風立ちぬ(1976)のレビュー・感想・評価
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0114 純愛悲惨路線なんだけどね
1976年
百恵ちゃん幸薄い役まっしぐら!
結核なのに結構ぽっちゃりとして見えたのは気のせい?
芦田伸介が重みを与えるがそれでもアイドル映画の
線は消えなかったなあ。
同時上映森昌子のどんぐっり子
なかなかの苦痛でした。
60点
初鑑賞 1976年8月23日 梅田劇場
パンフ購入
堀辰雄原作、山口百恵主演作
学生時代に“山口百恵おっかけ”していた頃(1976年)に公開映画館で観た「山口百恵主演作」、47年ぶりに鑑賞。
堀辰雄原作の病弱少女と彼女と惚れ合う青年を戦時中恋愛ものとして描いた東宝作品。
病弱少女を演じる山口百恵は、本当に学生服が似合う若さ!
青年は三浦友和、こちらも若い。
太平洋戦争が始まって半年後の昭和17年、軽井沢の裕福な家の主人(芦田伸介)の一人娘=お嬢様(山口百恵)は学生青年(三浦友和)に好意を持っていた。学生も。
自転車二人乗りをしていると「戦時中なのに!」と怒る森次晃嗣……ウルトラセブン(笑)
しかし、お嬢様は結核。なんか時代を感じる病気だ…。
療養所に移るが、青年は見守ろうとするものの学徒動員で学生まで召集される戦争。
2人は惚れ合うが……という物語。
途中、青年が「風立ちぬ、いざ生きめやも。」と言うと、お嬢様が「どういう意味ですか?」⇒青年「風がわたっていく。さぁ、元気で生きていこうよ。…ですね」というタイトルの説明。
この映画、今観ると、病弱で薄幸なはずの山口百恵が元気すぎる感あり…(笑)
また、戦争終わって戦地から戻った青年がお嬢様を思い出すシーンは「山口百恵が走る姿のスローモーション」で、百恵のMVみたいだ(笑)
また、そのシーンは、木下恵介監督の『野菊の如き君なりき』をカラー映画で撮ったような風景になっている。
歌手としての山口百恵は主にNHKホールで見て、映画は公開されると映画館へ行ったのが懐かしい。
NHKホールでは1人の大学生から「誰を見に来たの?」と聞かれて「山口百恵」と答えたら、「じゃあ、曲が終わる時に、僕が『せ~の』と言うから、一緒に『ももえちゃ~ん!』と応援してくれない?」と頼まれた。そして、大学生と一緒に『ももえちゃ~ん!』と叫んだら、後日放映された時にテレビから自分の声『ももえちゃ~ん!』が流れて来た(笑)
1970年代にはビデオデッキも無かったので録画できなかったのが残念ではあるものの、懐かしき思い出……。
この映画、無難な文芸作だが、活動期間短かった山口百恵を見られる映画という位置付け。
でも山口百恵を知っている人も段々と少なくなるのかなぁ……(^^;
<映倫No.18784>
戦時中の儚い恋
昭和17年、山口百恵扮する水沢節子は、三浦友和扮する結城達郎と芦田伸介扮する節子の父、外交官水沢家の軽井沢の別荘にいた。松平健扮する兵隊になる大浦もいた。まだ女学生の節子に見合いの話が来ていた。結城は、東京の大学に行く事になったので挨拶に来た。結城は、節子の父に挨拶に行くと節子に言った。しかし、結城の兄は戦場へ向かう男が結婚すべきではないと反対した。折しも大浦が戦死し、結城は節子の父に報告した。結城は、死ぬ事が分かっていて結婚の話は出来ないと言った。節子の父は、何とか生きのびる事を考えようと言った。節子は、結城が生きている限り近くにいてあげたいと言った。さらに節子は結核で冬が越せるかどうかだった。果たしてふたりの運命や如何に? たまたまNHKで1980年10月5日の山口百恵伝説のコンサートを見た後で観た。覚悟を決めた女性と言う意味では節子も百恵もダブるね。芦田伸介の渋い演技や松平健の登場など他の見どころもあったね。
若い娘が、不治の病(結核)で亡くなる悲しい話 山口百恵の演技が素晴...
若い娘が、不治の病(結核)で亡くなる悲しい話
山口百恵の演技が素晴らしい
ただ、原作の小説では1935.12/5~1936.12/1の間に亡くなる
→ 日記の記述=1935.12/5(存命)の次は、翌年12/1(故人)
この映画では、1943.12/1、達郎が松本連隊に入営の日に死亡
主人公の病名、主要登場人物、地名等の大筋は、原作を踏襲してるが、
→ 故意に、戦争に結び付けてる感じ
→ 原作とは2~3割印象がズレた感じ
1~2割ズレの映画は多々あるが、この映画はズレが少し大きい感じがした
戦争と不治の病
2020年1月3日
#風立ちぬ
1976年製作
#山口百恵 主演文芸作品第5弾
百恵と #三浦友和 のコンビ
#絶唱 と同じシチュエーション
三浦友和は戦争に行くけど生きて帰ってくる
山口百恵は病気で死ぬ
存在感のある医者役宇野重吉
また縁談を壊してほしいの・・・三浦友和に懇願する山口百恵。この頃はそれほど親密な仲じゃなかったのだろうか、と思えるほど距離感が感じられた。
父親の芦田伸介がいい役だ。昭和17年になったばかりというのに日本の敗戦を予想していた。戦死した先輩(松平健)も達郎も戦争で人を殺すのは嫌だという考え。「生きる」ということの重要性を訴えてくる。節子も肺結核で療養中。何としても生きて欲しいという願いが痛々しく響く。
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