カルメン故郷に帰るのレビュー・感想・評価
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故郷に錦
浅間山麓の牧場に、家出した次女おきんから手紙が届く。彼女は東京で舞踏家リリーカルメンとして有名になり、故郷に錦を飾りたい。カルメンは同僚のマヤ朱実を連れて北軽井沢にやってきて、姉おゆきは歓迎、父は憮然とし、村人は好奇の目で見て。
国産初の総天然色作品。高原の風景が美しく、カルメンらが景色から浮きまくってるのが楽しいです。日本は文化と言う校長、自分たちは芸術家というカルメン。戦後わずか五年で制作された作品とは思えない、勢いと陽気さがありました。風刺もまぜているけど、あまり不幸な様子を感じさせないのが良かった。
シューベルトは、シューバートと言っていたのか。軽井沢の高原の鉄道が、電化されているのに驚き。
シューベルト
デジタルリマスターのおかげか、色が鮮やか。カルメンとマヤの服が、ほんとケバケバしくていいわ。ひなびた村に、南国の花でも咲いたみたい。
ストリッパーだって立派な仕事だけど、色眼鏡で見られるのはしかたない。でも、カルメンは、自分達を芸術家だと誇りを持っている。素肌をさらすことに全く抵抗感がない。こんなにスタイルいいなら、確かに自信があってもうなずける。脚ほんとにきれい。あと、高峰秀子が歌い始めるのもびっくりしたが、なかなか上手いので驚いた。
村人たちの前で踊る曲はシューベルト「楽興の時」、山でのBGMがシューベルト「未完成」。なぜこんなにシューベルト推し?
BS松竹東急の「生誕100年高峰秀子特集」放送を録画で鑑賞。
木下惠介監督の代表作に笑い、涙する。
本当に面白い物語、映画だった。
木下惠介という監督の作る映画には
こちら側の意表をつくものが多い。
しかしこの映画に関しては終始あっけらかんとし
都会慣れしたカルメンと、純朴な村人たちの
何ともいえない交流と、すれ違いに終始する。
一方、カルメンの父は最初から暗い。
カルメンの存在に蓋をしているのだ。
その父が吐露するカルメンのエピソードで
過去に起こった事故を勝手に引きずり、
今も娘を案じているのが分かる。
物語の変調役として、カルメンの妹と、後輩の存在があり
彼女らとの絡みとセリフには深刻な表現は一切ない。
笑う村人と少し足りない都会っ子のすれ違い。
真剣に対応しているカルメンの姿に涙する。
ほんとうはどちらが賢いのかは分からない。
分からないけれどカルメンの帰郷で村に残ったものもあり
ラストシーンと同じく、実は清々しい映画である。
監督のメッセージはそこかな?
そして、やっぱり凄い、スゴイ、凄いと
高峰秀子の凄さを再確認した映画でもある。
※
【目に毒なモノは見たいのが人情。だが、ストリッパーになった娘を想う男親の複雑な気持ちが沁みる作品。だが、ラストは爽快である。正にカルメンは、故郷に錦を飾ったのである。】
■浅間山麓で牧場を営む青山家の娘・おきんはストリップダンサー、リリィ・カルメン(高峰秀子)としてマヤ朱実(小林トシ子)と一緒に里帰りする。
派手な出で立ちのハイカラ娘に村人たちは戸惑いを隠せずにいるが、自分たちを芸術家だと信じる2人は、村でストリップ公演を敢行すると言いだす。
◆感想
・校長先生(笠智衆)を始め、純朴な村の人々が派手派手しい格好で村に戻って来た時の戸惑い。
・父の複雑な思いが、コミカルな中に描かれている。
・高峰峰子さんって、歌も踊りも何でもこなす人だったんだなあ・・。流石、3歳から子役として働き、その後、一流俳優になっただけの事はあるなあ。
■今作の見せ場は、高峰秀子と小林トシ子の場違いなのに憎めない、コミカルなストリッパーとして躍るシーンであろう。村人たちはその姿を息を呑んで齧り付きで観ている。
