劇場公開日 1999年6月5日

「「正男の夏」じゃなくて、『菊次郎の夏』」菊次郎の夏 とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)

2.0「正男の夏」じゃなくて、『菊次郎の夏』

2019年8月23日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

単純

ひと夏の出来事。
会ったことのない母に会いに行く。
ちゃんと祖母に確認しなくていいのか?とか、あまりにも無計画で傍若無人な旅に、あきれ、つっこみを入れつつ、ああ、ひょうきん族のノリ?要所要所で、関りになる人が、”芸”を披露してくれて、”浅草芸人”のお披露目のように見えてしまう。

そんな、ちょっと飽きてきたところに、旅の目的の場面があり、ほろっとしたところで、後半。さらにグダグダな展開が続く。

こう書くと目も当てられないような映画に見える
(実際、はまる人ははまるだろうが、万人受けする映画ではない)が、
麿氏演じる怪人が出てくる夢の部分は見事だし(うなされそう)、
トラックの運転手との乱闘は見事だし、
夜のバス停の場面はそれだけで絵になるし、
正男の母との場面、菊次郎の母との場面は、胸をきゅっとつかまれる。

そして、グダグダな(笑)が続く後半。正男の楽しそうな顔。
祖母の愛に包まれて大切に育てられていることは、着ている服とか言動からもわかるが、こんな風に自分が中心で大人たちからかまわれたことなんかないんだろうな。

触法しているだろという出来事も含めて、絶対に保護者=祖母とは経験できない”男”?のひと夏の出来事。正男にとっては決して忘れられない夏の思い出。
そんな風景が、久石氏の音楽、特に無音で包まれる。

とはいうものの、「正男の夏」ではなくて、『菊次郎の夏』。
子どものお守りを押し付けられ、何とかしてやりたいという気持ちはあるものの、子どもの扱い方を知らない菊次郎。
そんな菊次郎が、正男を通して、子どもの頃から引きずるいろいろな思いを昇華したのかな。正男以上に、菊次郎にとって忘れえぬ夏になったのだろう。

呼び方が「ボウズ」から「ぼうや」になった点が、とくにそう呼び方を変えたくなると凡人には思えないエピソード(他にそれらしい意味づけをしやすいエピソードはあるのに)なので、失礼ながら、編集・記録・脚本のミスか?とも思ってしまうが、きっとなにか意味づけはあるのだろう。

そんな風に見直すと、いろいろな場面が愛おしくなる。
妙に間延びした展開すら、夏の暑さにうだる様、畑や浜に渡る風を表しているよう。

とみいじょん