劇場公開日 1965年11月27日

「苦心の末生み出された特撮描写に対して、お粗末な人間ドラマ」大怪獣ガメラ 緋里阿 純さんの映画レビュー(感想・評価)

2.5苦心の末生み出された特撮描写に対して、お粗末な人間ドラマ

2025年5月4日
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鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

単純

興奮

斬新

【イントロダクション】
北極の氷の下で眠りについていた古代アトランティスの大怪獣ガメラが、墜落した国籍不明機が搭載していた核爆弾によって目覚め、やがて人類を恐怖に陥れる。
監督は、本作の成功を皮切りに、昭和ガメラシリーズ全作を手掛ける事になる湯浅憲明。脚本は、同じく昭和ガメラシリーズ全作を手掛ける高橋二三。

【ストーリー】
北極のエスキモー集落を訪れていた日本人の調査隊。生物学者の日高教授(船越英二)は、エスキモーの族長から古代アトランティス時代に生息していた悪魔の巨獣“ガメラ”について記された石碑のカケラを受け取る。

一方、教授達が乗ってきた調査船「ちどり丸」は、国籍不明の戦闘機を発見。通報を受けたアメリカ空軍は、国籍不明機に接触を試みるが、攻撃を受けた為にこれを撃墜。国籍不明機は北極に墜落する。しかし、この国籍不明機には核弾頭が搭載されており、その大爆発によって氷が崩壊し、氷の下で8,000年以上眠り続けていたガメラが復活してしまう。ガメラはちどり丸を破壊し、乗組員全員が犠牲となる。被害状況を確認にアメリカ空軍が訪れたが、ガメラはその場から姿を消していた。

巨大な亀が出現したという前代未聞のニュースを受け、生き残った日高教授達はニューヨークでインタビューを受ける。教授は、「核エネルギーに当てられて生きていられる生物はおらず、よってガメラは死去しただろう」と仮説を立てる。その後、世界各地では未確認飛行物体の目撃情報が報告され、ガメラの話題は瞬く間に掻き消された。

北海道襟裳岬。母を亡くし、父と姉と3人暮らしをしている孤独な少年・俊夫は、学校でも友達を作らず、ペットの亀を世話する事に情熱を注いでいた。そんな俊夫の姿を見かねた父と姉の信代(姿美千子)は、彼に亀を捨ててくるよう促す。
渋々亀を捨てに海岸にやって来た俊夫だが、直後にガメラが出現し、人々を恐怖に陥れる。俊夫は灯台に登ってガメラを直近で確認するが、ガメラによって灯台は破壊されてしまう。灯台から落下した俊夫は、ガメラによって助けられ一命を取り留める。
ガメラに助けられた俊夫は、「チビ(飼っていた亀)がガメラになったんだ」という妄想を抱くようになる。

ガメラはエネルギーを求め、上陸して羊蹄山にある地熱発電所を襲撃する。自衛隊による攻撃にもビクともせず、ガメラはエネルギーの補給を開始。現場に駆け付けた日高教授達は、ガメラの性質から核攻撃や通常兵器は餌にしかならないと判断し、自衛隊が秘密裏に開発した冷凍爆弾による攻撃を試みる。冷凍爆弾と発破により、山頂から転落してひっくり返されたガメラ。亀は裏返されると自ら起き上がる事は出来ない為、後はガメラが餓死するのを待つのみかと思われた。しかし、ガメラは手足を引っ込めると、ジェット噴射によって自らの身体を回転させ飛翔した。世界中で目撃されていた未確認飛行物体の正体は、ガメラの飛行形態だったのだ。

後日、ガメラは再び日本に出現。東京に上陸したガメラは、街を蹂躙し、都内に甚大な被害をもたらす。やがて、エネルギーの補給の為に、ガメラは石油コンビナートで足を止める。
事態を収拾する為、日高教授をはじめとした世界中の科学者達が集結。伊豆大島に設けられたロケット基地での火星調査計画“Zプラン”の流用が提案される。ガメラを伊豆大島に誘導し、ロケットの先端部にガメラを閉じ込めて火星に打ち上げようというのだ。
かくして、ガメラ追放計画“Zプラン”が開始される。

【感想】
私は、平成ガメラシリーズの大ファンであり、昭和シリーズは幼少期にVHSで何作か観た程度、それも殆ど内容は覚えていないレベルなのだが、昭和シリーズは「子供たちの味方」という方向性があった事だけは記憶している。本作でも、俊夫を助ける(と見える)演出があり、既にその路線の片鱗が見て取れる。とはいえ、本作の場合は自分で破壊した灯台から俊夫を助けたに過ぎないのだが。

当時、大映は東宝の『ゴジラ』シリーズに並ぶ会社のヒットコンテンツを求めていたらしく、「我が社でも特撮はやれる!」と証明したかったそうだ。
しかし、実際には怪獣特撮のノウハウは試行錯誤の連続だったという。そんな紆余曲折を経て完成した特撮シーンは、ミニチュアの手作り感の中にも確かな迫力と面白さを感じさせる出色の出来だったと思う。
そんな中でも、“亀が回転しながら空を飛ぶ”というアイデアと描写は非常に画期的で、以降ガメラの代名詞となる。
また、ガメラの東京襲撃の際、ガメラが人々の逃げ惑う建物を容赦なく破壊し、火炎放射で人々を焼き殺すというシーンは、描き方こそマイルドなれど『ゴジラ−1.0』もビックリの大虐殺シーンである。

