学校IIのレビュー・感想・評価
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【”この国に偏見や差別のない時代が来るまで。”今作は、高等養護学校の教師たちが悩みつつも、障害を抱えた生徒達を懸命にサポートする姿が琴線に響く作品である。】
■北海道の竜別高等養護学校の教師・竜平(西田敏行)は、妻と別れ歌手になりたいという娘ユカ(浜崎あゆみ)とも進路のことで意見が合わない。
けれど、竜平は障害を抱える生徒達を預かる養護学校では、新米教師であるコバ先生(永瀬正敏)やベテラン女性教師である北川先生(いしだあゆみ)等にとっては頼りになる存在である。
外出から戻ってこない生徒のタカシ(吉岡秀隆)とユウヤ(神戸浩)を連れ戻すため、安室奈美恵さんのコンサート会場に車を走らせる。
その途中、入学したばかりの頃のいじめで心を閉ざし、口を開かないた高志や、感情をコントロールできず、粗暴な態度や糞便を垂れ流していた佑矢と過ごした日々を思い出す。
ー 先日、出張途中の車内で聴いていたラジオで、名古屋市出身の今作でユウヤを演じた神戸浩さんが登場された。
珍しいこともあるものだ、とボリュームを大きくして聞いたのだが、今作と前作が近々県内であるイベントと併せて上映されるとの事であった。
そのインタビューの中で、今作で日本アカデミー賞の優秀助演男優賞を神戸浩さんは、永瀬正敏さん、吉岡秀隆さんとともに受賞されているが、その事に言及されるとあの独特な声で”山田洋次監督さんは、厳しかったです。何度も何度もやり直しをさせられました。”と語っていた。
山田監督は吉永小百合さんに対しても、何テイクも求める姿をドキュメンタリー番組で見ていたため、さぞや大変だっただろうと思ったと共に、山田監督が昔から一切妥協をしないプロフェッショナルであった事を改めて知ったのである。-
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・養護学校の生徒達のキャラクターが、際立っている作品である。上述のタカシとユウヤだけではなく、ダウン症の生徒さん達も多数居た事に驚いたモノである。
■印象的なシーンは数々あれど、序盤のユウヤの手が付けられない姿である。母親(原日出子)が涙ぐむ中、暴れ回るユウヤ。
だが、ある日ダウン症の女の子が書いた作文用紙を破った時に、それまで一言も喋らなかったタカシが椅子から立ち上がり、”ユウヤ、五月蠅いぞ!ハイッて返事しろ!”と怒鳴り付け、それ以降ユウヤはタカシのいう事だけは聞くようになるシーンである。
■さらに、タカシの母親(泉ピン子)が、タカシが作文コンクールで賞を取った時に流した涙や、ユウヤの母親が彼が学校にいると迷惑が掛かると思い、退学させようとしたときに、それを止める先生たちの言葉に涙するシーンである。
養護学校に通う生徒を持つ親御さんたちの大変さや、養護学校の先生たちが葛藤しつつも生徒達に向きあう姿には、尊崇の念を覚えたモノである。
<今作は、養護学校の生徒と教師たちの交流を描いているが、驚くのは養護学校の教師の方々が、如何に大変な仕事をしているかという事と、養護学校の生徒の進路決定の大変さである。
今作は、観ていてキツイシーンもあるが養護学校の状況を映画のテーマにした、山田洋次監督の慧眼とメッセージが心に響く作品である。>
包み込む優しさ
序盤と終盤、物語の端と端に高志と佑矢の大冒険、真ん中に核となるそれまでの話を厳しさよりも優しく丁寧な演出描写が印象的に思える山田洋次監督。
徹しきれない振り回されてばかりの永瀬正敏が一般的な人物像を演じている役柄にも、普通の感覚を割り当てる傾向で山田洋次が演出する永瀬が良くも悪くも人間らしくて大好きだ。
ディカプリオの『ギルバート・グレイプ』より早い吉岡秀隆の演技かと思いきやそれは大袈裟か、仕事を覚えるのが遅い、職場の環境に慣れない、対人関係での悩み、社会に出る事で起こり得る不安や葛藤など、リュー先生もコバちゃんや玲子先生も皆んなが日々を悩んでいる、少しずつ余裕が持て思いやりが中心になれたのなら隔てる必要のない世の中へと、厳しいばかりじゃ、甘い考えがより良き社会に繋がるかもしれない、甘いか!?
