画館で見れるとは!
4DX自体はそれ程ではなく、風や水は温和しい。
振動と傾きはモビルスーツが動いている限り、絶えずありましたが
残念ながらそれ程 感動はありませんでした。
感動が無いのかというと、この作品を映画館の大画面で見れるのが素晴らしい。
当時やビデオ・4KULTRAHDBlu-rayでも見てきましたが映画館の大画面で見ることで
今更気付いた点を発見できるなど驚きもありました。
そして、Zガンダムではなく、この作品で素晴らしさを味わった
歌姫 森口博子様の歌唱力を味わっていきながらエピローグ。
感動できる本作のテレビ続編が作成されなかった事が改めて残念でならない。
閃光のハサウェイが時を超えて、映像化されるのだから、これを機に
テレビ続編の作成をして頂けないだろうか。
ETERNAL WIND〜ほほえみは光る風の中〜
私、ガンダム世代であります
食い入るように見てました
突然、「ETERNAL WIND〜ほほえみは光る風の中〜」森口博子さんの歌声を聴きたくなりYouTubeで見つけて酔いしれたいたのですがふと
何の作品だったのだろうか? どの疑問が!
この映画だったのですね
ゼータかな?、と思ったのですがF91だったとはね〜
でもね、この歌が1番心に残ってるんですよね
何十年ぶりかで見ましたよ
複雑な人間ドラマと絡めてのロボット達の戦闘
懐かしいね〜
でね、思うわけですよ私は
もうガンダムはアトムの上を行っちゃってるんじゃないかってね
ガンプラはあるけどアトプラは無いでしょ
歌も映画も書籍もね上なわけですよ、もう断トツに抜いちゃってるんです
それでもね、やっぱり『鉄腕アトム』にはどうしたって敵わないわけですよ
元祖であり祖先であり始まりの一歩目なんだからね
ビートルズが居なかったらって映画があるでしょ
だったらアトムが無かったら漫画やアニメの世界はどうなのかなーと思うわけですよ
ジャパニメーションとかそんな言葉も無かったかなってね
だからやっぱりガンダムはアトムには百年経っても勝てるわけがないのだなって
森口博子さんの歌声を聞きながら思っちゃたんだな〜
早く続きを。。
モビルスーツ同士の戦いが迫力あってよかった!くるくると縦横無尽に回転しながらアクロバティックに戦う姿はカッコよかった。機動戦士ガンダムの劇場三部作を見てから直でこの作品を見たので、この映像の進化は感動的です♫「F91ガンダムは、シーブック・アノーでいきます!」のセリフがカッコよく印象的でした。
前半〜中盤のストーリー展開のスピード感からするとこれ完結するの?と思ってたけど、後半かなり強引にストーリーを区切りまで持っていきましたねぇ。ザビーネとの戦い、ドレルとの戦いとかもっと見てみたいシーンがあったのでなかなか消化不良気味でしたね。。あと、セシリーもモニカも、決断して行動した後に「私はどうすればいいの?」と他人に決断をあずけるスタンスはどうだろう。モニカの「自分の息子を乗せるためにガンダムを作ったんじゃない」発言にはドン引きでした。ルースの「じゃあ、他人の子供ならいいのか!」がまさに代弁してくれました。よく言った、ルース!だからか、なんだか2人とも最後まで印象よくなかった。。しかし、ガンダムっていうのは、民間人でド素人なニュータイプパイロットと仮面かぶった敵のパターンしかないのかねぇ。どうもワンパターンに感じますね。
"This is the only Begining"と打ち出しているものの続編の製作はないんですかね。。クロスボーンがあのまま終わるわけなさそうだし、シーブックの活躍をもっと見てみたいし。是非ともお願いします!
なんとー!
ガンダムの映画は全部見てるけど
これが一番やね
初代から続く物語
アムロやシャアなどは出てこないけど、モビルスーツやコロニーなどで時代を思い出す事が出来る
サイドストーリーではなくそれ自体だけで物語を作れる想像力(まぁ映画だけで完結ではないけど)
映像ではこの映画でしか出てこないけど好きなキャラやMSの上位にランキングされるくらい魅力的な要素がかなり入ってる作品
この後の物語は漫画で繰り広げられてるが(未読)、なかなかに不評w
新たな宇宙世紀100年を作るみたいやけど、個人的に1番作って欲しいのはこのF91の続編
漫画通りにする必要はないですし
当初の予定通りOVAででもいい
出来ればユニコーンみたいに劇場でやって欲しいけど
望み薄やけどずっと待ってますよ
ぜひ続きを、って漫画でやったのか
続きは漫画で^_^;
テーマは家族
全15件を表示