ガメラの着ぐるみ造形も、まだこの時点では人類の脅威の為、白眼の中をギョロギョロと移動する黒い瞳という不気味なものとなっている。この瞳のギミックが素晴らしく、感情の掴めない異形の存在感は、東宝の『ゴジラ』にはない優れた表現だろう。また、不気味さの中にも独特な可愛さを感じ取る事が出来る。

問題なのは、力の入った渾身の特撮描写に対する人間ドラマの薄さだろう。この人間ドラマの酷さが、本作の魅力を悉く潰してしまっている。ともすれば、偉大なる『ゴジラ』第1作と肩を並べたかもしれない程の名作に出来ていたかもしれないだけに非常に勿体ない。

【不必要な登場人物と、ノイズとなるキーパーソン】
本作は、とにかく必要性の感じられない(他のキャラで兼任可能な)キャラクターと、観客にストレスを与えるキャラクターが多過ぎるのだ。

日高教授の取材に同行した新聞記者の青柳、教授の助手である京子、その2人が織りなす不必要なラブストーリーは、存在せずとも話が成立する。また、ラブストーリーと言っても、実際には青柳が一方的に京子にアプローチを掛けるばかりで、京子はラストになるまでは一切靡かない始末だ。伊豆大島でのZプランの最中、台風によってガメラを誘き寄せる炎が吹き消された際、燃料庫に松明を投げ入れて炎を起こし、再びガメラの関心を向けるという青柳の作戦は、生物学者である日高教授がガメラの特性を利用しようと即興で行うだけで十分なはずだ。

本作で1番の問題点が俊夫のキャラクターだ。鑑賞中、とにかく彼の行動の一部始終がノイズで仕方なかった。物語の流れを握るキャラクターであるにも拘らず、彼の身勝手な行動の数々はストレスを抱かせる。家族や他人を無責任に巻き込む姿は、とても「子供だから」と擁護する気にはなれない。また、周囲の大人達が真剣に怒らない様子にも違和感を覚えた。
ガメラを石油コンビナートで足止めする作戦中に、貨物列車で俊夫がガメラに向かって行くシーンで、ガメラが列車を破壊した瞬間は、その容赦のなさとノイズとなるキャラクターが排除された(実際には生き残っていたが)事に、思わず心の中でガッツポーズしてしまったくらいだ。

この俊夫というキャラクターの描き方を変えるだけでも、本作のドラマ部分は段違いに良くなったのではないか。一つ、修正案を出してみようと思う。

「母親が亡くなって以降、周囲に心を閉ざし、亀しか友達のいない孤独な少年」ここまでは理解出来る。夕飯のおかずをコッソリと持ち出し、亀に与えようとするのも、動物に対する優しさの表現として良い。

大事なのは、彼は「飼っていた亀がガメラになったのかもしれない」と思っている点だ。
また、ガメラ北海道出現の際、ガメラが灯台を破壊するというシーンにも違うアプローチが必要になる。灯台はあくまでガメラ出現の際による地震、又は二次被害によって、偶発的に倒壊すべきだ。それにより、俊夫をわざわざ灯台に登らせずとも、倒れてくる灯台から俊夫を守るといった表現に置き換える事が出来る。
これにより、翌日俊夫がチビを探しに行った際、彼がガメラをチビが変化した姿だと思い込む動機になる。

ガメラの被害により、俊夫と信代姉弟が東京の叔父宅へ避難した際も、俊夫はチビがガメラになったと信じており、それを信じない「ガメラは悪者」と考えている従兄弟と対立する形で、「ガメラを悪者にしたくない」という思いから無茶な行動をする方が自然である。また、石油コンビナートで貨物列車に乗って無茶をする際も、ガメラは俊夫と職員に気付いて捕食を止める等のアプローチがあった方が、俊夫がガメラを信じる動機の強化に繋がる。

そして、ガメラへの思いから、日高教授に「ガメラを駆除するのではなく、追放する」というZプランの発想へと繋げるべきだ。これにより、本作のラストで俊夫が語る「大きくなったら、火星のガメラに会いに行く」という夢も自然な形で抱かせる事が出来るはずだ。
何せ、本作のラストでのこの台詞は、それまで執拗にガメラを追い求め、悪者扱いする事に反対していた彼が、いかにも脚本の都合で急な心変わりをしたようにしか見えなかったからだ。

最も、この俊夫との奇妙な友情に比重を置く場合、東京襲撃シーンの被害描写も変更せねばならないが。
例えば、火炎放射はあくまで自衛隊の攻撃に対する防衛行動。街を蹂躙するのは、エネルギーの枯渇により餌を求めて最短ルートを選択した為といった具合に。

いずれにせよ、本作は人間ドラマの描写で大損している作品なのは間違いない。

【総評】
日本の特撮シーンにおいて、今やゴジラに比肩する程の人気キャラクターとなったガメラの原点は、そのあまりにもお粗末な人間ドラマのせいで大損をしている作品だった。

但し、ガメラの特撮シーンは素晴らしい出来で、一見の価値は間違いなくある。
ロケットでガメラを打ち上げ追放するというトンデモプラン含め、昭和ならではの緩さも味と言えば味である。

緋里阿 純
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