男はつらいよ 寅次郎恋歌のレビュー・感想・評価
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柏にかつてあった映画館で、封切りで鑑賞した。
千葉県の福田村の隣の田中村にかつてあった映画館で封切りで鑑賞した。
一つのテーマに絞れば、良い映画になるのにと思った映画だが、当時の僕はこの映画の影響で修学旅行のオプションで吉備路に行き、レンターサイクルを使って、岡山まで旅行した事を思い出す。関東の人なら、岡山なら後楽園なのだろうが、僕は後楽園へは、『日ハム対南海』の試合を見に行っただけ。
池内さんや志村さんの逸話だけをとれば、松竹映画の先輩に当たる小津安二郎監督を非常に意識していると思う。
但し、家族団らんの場面を撮る時は、出来るだけ全員をフレームの中に入れ、ワンカット風に撮っている。ある意味に於いて小津安二郎監督に対するオマージュなのかもしれないが、ご本人はコンプレックスを持っていらっしゃる気がする。
『全員』と言う『言葉』で思い出したが、併映が『ドリフ映画』だと思い出した(NETで調べて)。でも、ドリフ映画は東宝のはず。
僕が初めて見たドリフ映画は『ドリフですよ。前進前進また前進』だ。大原麗子さんが出ていた事が脳裏に焼き付いている。
その時の併映が『ゴジラの息子』で、別の柏の映画館へ一人で見に行ったが、人の列に紛れ混んで、ただで鑑賞した記憶がある。その映画館はとっくの昔に閉館してしまっているので『ニュー・シネマ・パラダイス』だが。
【”人間は絶対に一人では生きていけない。”昭和の名優志村喬演じる博の父が妻を亡くした後にしみじみと語る名台詞に影響を受けた寅さんが、柴又で喫茶店を営むシングルマザーへの淡い恋を描いた逸品。】
■博の母親の葬儀に寅次郎が現れ、博の父(志村喬)に同情した彼は、博やさくらを東京に帰し、岡山に残る。 その後、柴又では開店したばかりのコーヒー店の主人・貴子(池内淳子)がとらやを訪れるが、そこにばったり寅次郎が帰って来る。 ◆感想 ・今作は、昭和の名優志村喬の訥々とした”本来の人間の生活”について語る名台詞を軸に構成された逸品である。 ・その言葉を聞いた寅さんが、柴又に帰りシングルマザーの喫茶店を開いたばかりの貴子に心惹かれながらも、彼女の内気な小学三年の息子に友達を得させるために行った事で友達が出来、土手で遊ぶシーンや、貴子が息子に友達が出来、嬉しさを隠しきれないシーンなど、彼女を気遣う姿が心に響く作品である。 ・通夜の席で、博が亡き母を想う涙ぐみながらの台詞も沁みる。 <今作は、シリーズ初めての長尺作品であるが、決して冗長になる事は無く、逆に岡本茉莉演じる大空小百合が所属する旅一座が初登場したり、おいちゃん役の森川信の残念ながら最後の出演作で有ったり、寅さんシリーズの大きな変化点になった逸品である。>
是非本作と第32作をセットでご覧下さい
第8作 男はつらいよ 寅次郎恋歌 1971年年末公開 寅さんが結婚して家庭を持ちたくなるというお話です 博の母の葬儀をきっかけにして、大学を定年退職後、郷里の岡山県は備中高梁のお屋敷に1人で孤独に暮らす博の父と寅さんの交流が始まります 10年ほど前、安曇野の庭一杯にりんどうが咲く一軒家の農家の開け放した縁側から明かりのついた茶の間で食事をしているのが見えたとき、これが本当の人間の生活というものかと涙した その思い出をしみじみと語る博の父の言葉に寅さんはいたく感化されてしまいます 人間は絶対に一人では生きてはいけない 逆らってはいかん 人間は人間の運命に逆らってはいかん そこに早く気がつかないと不幸な一生を送ることになる 志村喬だからこその説得力を持つ名シーンでした それで寅さんは結婚して家庭を持ちたくなったのです 今回のマドンナは池内淳子 出演時38歳 上品で清楚で着物姿が美しい 広くて形のよい丸い額が高い知性を感じさせます なのに色気が匂い立っているのです そしてその額の下の大きな目が見つめて話すその言葉遣いが姿形と同じほどに美しいのです でもイントネーションは江戸っ子だとわかるものです 柴又にはいないタイプ あの御前様でさえすれ違った際に、つい二度見してしまうほど 池内淳子は長い芸歴でその演技は群を抜いた安定感があります この当時はテレビ女優ナンバーワンで、出演すれば高視聴率間違いなしと言われたのも当然だと思えます この彼女が帝釈天の脇に新しくできた喫茶店のママさん役 しかもお誂え向きに未亡人 小学3年生の男の子がいますが、寅さんにすぐなついてしまう もう展開がいつも通りと分かってしまいます 