「4Kデジタルリマスター版を観て」陽炎座 タニポさんの映画レビュー(感想・評価)
4Kデジタルリマスター版を観て
所感で書く。
仔細に調べ、物事の連なりや関連性を詳しく考えることは不可能とは思えないものの、そうした所でほんとうの感じたところで書いてみたいと思う。
先ず、眠いか眠くないか、で言えば、とても眠い。
だが、堪えられるかられないか、で言えば、堪えられる。
そして見たことも無い景色が連続的に、まるで羅列的に、どういうことなのか理解も覚束ないまま進む。
きっとこれは意味のあるものなのだ、という心持ちのまま、あれ、そうなのかな、いや、きっとそうに違いない、…とは思うのだが、これは一体…、という、迷宮の中を、美しさを見ながら迷うかの心地で流れる。その流れは進んでいるのか戻っているのかもよく分からない。けれども映画なのだから、時と共に流れているのだと思う、思わなければならない。
きっとこの作品におけるほおづきとは何か、だったり、最後に演じられる舞台の意味とは、ということは、より仔細な、良い評論を読んで頂きたく思う。
何はともあれ、これは一体何を意味していた映画なのだろう。
自分としては、寺山修司の映像作品に通じる感もあるが、寺山修司が詩〈ポエム〉から映画に触れようとしたのに対して、鈴木清順の今作を観ると、芸能、古典芸能などの諸用式を形骸的にも演繹化してそのオブジェクトひとつひとつに意味を浮かばせている、そんなような形で、観る者にとっては、果たして、作家が浮かばせた本当の意味なるものには届いたとしても、水中から水面に漂う木の葉のひとつをただ正に時と共に止めようとするようなもので、ただたしかに記憶には止められるものの、それは自然によって流れゆく、といった面持ちになぞらえると思う。
よってそうした寂しさが、詩的とも捉えられるとも思う。
ここまで、いくつか、自分は〝思う〟という言葉を幾たびも使っているが、そうして〝思う〟ことをしなければならない、と畏れて、〝思う〟と述べ続けてもいる。
ということもあり、そろそろ切り上げよう。
しかしながら、これだけの世界を組み立てた鈴木清順という人物はなんという人物であったことかと、4Kデジタルリマスター版を観て思った。