西田敏行の安定したキャラに微笑ましくも癒され、いしだあゆみの華奢ながら強い女性像が逞しくて、そんな二人のちょっとした場面に涙が出そうになりながら。
取り入れる才分
タイトルなし(ネタバレ)
冒頭から浜崎あゆみが可愛い…!
障害を抱える人たちの環境はきっとこんな感じだろうから、見ていていたたまれなくなる部分が多々あった。
高志と佑矢が困ったときに頼ったのが同じ学校にいた木村先輩なことと、木村先輩が障害抱えつつもちゃんと働いていて、職場の人(笹野さん)にも信頼されている描写に救われた。
吉岡秀隆、すごいなー。神戸さんや鈴木美恵さんも。
小籔さんが出てるのもびっくりした!
あとやっぱり安室奈美恵withSUPER MONKEY'S のライブとか最高(^^)!
気球に乗って
風船は私達そのものの姿です
養護学校の生徒達
それは私達そのものです
こざかしい知恵の中身の生身の姿はこの子達とちっとも変わらない
悩み、苦しんで、出来なくて悔しくて
生きて行くのがとても苦しくて
わーっと衝動的に大声を上げて走り出したい時は誰にだってあること
それを抑えつけ、人に気取られないように暮らせることがほんの少しだけ上手いだけのこと
いつどうなるかなんて自分でもわからないものです
抑え込みすぎて心の病になる人だって身近に大勢います
この子達は大人になる前にそうなったに過ぎません
風船は憧れ
あんな風に自由に気ままに空を飛べたなら
どんなに幸せだろう
そんなことを考えるのは誰だっておなじ
精神の自由は人間総て平等です
冒頭の校庭とラストシーンの教室の窓の外に赤い風船が見えます
精神の自由を獲得する
それが本当の学校だというメッセージだと理解しました
そして風船は命の大切さ、儚さも表現していたのではないでしょうか?
高志は佑矢に独りで学校に帰れと言うのですが、自分は帰らないとレイコ先生に告げました
あの真冬の大雪の中、一体彼は独りぼっちで何処へ行くつもりだったのでしょう
彼は熱気球のように空に登っていくつもりだったのかも知れません
疲れ果てた高志は空に登って楽になりたかったのかも知れません
でも彼は天国の近くまで行って帰ってきてくれました
だから冒頭の風船は地面を這い、ラストシーンの風船は空中に留まったのです
風船はすぐに破裂したりします
割れなくても、すぐに萎んでしまいます
風が吹くと吹き飛ばされてしまいます
風の加減次第に自分でもどこに飛ばされるのかわからずに飛んでいってしまいます
天に登って消えてしまうものだってあります
それは養護学校の生徒だけのことでなく、
私達誰だって同じです
そのものの姿でもあります
ゴム風船のように、破裂しやすく、すぐに萎んでしまう、吹き飛ばされて、風に流される儚い存在
それが人間です
何も変わりはないのです
リュー先生だって、若い小林先生だって悩んで苦しんで生きているのです
レイコ先生だって本当は孤独でさびしいのです
それでも熱気球のように簡単には壊れない、一応コントロールできるようにもなれるかもしれない
自ら情熱の炎を燃やして熱気を気球に送り込んで上昇していくことができるのかもしれないのです
少し不安だけれども、熱気球が飛べば仲間達が追いかけて助けてくれるのです
遥か高みに登ってみれば、遥か十勝平野を一望できるように、人生を見晴らせるかも知れません
それを高志と私達は学んだのかも知れません
社会での生き辛さが伝わります。
あむろとかあゆとか
ヒューマンドラマ・・
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