<ラスト、二人は稼いだ金をお金の父に渡すが、父はその金を校長先生に渡し、学校の為に使ってくれという。校長先生は”そういうことなら”と快く受け取るのである。
リリィ・カルメンが故郷に錦を飾った瞬間であろう。>
■高峰秀子さんの気品あるエッセーは、好きである。又、旦那さんになった映画監督の松山善三との二人旅エッセーも愛読書である。
3歳から子役で学校にも行かずに、働き通しだったという高峰秀子さん。
今作は、そのイメージを吹っ飛ばす快作である。
日本初カラー映画の中にある木下惠介監督の演出の先鋭さと、主演高峰秀子の完成の域にある演技の素晴らしさ
日本初の総天然色映画として日本映画史に記録される木下惠介の牧歌的喜劇映画。それもテクニカラーでもイーストマン・カラーでもなく、松竹と富士フィルムが協力して開発したフジカラーフィルムという純国産で制作したところに、戦後日本の文化復興の意気込みを感じる。荒廃した焼け野原から5年足らずでその偉業を成し遂げたことになるが、冷静に評価すれば赤と黄色は鮮明ながら緑色より赤茶色が強く、初秋の山々の美しさに僅かな不満が残る。しかし、内容は素晴らしい。出来の悪い家出娘が何年か振りに故郷に帰る数日のエピソードに込められた、当時の日本人の文化芸術に対する認識を風刺した台詞の可笑しさ、父正一と娘おきんの愛情のすれ違い、盲目の作曲家小川先生の夫婦愛、今では死語となる”故郷に錦を飾る”をストリッパーのリリー・カルメンで斬新に展開させた脚本が秀逸である。故郷のみんなに笑われても、東京で逞しく生きるリリーことおきんの”芸術”を披露することで、結局主人公は初恋の小川先生に最高のプレゼントをするのだ。それも彼女が全く意図しない形で、回り回って借金で奪われたオルガンが小川先生のもとに返る。木下惠介監督のこの脚本は、登場人物の役割を生かし動かし、尚自然な物語の流れに溶け込ませて、序破急の構成力の抜きんでた技量があり、傑出している。
この映画のクライマックスにして序破急の”破”にあたるのが、父が娘の公演をやらせて下さいと校長先生に涙ながらに訴えるシーンだ。小学校の運動会で小川先生のオルガン演奏を台無しにして村人たちから嘲笑されたリリーが、名誉挽回を画策し興行主の丸十社長と組んで特別公演を急遽企てる。翌日には”ハダカ美女の乱舞”や”裸芸術”と銘打った宣伝カーが村を巡回する。校長先生がこれを止めさせようとするのは当然の成り行き。帰郷を促したものの、駅で出迎えた時から、都会的よりただ派手な格好なので、これは純粋な舞踏家とは違うと疑念を抱いていた。しかし、父正一は牛に蹴飛ばされて頭がおかしくなった末娘が不憫で可哀そうで何より愛しい。出来の悪い子ほど可愛いという親心が涙を誘う。この時の(わしも一緒に笑われますだ)の台詞に、父親の無償の愛が凝縮されている。ここまでの演出もまた素晴らしい。裸踊りの事前練習をするリリーと友人マヤのところへ向かうシーンで、何とシューベルトの「未完成」がBGMとして流れる。浅間山麓の風景とは風情を異にするドイツロマン派音楽の名曲が、父正一の心理表現になり、そこにバケツでリズムを取るリリーとマヤの掛け声が重なる。二人の踊りを見せない演出と、音楽のミスマッチで表現した父正一の交差した心理表現のこの斬新さと先鋭さ。木下惠介監督の時に挑戦的で実験的な演出の一例と思われる。
興味深かったのは、このクライマックスで使われたフランツ・シューベルトの音楽が他にも多用されていた点だ。「軍隊行進曲」「野ばら」「アヴェマリア」などは自然に生かされているし、”芸術”公演の司会で説明される名前の呼び方が、シューバートなのには初めて知って驚いた。英語読みは当時のGHQ統治の影響なのだろうか。時代を反映した記録の点で、北軽井沢駅の表記も”きたかるるざは”の旧仮名遣いのままなのが当時を物語る。蒸気機関車ではない、コンパクトな小型電気機関車なのも興味をそそる。主題歌「カルメン故郷に帰る」の作曲家黛敏郎のモダンさと木下忠司作曲「そばの花咲く」の抒情的日本唱歌の対比も面白い。
