北の螢のレビュー・感想・評価
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スーパーバイザー 難しいものです 映画はやはり監督が全てを仕切らないと駄目なのだと思います
本作は1984年公開の五社英雄監督作品です
五社英雄監督といえば、1982年の「鬼龍院花子の生涯」がまず名前が挙がります
それほどの大ヒット作品でした
「なめたらあかんぜよ!」という高知弁の啖呵は日本映画の永遠の名台詞として記憶に残り続けるでしょう
翌年の1983年には「陽暉楼」が公開されます
これも宮尾登美子の高知を舞台にする原作小説の映画化で、これまた大ヒットとなります
そうなれば、次回作は同じく宮尾登美子の原作小説で高知を舞台にした作品、つまり「寒椿」と「櫂」の二作品のどちらかが選ばれるものと誰もが当然と思っていました
しかし、「櫂」は本作の次の1985年の作品となり、「寒椿」は五社監督ではなく降旗監督で1992年に映画化されることになるのです
そして五社監督の1984年の作品に選ばれたのは本作「北の蛍」だったのです
本作のスタッフのリストをみると、まずスーパーバイザー:阿久悠とあるのが目を引きます
スーパーバイザーとは何ぞ?
他の映画では聞いたことがありません
スーパーバイザーという役職は、企業とか職場によって現場統括責任者とか地区責任者とか様々で一体なにをするのかよく分からない職位です
阿久悠はご存知の通り昭和の名作詞家
1970年代から80年代は飛ぶ鳥を落とす勢いで、作詞した曲はほとんど全てが大ヒットするぐらいでした
つまり大衆の感情を揺さぶる言葉を操ることにかけて天才的な才能を持つ人物であると言うことです
どうやらほんのアイデア程度の映画の原案を、
大衆が感動する言語でリファインして、その内容で脚本を起こせる程度にまで具体化するという役割のようです
つまり原案のスーパーバイジングを行う役割です
それなら彼の類い稀な才能が、歌謡曲の大ヒットを連発したように、大ヒットするような映画の原案を練り上げることが期待できそうです
こうして「北の蛍」という題名と、物語のイメージが彼によって作り上げられ、最終的には主題歌という成果物となったわけです
映画はその主題歌と同時平行で製作されるという寸法です
なかなか良く考えられた仕組みだと思います
巨額の予算を投下して撮る大作映画を絶対にヒットさせるための仕掛けです
物語は北海道開拓初期の監獄、樺戸集治監を舞台にアンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督の1949年の「情婦マノン」を思わせるお話と、異常な熱意で囚人を開拓に酷使する典獄(刑務所所長)のお話が絡みあうもの
それを北海道の猛烈な吹雪と雪原を舞台に映像化されています
映像は、ものすごいシーンが沢山撮れています
セットも凄い規模
岩下志麻、早乙女愛、仲代達矢、みな良い演技を見せています
しかし2時間の映画は、中盤に流れる主題歌のシーンの5分だけでもう十分に感じてしまうのです
それだけで言いたいことは伝わってしまってます
結局のところ、本作は森進一の歌う「北の蛍」の超豪華なPVに過ぎなかったように思われてしまうのです
あとはもうすべてフリルに思えてしまうのです
スーパーバイザー
難しいものです
映画はやはり監督が全てを仕切らないと駄目なのだと思います
結局、五社英雄監督の次回作は、宮尾登美子原作にもどり、「櫂」が選ばれたのです
超現実の一編
セリフが聞き取れない。難聴のせいで、最悪だ。だから、テレビでの邦画を敬遠してきた。
ところが、最近になって、字幕サービスのあることを知った。これは、いい。いいが、俳優は台詞入れに、相当苦労したことだろう。それが、演技に多少影響しているようにみえることがあるのは、己の気のせいか。
現実感がまるで無い。吹雪の中を歩き回ったり、着替えをしたり・・・。汚れ役を嫌ってか、メイクだけはしっかりしていて、こうなると、お笑い劇かと勘違いさせられる。
懐かしい俳優の演技にあらためて接して、見直すことに気がついた。これだけが、見所なのかもしれない。
そう言えば日本映画ってこうだった。
極寒の舞台に激アツ役者の体温と体臭が充満する。
冷凍庫内で喰えない位熱い鍋焼きうどん喰わされてる感じ。
猛吹雪に列を成す囚人、すがりつく早乙女、歌でなく寧ろ慟哭の主題歌森新一が響く。
1984年五社英雄。
そう言えば日本映画ってこうだった。たまにイイ。
開拓の厳しさが伝わってこない
総合60点 ( ストーリー:55点|キャスト:65点|演出:60点|ビジュアル:70点|音楽:70点 )
開拓時代における北海道の、人の命を命とも思わないような無法で無茶苦茶な強制労働の悲劇や、そこから生まれる人間劇が出てくるのかと思っていた。だがそのような労働者というか囚人たちのことはあまりにあっさりと描かれて、彼らの辛酸や怒りが殆ど伝わってこない。劇中の暖かい部屋の中で「数百人が道路建設で死んだ」とか言ったところで、数字が一人歩きしているにすぎない。まるで報告書でも聞いているだけのようだ。その状態で一部の登場人物の行動を追っていっても重みが感じられない。
美術は最初はいいと思ったが、後半になるとだんだんと偽物ぽくなる。偽物の雪の中で吐く息も白くなくつやつやの肌のままの雪中の逃避行で寒さが伝わってこないし熊の場面はかなり安っぽい。五社監督らしい大袈裟な演技の演出も目に付く。やたらときばった科白とその言い方で物事をすべて表現しようとしすぎている。
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