限りなく透明に近いブルーのレビュー・感想・評価
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小説の個性が映画に転化できなかった村上龍監督の初挑戦
今年の映画界は、芥川賞受賞作家の監督進出が話題の一つに挙げられる。この村上龍作品と池田満寿夫氏の「エーゲ海に捧ぐ」である。新人作家の感性が映画に新しい刺激を与えてくれるのではと期待したが、どちらも満足できるものではなかった。特にギリシャの観光映画に終わる池田作品には失望した。この作品は、そこまでではないが、映画について多くを語る村上監督の処女作としては凡庸としか言いようがない。もっともっと冒険を試みて欲しかった。
先ず第一に、ストーリーに面白さがあるわけではない物語の登場人物に存在感や魅力が感じられないこと。台詞以外で性格を表す人物の動きがなければ、映画の中の人間として生かされない。次に主人公リュウとリリーの男女関係の進展や変化が盛り上がりに欠けること。説明不足もあるが、俳優の演技も表面的に終わっている。だから米軍兵から袋叩きに合うリュウのシーンがあるが、同情も衝撃も無い。唯一映画らしいシーンが、“メスカリングドライブ”と云われる幻想世界でリュウとリリーが生きる目的を失いながら何かを求めて止まない苦しみが表現されているところだった。
ドラッグ、酒、女に溺れる虚無的な日常を、ただ緊張感なく描いては映画にはならない。村上監督自身が発言している“映像のスペクタクル”を、今までにない感覚で演出して貰いたかった。映像のイマジネーション不足と言わざるを得ない、おとなしい映画挑戦であった。
1979年 9月5日 飯田橋佳作座
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