結局、寅さんから身を引く形で旅にでて終わります 冒頭の惨めな旅の一座とのパートは、貴子が昔から旅の一座になりたかったことを寅さんが聞いて我に返る為にあった訳です こんな俺や旅の一座のような人間の運命にこの人を引きずり込んではいけない だってりんどうの花言葉は「誠実」なんです 彼女を自分のような稼業の世界に引き込んではいけない 自分の欲望の為に女性を不幸にはできない、それが寅さんの誠実なんです これが俺の人間の運命なんだ これに逆らってはいけない 不幸な一生にこの人もなってしまう そんなことはできないんだという思いを噛みしめながら、寅さんは秋晴れの朝日を浴びています 寅さんが昨晩泊めてもらった農家は婆さんの独り住まいのようです きっと、寅さんはりんどうが庭一杯に咲いて開け放した縁側から見える明々とした茶の間で子供たちと食卓を囲む一軒家の農家はないものかと探していたに違いありません でもいくら探しても見つからずここに泊めてもらったのでしょう りんどうは一本もない畑の中の一軒家です まあ俺はやっぱりこういう運命なんだよなあと諦めの顔で朝日を見上げています そこに冒頭の旅の一座が通りかかって再会をよろこび、トラックの荷台に載せてもらって一緒に今晩の宿をとるようです 一座もなんとか巡業を続けているようだ、俺も身ひとつでなんとか生きていけらあ 「ね、先生、これが寅次郎って人間の運命なんですよ」 「人間は人間の運命って奴に逆らっちゃあ、いけないんでしょ、先生」 そんな寅さんの心の声が聞こえてきます そこでエンドマークとなり映画は終わります ところがこのお話、続きがあります それは1983年の第32作「男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎」です 本作からから12年後の超ロングパスになります 舞台は今回と同じ備中高梁 あれから博の父はどうなったのか それが語られます 本作でチラリと写った白神食品店がその作品では主要人物の家として登場したり、本作では博の母の通夜と葬儀をした屋敷も登場します 踏切近くの小川に架かる小さな石橋もドラマチックなシーンの舞台になります その作品で寅さんはまたも人間の運命について考えるのです 今度はりんどうの咲く農家の食卓ではなく、取り込み忘れた家族の洗濯物の形となって、寅さんに人間の運命についてもう一度考えさせるのです この第32作で、自分には本作の物語がやっと完全に閉じられたと実感する事ができました 是非本作と第32作をセットでご覧下さい タイトルの寅次郎恋歌とは? 終盤の寅次郎のハガキの事だと思います 汚い字でハガキ一杯に書いてありました 寅さんに学があったなら、きっと「りんどうの‥…」てな感じの和歌を書いて送ってたんだろうと言うことだと思います 自分も学がないので探してみたらこんなのがありました 「りんだうの 花とも人を 見てしかな かれやははつる 霜がくれつつ」 和泉式部 (あの人を)りんどうの花であると見たいものです りんどうは霜が降りても枯れはしないのですから 寅さんがハガキに書きたかったのはこういうことだったと思います
森川のおいちゃん
今作がおいちゃん役森川信さんの遺作になったと後で知りました。寅さん(渥美清)との丁々発止はとても迫力があって、それ故に一筋縄ではいかない義理人情の物語になっていたように思います。今作のヒロイン六波羅貴子役の池内淳子さんの気品ある雰囲気には昭和の香りがあって、いいですよね~。「男はつらいよ」シリーズは、年に1、2本ずつ観ていて、いつか50作を見終えると思いますが、その頃には始めに見た作品の内容を忘れている気がします(苦笑)。ってことは、ずっと見続けられるのかな…。
さくらの健気さには脱帽
これだけシリーズを見続けるとさくらのお兄ちゃん想いに感心させられる。(3作ぐらいで十分感じるが)😅 これだけ好き勝手して、叔父ちゃんと事あるごとに漫才のような口論になるが、さくらはどんな状況でもお兄ちゃんの味方。 こんな妹おるか??? 羨ましいから映画のキャラとして際立ちます。 現代ならあっさり見捨てられるのが寅さんでしょう。 昭和は人と人の心が通い、人のためならと身上投げ打ってでも役に立ってあげたい、そんな生身の時代でした。
屈指の名シーン。
池内淳子名演。合掌。 女手一つで切り盛りする小さな喫茶店、元気無い息子が寅のおかげでたくさんの友達を連れて賑やかに帰ってくる。 皆にジュースを振舞う時の泣き笑い。 思い出すだけでグッとくる。 シリーズ全編通しても屈指の名シーン。
おい、まくら、さくらの回(笑) ・オープニングとエンディングの劇団...
