お早ようのレビュー・感想・評価
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ヴェンダース監督も愛した小津安二郎監督
なんとも完結に色々なことがよく分かる
大人は大人の、子供は子供のそれぞれの世界が入り混じってる
当たり前のことなんだろうけど目に見えてよく分かる
子供には分からない大人の理屈
大人は忘れてしまった子供の理由
伝言ゲームのように捻じ曲がっていく真実
コレが解消されないといつの間にか誰かが悪者になって取り返しがつかなくなる恐ろしさ
誰が一番悪いわけじゃないのに誰かが犠牲になってしまう
SNSの今の時代で言えば「炎上」なんでしょうね
人の噂はあくまで噂、噂を間に受けていいのかな?といつも思ってしまいます
例えば「あそこのラーメン不味いんだよ」と聞くと自分の舌で確かめたくなっちゃうんですよ
結局噂に乗っかって行動はしちゃうんだけどね
人と味覚が違うのかはたまたストライクゾーンが広いのか、今までそんなに不味いものに当たったことが無いのは幸せなことだと思っとります
小津監督の作品は面白いですね、しかしまだ「凄さ」は私には分かりません
でも明らかに海外には無い空気は感じることができます
歳をとると分かること
映画は広くて深いです、人々を気軽に別の世界へ連れて行ってくれる映画館はとてももても大切な場所だと心から思います。
昭和の懐かしい生活ぶり
婦人会の会費がとっくに支払ったのにまだ町に収まっていないという話に始まった。テレビがある家に近所の子供たちが集まってみんなで見る昭和時代。押し売りも確かにいたようだ。佐田啓二を初めて観た気がするけど、なるほど中井貴一に似た感じがあるね。昭和の懐かしい生活ぶりがかいま見られて良かったんじゃない。
時代の写し絵のようにも…
冒頭のタイトルバックの音楽から、
いつもの小津映画とは異なるのでは
と予想したが、その通りの展開に。
オナラのエピソードも含め
ここまで全編に渡りユーモア要素満載の
小津映画は初めて観たような気がする。
そんな中、前半のネガティブ要素に思われた
主婦同士の噂話エピソードが、
後段での、無駄なことや無駄な会話が
社会の潤滑油になるのだとする、
ポジティブ要素へのひっくり返し的構成には
大変驚かされた。
そして、
・市民の服装が和服から洋装に代わる
過渡期的描写
・同じような建売住宅が並び、
他人の家に間違って帰る挿話
・洗濯機や炊飯器が徐々に
各家庭に入り始める中で、
私も全く同じ経験のあるTVのあるお宅に
相撲を見に行くご近所付き合い、等々、
高度成長期の社会変遷の要素の集積には、
この作品は他の小津映画のように
感動を覚える内容ではないが、
当時の匂いがプンプンと漂ってくるような
この時代の写し絵のようにも思えた。
高度経済成長への警告? そして、カラリストとしての小津
いや~、面白いなぁ。じつに味わい深い作品です。平凡な日常を描いた、なんてことのない話に見えるけれど、よくできたストーリーです。
どこにでもあるような出来事を、ここまでエンターテインメントとして、かつ芸術性も損なわず、面白く見せる手腕はさすがだと思います。
古くさい感じは全然しない。むしろ、斬新ささえ感じる。人間というものを、また「面白み」ということをよくわかっていないと、こういう映画は撮れないでしょう(おならのギャグは、ちょっとしつこいなと思ったけれど)。そして、画面から、あたたかみと大らかさを感じました。やっぱり昭和って、いい時代だなぁ。「無駄も大事」というメッセージもよかった。というか、この、高度経済成長——なにかにつけ効率性が優先される社会——への警告であるかのようなメッセージこそ、本作で監督がいちばん伝えたかったことなのかな?
