劇場公開日 1951年3月21日

「日本初のカラー映画にふさわしい、 軽井沢ロケの映像にテーマが見事に合致して素晴らしい後味が残りました」カルメン故郷に帰る あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0日本初のカラー映画にふさわしい、 軽井沢ロケの映像にテーマが見事に合致して素晴らしい後味が残りました

2019年10月13日
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日本初のカラー映画にふさわしい、 軽井沢ロケの映像にテーマが見事に合致して素晴らしい後味が残りました

1951年公開
国敗れて山河あり
正に初秋の北軽井沢の草原、浅間山の雄大な姿は、焼け野原になった都会の町街とは隔絶して変わらずあります
敗戦の混乱もようやく脱しようとして、翌年には占領下から独立が予定されて希望に満ちているその空気と光が日本初のカラー映画の美しい発色と美しい光景でフィルムに写し取られています
カルメン達は戦時中や戦前の重苦しい空気から解放されており日本の古い因習からも自由に生きています
盲目の傷痍軍人のオルガン弾き、カルメン達だって本人達は芸術と信じているのです
校長先生は文化の面でも復興を遂げるのだと意気さかんです
小学校の運動会の校庭のポールには高々と日章旗がはためいています
文化や芸術は大衆のなかから巻き起こり国民そのものが愛するものです

彼や彼女に文化人や知識人や前衛と称する人々の蔑視の視線は向けられません

カルメン達は草軽軽便鉄道で軽井沢経由で東京に向かって帰って行きます

カルメンは確かに故郷に帰ってきました
こんどは東京という文化の故郷に帰るのです
大衆芸術は彼女達や村の人々のような大衆が生み出し楽しみ発展させていくものなのです
今度は東京の大衆達が文化や芸術を作り出していくのです
明るい日射し、明るい発色が今後の希望を約束しているのです

高峰秀子のカルメンの明るい屈託のない演技はこのテーマを見事に表現して見せた素晴らしいものだったと思います

北軽井沢駅の駅舎跡は今も草津から軽井沢に抜けるバス通りの脇に残っているようです
先日通りかかった際は気づかず素通りしてしまいました
確か道沿いにこの舞台の小学校ではないと思いますが小学校を見かけたので立ち寄ってみたいと思いましたが通り過ぎてしまいました
北軽井沢小学校という名前の小学校は実際に存在してバス通りから入ったところのようです

浅間山の雄大な姿
美しい草原のような一面の畑は、本作の世界そのままの明るい陽光の下にありました

あき240