「いろいろと嫌な部分がある」機動戦士ガンダム 逆襲のシャア eigazukiさんの映画レビュー(感想・評価)
いろいろと嫌な部分がある
本作の嫌な部分を列挙した長文です。最後は本作を少しだけ褒めてます。
戦争の表に出ない部分を想像して嫌になる。戦争では双方が正義を主張するがシャアのネオジオン軍もアムロのロンドベル隊もどちらも正義で悪である。シャアが率いるネオジオン軍は地球を救うという大義名分をかかげるが小惑星落下で地球を壊そうとする。このような矛盾した行動をとるシャアはもっともらしい理由で言いがかりをつけて弱い国をいじめる軍事大国の様であり正義であり悪である。アムロが所属する地球連邦軍のロンドベル隊もシャアの行動のおかげで存在理由ができて実は願ったりかなったりなので背後にあるアナハイムエレクトロニクス社(AE社)の利益のために用意周到に作られた偽善の軍隊なので正義でもあり悪でもある。私は正義のふりをした悪や悪のふりをした正義を見ると現実のニュースを見たときのような嫌な気持ちになる。
キリスト教要素も嫌である。キリスト教要素が入っていて好きな映画もある。ショーシャンクの空に(1994年)だがこれはキリスト教への批判や皮肉が入っているから好きだった。一方で本作の逆襲のシャアはラストがキリスト教礼賛丸出しで嫌になる。最後に神のような力が輝いて奇跡を起こすような本作のラストは見ていて不快になる。このような場面を見せられると潜在的に神の奇跡を信じるようになってしまって地球にとっても人類にとっても悪影響だと思う。地球温暖化や戦争も最後は神がなんとかしてくれると世界中の人はなんとなく思っているはずだ。キリスト教礼賛映画は罪深い。キリスト教映画だけでなく人の作った創作物全部にもこれがいえる。創作物は空想と現実がごちゃまぜになっているのが問題の根源であり元凶だ。
一部のキャラクターやモビルスーツなどが気に入らない。まずヒロインのクエス・パラヤがセリフも行動も嫌いだ。クエスは15歳くらいなのにわがままな性格の幼稚園児のようである。テレビゲームをしている子供のようにモビルスーツで人殺しをやってのける。そのクエスを誤爆で死亡させるハサウェイ・ノアも手本になるような賢い少年には見えない。反抗期の少年少女につけこんで悪い大人が彼らを利用するのも嫌だった。(クエスはシャアに利用されハサウェイは監督に利用された。)モビルスーツもなぜテレビのZガンダムやZZガンダムのモビルスーツがほとんど登場しないのか。ニューガンダムはコアブロックシステムがない、合体しない、変形しない、色や武装が地味などのためプラモデルが組んでいて面白くない。変形したほうが視覚的にわかりやすく納得できる。ニューガンダムのフィンファンネルはプラモデルで6個組み立てるのが実に面倒くさい。サイコミュ兵器やサイコフレームなどはプラモデルのプレイヴァリューが地味で嫌だ。
キリスト教要素のラストが嫌。宇宙空間はまだ解明されていないことが多く未知の世界であり宗教世界と同様にそれは神秘的でもあるので2001年宇宙の旅(1968年)やインターステラー(2014年)などのようにSF映画は作者が意識してなのか無意識に入れてしまったのかは定かではないが観客にサブリミナル的に宗教的な印象を与えるようなラストが多い。本作はラストもそれ以外もキリスト教のモチーフが多い。地球に落ちてゆく小惑星アクシズを大勢のモビルスーツ(巨大人型有人ロボット兵器)が押し返そうとする絵は見え方によっては巨大な十字架を背負った大勢の人々に見える。小惑星アクシズは十字架のような形をしているし物語で頻繁に登場するサイコフレームの装置はT字型でまるで十字架のように見える。さらにヒロインの乗り込む巨大モビルアーマー(超能力者専用の巨大有人兵器)はまるで十字架に貼り付けにされたキリストにそっくりに見える。物語のラストもひどく、宗教的でオカルト的な終わり方だと思う。主人公アムロたちの地球防衛作戦の努力もむなしく、万策尽きて、敵役シャアの企みが成功し小惑星アクシズが地球に落下して地球がメチャクチャになろうとしていた時、謎の装置サイコフレームと人々の思いが共振し巨大な謎の光が発生し地球を覆いつくすまでになり、それがアクシズの落下の軌道を逸れさせて地球が助かりハッピーエンドなのだが私はこの宗教礼賛なラストは好きではない。キリスト教の光が地球を覆い尽くし地球を救うと解釈できるので面白くない。地球には無宗教やその他の宗教の種類も非常に多い。
本作は現実世界が宗教世界と同様に現実と虚構の区別がない世界になる2025年を予言していた。私は本作の作られた1988年ごろが好調に成長を続けていた日本の転換点の時期だったと思う。バブルの時代からテレビ、映画、漫画、アニメ、コンピューターゲームなどの空想の世界は現実を侵食し始めていたと思う。宗教は現実と空想がごちゃまぜになった世界だと私は思うが宗教の世界にとどまらず日本全体において現実と空想がごちゃまぜになり始めていた時代が1988年だったと思う。そういう意味でこの宗教的なラストの「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」は日本の非常に重要な作品である。2025年の現在ではIT革命などの力によって世界全体でこの現実と空想がごちゃまぜの現象が起こっている。それはキリスト教などの宗教とはもはや言えないもので他のなにか新しいものだ。現実と空想がごちゃまぜになった宗教の世界は映画やテレビやアニメと融合し現在のこの地球はまったく新しい世界に生まれ変わったといってもいいと思う。この機動戦士ガンダム 逆襲のシャアはエポックメイキングな作品である。真面目に、本当に2025年の地球は1988年と比べて全く新しい世界になったと思う。スマホ、インターネットなどの力で人々は現実と空想の区別がつかなくなりそれは宗教の世界が現実に出現したのと同じである。逆襲のシャアのラストシーンで最後にシャアとアムロはどこへ消えたのか。この宗教的なラストを拡大解釈すればアムロとシャアは映画のスクリーンを飛び出して現実にやってきたと解釈できる。2025年がそうなったように現実と空想が融合した世界を予言していた作品が本作である。この映画逆襲のシャアのラストではアムロとシャアという救世主は映画から現実世界に「復活」したと私は解釈した。映画の機動戦士ガンダムGQuuuuuuX(2025年)も気になる存在である。
追記1:
現在の世の中に不満で世界をリセットしたいと思っている人にとってはシャアは救世主であるし現在の世の中にやや満足~とても満足している人にとってはアムロが救世主である。この二人の救世主が本作のラストでは行方不明になるが実は二人は生きていて虚構と現実の区別がなくなった現実世界に移動したのではないかと私は最近のアニメGQuuuuuuXを見てこのように思うようになった。あるいはシャアとアムロはキリストのように映画で一度死んで現実世界に復活するとも解釈もできる。機動戦士ガンダムGQuuuuuuXではシャアなど初代ガンダムのキャラクターが登場する。
3行まとめ:
・本作は私の嫌いな要素が多く入っており楽しめず面白くない。
・ただ現実と虚構がひとつになる本作のラストシーンは時代を先取りしていたといえるので評価できる。
・虚構のキャラクターのシャアとアムロはラストシーンで行方不明になったのではなく現実世界に行っただけだと思う。