頭の足りない芸術家リリー・カルメンを演じた名女優高峰秀子の突き抜けた個性表現がやはり作品一番の見所であろう。子役時代の作品は「東京の合唱」しか鑑賞していないが、5歳から運命的出会いをした映画に携わって既に22年のキャリアを重ね、この難役を自己表現の域に持って行っているのは、映画と共に成長した彼女の証しに他ならない。この後、同じ木下作品の「女の園」「二十四の瞳」や成瀬作品の「稲妻」「浮雲」と日本映画の黄金期を代表する名女優になるスタートラインの代表作。運動会のシーンで小川先生の演奏の厳粛さに打たれながらも居心地の悪さに顔をしかめるところが印象的。ふんぞり返ったマヤと対比する彼女の善人性が描写された演出と演技。初恋相手の小川先生を演じた佐野周二も味がある存在感で素晴らしい。全盲役の為演技の振幅は少なくとも、出兵前の故郷の景色を目に焼き付けた傷痍兵の哀愁を滲ませている。また二人の年の差で、おきんの少女期の早熟振りが想像できる。笠智衆演じるコミカルな校長先生も安定の面白さ。出番が少ない当時25歳の佐田啓二も要所要所でコミカルな好青年を演じている。マヤに言い寄られる校庭シーンや二人の踊りに見入りながらも生徒の手前後にする丘のシーン。姉ゆき役望月美恵子(優子)も好演で、父正一の坂本武と息の合った親子を演じている。ラストの手拭いを手に涙の別れをするシーンの情感がいい。
日本初のカラー劇映画の視点だけではなく、木下惠介監督の考えられた脚本・練られた演出と、主演高峰秀子の鮮烈な役作りを楽しむ秀作として高く評価したい。
あー、カルメン♪
いま観ても結構ぶっ飛んだ喜劇である(コメディというよりは日本語の“喜劇”という方がふさわしい)。先ず登場人物がみんなどことなく可笑しい。笠智衆の校長先生ですらどこか可笑しい。これは高峰秀子演じるリリー・カルメンがあまりにぶっ飛んだ人物造形なので、周りの登場人物がまともかシリアスであれば余りにも浮いてしまうからだろう。そして、カルメンと村の人たちとが完全にすれ違っているのが可笑しい。子供の時に牛に頭を蹴られて泡を吹いてたおれた“きん”は完全にマイウェイだ。ストリップは芸術だと信じ切り、自分は芸術家で村の人たちを教化しないといけないとさえ思っている。周りがどう思っているかを気にしないと言うより、はなから疑っていないのだ。故郷の人たちは彼女の帰郷によくも悪くも振り回されるのだが、それすら彼女は気づくことなく高原で後輩と歌い踊る。
日本初のカラー映画にふさわしい、 軽井沢ロケの映像にテーマが見事に合致して素晴らしい後味が残りました
日本初のカラー映画にふさわしい、 軽井沢ロケの映像にテーマが見事に合致して素晴らしい後味が残りました
1951年公開
国敗れて山河あり
正に初秋の北軽井沢の草原、浅間山の雄大な姿は、焼け野原になった都会の町街とは隔絶して変わらずあります
敗戦の混乱もようやく脱しようとして、翌年には占領下から独立が予定されて希望に満ちているその空気と光が日本初のカラー映画の美しい発色と美しい光景でフィルムに写し取られています
カルメン達は戦時中や戦前の重苦しい空気から解放されており日本の古い因習からも自由に生きています
盲目の傷痍軍人のオルガン弾き、カルメン達だって本人達は芸術と信じているのです
校長先生は文化の面でも復興を遂げるのだと意気さかんです
小学校の運動会の校庭のポールには高々と日章旗がはためいています
文化や芸術は大衆のなかから巻き起こり国民そのものが愛するものです
彼や彼女に文化人や知識人や前衛と称する人々の蔑視の視線は向けられません
カルメン達は草軽軽便鉄道で軽井沢経由で東京に向かって帰って行きます