おい、まくら、さくらの回(笑) ・オープニングとエンディングの劇団との関係、ちゃんと繋がっている。これ以降の作にも登場する模様、楽しみ。 ・あんまり勉強しないと寅さんみたいになっちゃうよ ・おいちゃん大活躍。寅との喧嘩。今作が最後なんですね、感慨深い。 ・博の母葬儀。困惑のさくら。博の母は幸福だったか、重い。 ・名優志村喬、リンドウの花。定住、漂白、どちらが幸せ、深い。 ・子どもに人気の寅。精神年齢(笑) ・振られない寅、新しい。 やっぱりさくらが一番眩しい。こんな妹欲しかった(毎回言ってる 笑)
山田洋次監督は劇場の客やお茶の間の視聴者がイライラ、ジリジリするのを何もしないで放ったらかしにする放置プレイの名手だと思う。
BSテレ東で映画「男はつらいよ 寅次郎恋歌」(1971)を見た。 劇場公開日:1971年11月20日 1971年製作/114分/日本 原題:Tora-san's Love Call 配給:松竹 渥美清 倍賞千恵子 森川信 笠智衆 前田吟 梅本泰靖 穂積隆信 吉田義夫 三崎千恵子 太宰久雄 中沢祐喜 岡本茉利 谷村昌彦 志村喬 池内淳子 例によって車寅次郎は半年ぶりで故郷柴又へ帰ってきた。一同は歓迎したつもりだったが、些細な言葉のゆき違いから竜造やつねと喧嘩となり、又もや旅にでることになった。寅が去って静かになったある日、博の母が危篤という電報が入り、光男を竜造夫婦に託した博とさくらは岡山へ急いだ。博の父の[風票]一郎は元大学教授で、研究一筋に生きてきた学者だった。葬式の日、驚ろいたことに寅がヒョッコリ現われた。柴又に電話したことから、葬式のことを知り、近くまできていたから寄ったという。 新型コロナウイルスのために自粛生活が続く中、日常の楽しみは少ない。 毎週土曜日にテレビ東京で見られる「男はつらいよ」シリーズは本当にありがたい。 どの作品でも思うことは倍賞千恵子がとても美女で、 前田吟がすごくイケメンであること。 毎回登場するマドンナは当代の人気美人女優なのはもちろんである。 今作のマドンナは池内淳子。 ゲストの志村喬の存在感を大きく感じる。 おんなひとりで小学生の息子を育てながら喫茶店を経営する池内淳子には借金問題がある。 寅さんはそれに気づきながら何もしないでそこから逃げだしてしまう。 「全く馬鹿だねえあいつは!」 おいちゃんがそう言う前にTVの前にいるオレがいつも言ってしまう。 山田洋次は劇場の客やお茶の間の視聴者がイライラ、ジリジリするのを何もしないで放ったらかしにする放置プレイの名手だと思う。 その手法は現在でもまだ製作が続いている「家族はつらいよ」シリーズにも踏襲されている。 上映時間は114分。 満足度は5点満点で5点☆☆☆☆☆です。 来週の「男はつらいよ 柴又慕情」(1972)マドンナ 吉永小百合 が楽しみ。
寅さんシリーズのなかでも、より哲学を感じる作品
Amazon Primeで視聴。 定番の寅さんシリーズの面白さに加え、博の父役の志村喬さんの存在感、世界観がなんとも豪華です。 お母さん想いである博の優しさも胸が痛みました。「お母さんを東京に越させて東京の華やかな世界を味合わせてやりたかった」という言葉が重く心に残りました。
源公がいない!
博の父役で志村喬登場。マドンナは池内淳子で、役名が六波羅貴子なので経営する喫茶店の名前が「ローク」。 旅役者の父娘との交流は本作から開始。おいちゃん役の森川信は本作が最後。源公役の佐藤蛾次郎が出ていなかった。事故にあってたらしい。唯一出てないのが本作らしい。
破茶滅茶ぶりは相変わらずでおいちゃんと社長との絡み合いも絶好調の面...
破茶滅茶ぶりは相変わらずでおいちゃんと社長との絡み合いも絶好調の面白さ。寅さんに絡まれて歌うサクラの歌声が美しくこちらの胸に響いてきた。さすが倍賞千恵子。
普段の営みにこそ幸せがある
"男はつらいよ" シリーズ第8作。
Huluで鑑賞。
マドンナとの絡みよりも弘のお父さん、(誰も名前を読めない)飃一郎とのエピソードがぐっと来ました。
人生における平凡な営みにこそ、真の人間の幸せがあるのではないか。とても深みのある言葉だと思いました。
志村喬が名演でした。心揺さぶられるとはこのことを言うのだなと、自分の人生を省みたくなりました。
本作公開後、森川信氏が亡くなったと知りショックを受けました。「俺は知らねぇよ~」や「まくら、さくら出してくれ」などのセリフが聴けないのかと思うと悲しくなりました。
「俺も老い先短いぞ」とか、寅さんと喧嘩した時の「(このいがみ合いは)死ぬまでだよ!」とか、セリフひとつひとつが暗示的で、これまでもあったやりとりなのに胸が痛みました。
※修正(2024/05/18)
平凡な営みと自由気ままな旅暮らし…どちらが幸せか?