お話も面白かったけど、画面そのものを眺めていても楽しめました。冒頭のクレジットからして、なんとも味わい深い。そして舞台となった住宅は、どの家庭も質素だけれど、こざっぱりとした室内は感じが良く、「ああ、こんな家に住みたいなぁ」とちょっと羨ましい気持ちになった。また、飲み屋のポスター、子どもや学校の先生の衣服、色ちがいの引き出しが印象的なタンス(?)、格子柄のカーテン、ランプシェード……などなど、小道具が可愛らしく魅力的だった。色のきれいなものもたくさん登場し、それらが画面をカラフルに彩っていて、小津安二郎ってカラリストだったんだなぁと感心しました。カラリストといえば、この映画、画面が暖色系でまとめられたシーンが多い。だから、さっき書いたように、あたたかみを感じたということもあるのでしょうね。
さいごに、これはどうでもいいことかもしれませんが、ちょっと気になったことを。本作に登場する子どもたちの親は、下手をするとおじいさん、おばあさんに見えるくらい、みんな年齢が高いように思うのですが……。戦争の影響で婚期が遅れたのですかね。
もはや戦争の影は無くなった
小津安二郎監督の最後の作品とのこと。高度成長期に入った日本の住宅地(川崎付近?)での日常生活が描かれていた。久我美子が本当に美人、泉京子は色っぽい。額を押すとおならを出す遊びで失敗してお漏らししてしまうのが微笑ましい。また、男兄弟の弟がメチャ可愛い😍
ほのぼの
ストーリー:団地の奥様達は、今日もあれやこれや噂話が絶えない。
昭和の庶民のほのぼのとした暮らしぶりがよいのだが、ほのぼの過ぎて見続けるのはやや苦痛。
日が暮れても子供が帰宅しないのに大騒ぎしないのが不思議だしある意味新鮮。
昭和は子供の誘拐がたびたびニュースになったのだが、騒がない所が肩透かしというか、逆にニューウェーブかも。
今週の気付いた事:おばあちゃんを後半でも見たかった
無駄があるから世の中いいんじゃないかな
上の言葉はハンサム&インテリ青年役の佐田啓二の台詞です。子どもが要するに以下のことを言って何にも喋らないというストライキに入るからです。子ども曰く、こんにちは、こんにちは、いいお天気ですね、そうですね、どちらへ、ええちょっとそこまでと無駄なことばかり大人は言っている。自分(子ども)は喋り過ぎと言われるがテレビが欲しい、毎日同じものしか出てこない夕飯は嫌だと言ってるだけだ、それで黙れ!と言われたから黙ってるんだ。に対して、斜めの関係ー子どもに英語を教えてくれる青年ーの佐田啓二さんが言います。その通りだね、でも無駄があるからいいんじゃない?挨拶に情報量はないけれどそれが潤滑油になるんだよ。
一方でさわやか青年(佐田)の姉役の沢村貞子からは「でもあんたは大事なこと言えないじゃない」と言われます。子どもの叔母である久我美子のこと彼は好きなのに一言も言えてないから。駅のホームで二人(佐田と久我)がばったり会って口にするのは無駄なこと。いいお天気ですね、そうですね、いいお天気、二三日続くでしょうね、そうですね・・・。それがラストシーン。笑えてほんわかとなりました。
内容は可愛い子どもたちと無駄話や噂話をするわりに大事な話ができない大人たちの対比を楽しむ映画です。子どもの世界に大人が降りていって先回りしたりご機嫌とりしないのも良かった。子どもは子ども、大人の話に入るんじゃありません!(子どもの頃、親に何度言われたことか!)キャストがあまりに豪華で目が眩みます。椿山荘、黒門町、西銀座・・・東京を感じました。
映像はザ・小津です。格子柄はこれでもかーと言うほどの氾濫状態にも関わらず全くうるさくない。映画では緑色のホーローのやかんが大きな役割を担いますが差し色の王様はやはり赤❗️子どものセーター、座布団、靴下、スリッパ、はたき、カレンダー、毛布、革ジャン、味の素や醤油差しの蓋、七味入れ、ヱスビーのカレー粉の缶、フラフープ、消火器、ホーローの鍋とやかん、湯飲み、とっくり、じょうろ、洗濯ロープに掛かってるタオルやセーター、スキー板、そして待望のテレビが入っている段ボールには赤いN(今だったらパナソニックのP?)。王様だけれど身の程をわきまえている赤。互いに補完する関係なので台所もお家の中も物が少なく質素でとても綺麗!
小津監督は話の内容より映像に命をかけた人なのかなあと思う程です。画面の切り取り方が凄い。最初は無機質な鉄塔から始まる。長屋的文化住宅の屋根に囲まれて画面の真ん中上に土手が映る。そこを子どもたちが行っては消え戻ってまた映る。でも構図は絶対に変えない。構図とかカメラのポジションとか差し色や格子柄の偏執狂みたいだ。でも楽しかった。子どもが何よりかわいかった。小津安二郎?娘を嫁にやる話ばかりの人ね、とこれからは言わないことにします!
おまけ
佐田啓二にクラクラしました。寒い冬の中、子どもを探しに外に出る彼。寒いから暖かくして、と言われ何を着るんだろう?もうセーターは着てる。ベージュのセーターを手にした!セーターの重ね着?いえいえ、そのセーターは両肩に掛けただけ、そして暖かそうな上等なコートを羽織り、首にマフラー!お洒落過ぎて卒倒しそうでした。1959年(昭和34年)にこんなに素敵に洋服を着こなす人、指示する監督が居たことに驚嘆します。そのセンスは一体どこから来たんだろう?
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久我美子さん、2024年6月9日お亡くなりになりました。没年93歳。ご冥福をお祈りいたします
テレビが珍しかった時代・・・懐かしい(ウソ)
テレビを持ってる近所の家に遊びに行く兄弟。英語を勉強している姿も面白い。コメディらしく効果音まで入れてある。高度経済成長期らしく、三種の神器がしきりに登場する。しかし、「テレビは一億総白痴化」なる言葉をもう使っている・・・
子どもたちはTVを買ってほしいがためにハンストを。誰とも口を聞かなくなったため、近所の大人達にも影響が出てくる。子ども目線だけの映画かと思っていたら、しっかり大人側の定年退職の問題などが盛り込まれていた。「おはよう」といった何でもない会話、大事にしたい。
なんで「お早う」じゃないの?