カルメンは確かに故郷に帰ってきました
こんどは東京という文化の故郷に帰るのです
大衆芸術は彼女達や村の人々のような大衆が生み出し楽しみ発展させていくものなのです
今度は東京の大衆達が文化や芸術を作り出していくのです
明るい日射し、明るい発色が今後の希望を約束しているのです
高峰秀子のカルメンの明るい屈託のない演技はこのテーマを見事に表現して見せた素晴らしいものだったと思います
北軽井沢駅の駅舎跡は今も草津から軽井沢に抜けるバス通りの脇に残っているようです
先日通りかかった際は気づかず素通りしてしまいました
確か道沿いにこの舞台の小学校ではないと思いますが小学校を見かけたので立ち寄ってみたいと思いましたが通り過ぎてしまいました
北軽井沢小学校という名前の小学校は実際に存在してバス通りから入ったところのようです
浅間山の雄大な姿
美しい草原のような一面の畑は、本作の世界そのままの明るい陽光の下にありました
・デコちゃんの陽気さがはじけてて、カラーだぞ!という気負いも感じる...
・デコちゃんの陽気さがはじけてて、カラーだぞ!という気負いも感じる
・しゃっちょこばった校長が堅苦しく見えないのは絶対に笠智衆の人柄のおかげ
・オルガンの前で控えめに踊る息子がかわいらしい
高峰秀子
日本初の総天然色映画。「娘の裸なんか見たくね~だ」と校長先生(笠智衆)に嘆くお父チャン。帰ってきたものはしょうがない。
恋人を見つけることも諦めて、浅間山をバックに自然あふれる丘の上で踊る二人。戦争直後のストリップだし、そんなにいやらしく感じないミュージカル。
小学校のシーンで、リリーカルメンの友達が、先生にちょっかいだすシー...
小学校のシーンで、リリーカルメンの友達が、先生にちょっかいだすシーンが最高!!ちょっかいだすされている小川先生可愛かった(*´ω`*)
高峰を支える松竹の男たち
浅間山の煙たなびく信州の青空と、高峰秀子と小林トシ子の衣装の原色のコントラストが面白い。日本初のカラー映画ということで、どんな色を見せたかったのかよく分かる。
笠智衆、佐多啓二、佐野周二という松竹のスター俳優が、田舎の地味な男たちを演じているから高峰ら都会から帰ってきたストリッパーとのバランスが取れているのだろう。もし、この男たちを脇役の俳優が務めていたとしたら、この高峰たちの浮き上がりっぷりはうすら寒いものに終わっていたかもしれない。
カルメンは木下恵介か。
全くこの作品のレビューとしては関係ない話から始めると、まさかこんなところにハイジのルーツがあるとは思わなかった。
ハイジとはアルプスの少女ハイジである。
もちろん原作ではなくアニメである。
アニメのハイジの第一話とこの作品はかなりの部分で似ている。
それはカットカットが似ている。
場所は違えどもこの作品の中からハイジのアイデアが出てきたのかともう何十年も前にあったこの映画を好きだった高畑勲の気持ちが窺えるようだ。
さて、本題に入る。この作品はコメディの様相を呈している日本初のカラー映画といわれている。日本初のカラー映画というのは正しいかもしれないが、コメディとしては現代人の自分にはそこまで笑えなかった。
しかしながら、この作品はさまざまな価値観が入り乱れる。
そしてその記念すべき映画に木下恵介が選んだテーマは映画そのものだった。
今の映画とは何なのか。という問いを観客に問いかけた作品となっていると個人的には思った。
カルメンというひとりの女に自分を重ねて作っ他のではないだろうか。
ふとそんなことを考えてこの映画を見た。
どこまでもさわやかにラストシーンを迎えるこの映画は、どこか映画というものを感じずにはいられない。
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