2021年2月6日
映画 #お早よう (1959年)鑑賞
#小津安二郎 監督が #紫綬褒章 と #日本芸術院賞 を受賞した後に撮った映画
何気ない日常を描いた作品
挨拶は潤滑油!
何のことの無い、それだけの映画です でもそれが良いのです、愛おしいのです
昭和34年、1959年の日本
当時の暮らしぶり、服装や話し言葉を観ているだけでも楽しいです
子供達も可愛らしくとても幸せな気分になれます
お早よう、いい天気ですねえ、というどうでもいい言葉を大人は交わしています
でも肝心の大事な話はなかなかできません
子供達のオナラをタイミングよくひねる遊びみたいなものです
軽石砕いて飲んでみたり工夫するのですが、上手く行かないものです
下手するとパンツを汚してしまって取り返しがつきません
無理にオナラはするもんじゃありませんね
じゃあどうやって肝心の話をしたものか
変な雲ですね、何かに似てませんか?
そうですね、何かに似てますわね
あーあ、これじゃあ堂々巡りだ
やっぱり子供達のオナラ遊びみたいに無理やりひねるしがないのかなあ
子供達だって、あんなに頑張ったからテレビを買ってもらったんだしなあ
それだけの映画です
でもそれが良いのです、愛おしいのです
この世界を愛せる人が小津監督ファンなのです
☆☆☆☆ この作品が製作されたのは1959年。 この年に日本で何が...
☆☆☆☆
この作品が製作されたのは1959年。
この年に日本で何が起こったのか?
答えは…。
日米安保騒動が始まった年。
日本の社会が大きく揺れ動いた年に、小津安二郎はこの作品を作る。
観て貰えれば一目瞭然なのですが、実に何とものほほ〜んとしたコメディーで。大人社会に対して、男2人の兄弟が起こす小さな反乱。
それはもう、日本が政治社会の大きなうねりに誰もが翻弄されていた時代に、極々小さな…。例えてみると、大きな象が日本社会全体としたならば。その象の足の先の爪の先の、その更に奥の方に居た小さな虫が象を刺した…って感じ(-.-)
しかし、これがまた滅茶苦茶面白いのでありますよ〜旦那〜( ^ω^ )
大人はすべからく無駄な事に時間を費やす。
特に大人が話す挨拶こそは、子供にとっては無駄な事の集大成。
「お早う」
「今日は」
「今晩は」
「いい天気ですね」
「明日は晴れますかね〜」
「どちらへ?」
「ええ、ちょっと」
「どう思います〜?」
「本当にね〜」
だけども、そんな無駄と言える挨拶の一言から、社会は動き出すモノなのだ。
それを小津安二郎は。人間が本来持っている生理現象を写し取りながら描いて行く。
これこそが、小津安二郎が描く…。
お な ら の 世 界 (半分本気٩( ᐛ )و)
更に小津安二郎らしいと言えるのが。映画が娯楽の王様だった時代に現れた、テレビとゆう新たな怪物に対する意識の…よ・う・な・も・の。
確かにその時代、テレビに対する批判は【一億総白痴化】であった様だ!
そして当時のテレビ黎明期の人気番組と言えば、♬トントンとんがらりっと隣組♬の「向こう三軒両隣」であり、ジェスチャーゲームだった。
それを、生来の意地の悪い小津安二郎は。まるで「全てのお隣さんが仲が良かった訳じゃないだろう?」…と言いたげに。人間の心に棲む魑魅魍魎な感覚を、変幻自在に演出する。
それら、人間の嫌味な部分を描きながらも。小津映画に出演した際には定番と言える、杉村春子のお見事な手のひら返しや「楢山行きだよ!」の台詞・演技等。観ていると幸福感に包まれるのだから、本当に不思議だ。
∂(・_・) I LOVE YOU
初見 並木座
2019年 5月27日 シネマブルースタジオ
クスっと笑えるほのぼのする作品。ラスト手前の兄弟達の叔母さんと、英...
クスっと笑えるほのぼのする作品。ラスト手前の兄弟達の叔母さんと、英語の先生との恋愛に発展しそうで中々発展しないあの微妙な感じが好き
●ほのぼの〜。
時は高度成長期。
三種の神器が揃うか揃わないかの時代。
何気ない日常。
大人は大人の世界が、子供は子供の世界がある。
押し売りの鉛筆を出刃包丁で削ってかわす婆さま。
あること、ないこと、噂話と隣組。
おでこを押すと屁をする遊び。
黙れと言われて学校でも喋らない子供。
「大人だってコンチワ、オハヨウ、イイオテンキデスネ、なんて余計なこと言ってるじゃないか」
マネする弟。おまわりにビビる。
屁をこくために軽石を削って食う子供。
危うくネズミいらずにやられかける。
軽石食べ過ぎると死ぬぞと言われてまたビビる。
ほのぼのした笑いで、平和な気持ちになる。
ラストのホームのシーンの深さに唸る。
一方、杉村春子の手厳しさは天才的。
全28件中、1~20件目を表示