シリーズ8作目。
寅さんが近所でバカにされ、今度帰ってきた時は明るく迎えてやろうと、とらや一同。
程なく帰ってきて、とらや一同はヘンに明るく迎えるが、それがかえって寅さんの気に障る。
いきなり険悪ムード。
酒を飲みに行った寅さんは昔の商売仲間と会い、とらやに連れてきて大騒ぎ。
さくらに酒を注がせ、おいちゃんは怒り心頭。
さらにはさくらに何か歌え!とまで。
さくらは歌う。その悲しい歌声が胸に突き刺さる。
愚かしき事の数々の寅さんだが、この時ばかりは同情も弁護も出来ない。本当に愚か。
妹の悲しい歌声を聞いて、さすがの愚兄も目が覚める。
俺は何てバカなんだ…。
今回は一日も滞在せず、あっという間に旅へ。
ひろしの母が死去。
ひろしはさくらを連れて実家に戻る。
家族だけの通夜の席で、父と長男と次男は、在りし日の妻/母を偲ぶ。
欲も無く、夫や子供たちに尽くし、日本女性の鑑だった、と。
ひろしはそれに反論。
昔ひろしは母の夢や本音を聞いた事があり、それらを全て諦めた可哀想な人生だった、と。
亡き母は幸せだったのか、不幸せだったのか…?
葬式に寅さんがやって来る。
厳粛な雰囲気に、ついついおふざけ。
遺族一同の写真を撮る際、「笑って~」と言ってしまい、さくらに咎められ、仕切り直しての「泣いて~」は迷台詞(笑)
それから暫く、ひろしの父の家に厄介になる寅さん。
元大学の先生で真面目で堅物で面白味の無いひろしの父と、自由気ままな寅さん。
ミスマッチのように思えて、何故か妙に気が合う。ひろしの父も寅さんを気に入ってるよう。
そろそろお暇しようとした時、自由気ままな旅暮らしの寅さんに、ひろしの父はある話を説く。
昔、夜の田舎の田んぼのあぜ道を歩いていたら、庭にりんどうの花が咲いたある一軒家で、明るい電灯の下、家族が水入らずで夕食を食べている。
これが人の営みの本当の幸せではないのか。
人は絶対に一人では生きられない。
影響を受け易い寅さん。平凡な営みに逆らってきたこれまでを改めて考え直す。
柴又に帰ってきて、人並みに生きる事を宣言。
でもそれには、家庭があってこそ。
何処かに居ないかね。30代ぐらいの美人で、手の掛からないような子供が居るような女性が。
…いや、ちょうど居るんだな。
お寺の近くに新しく出来た喫茶店。
店主は少々苦労も滲ませる色気のある30代ぐらいの美人で、夫とは死に別れ、女手一つで息子を育てている。
マドンナは、池内敦子。
とらや一同、またまた頭が痛い…。
マドンナは気苦労が絶えない。
息子は自閉症。
が、寅さんと遊んだ事で友達も出来、明るく元気に活発になる。
喫茶店の経営の事で、お金の問題。
こればっかりは寅さん、どうしてやる事も出来ない。
ある夜の、寅さんとマドンナの対話。
寅さんはマドンナに、平凡な営みこそ幸せと話す。
マドンナは寅さんのような自由気ままな旅暮らしに憧れる。
何もかも捨てて、旅に出たい、と。
それを聞いて寅さんは…。
今回は寅さんは身を引いた。
あっしのようなろくでもない生き方はいけませんぜ、とでも言うように。
寅さんにとっては、周りの人々の平凡な営みこそ幸せ。
周りの人々は、寅さんのような自由気ままな生き方をしてみたい。
人の営みとは…? 幸せとは…?
いつもながら笑わせつつ、今回は本筋もサブエピソードもしみじみしんみりとさせる。
個人的に、初期の作品の中でも出色の一本!
おいちゃん役の森川信が翌年に死去した事により、本作が最期の出演に。
「あ~、ヤダヤダ」
「まくら、さくら出してくれ」
でも、何と言っても、「バカだねぇ…」。
ユーモア入り交じりの嘆きとぼやきの言い回しは、初代森川おいちゃんが絶品であった。
とてもよかった
寅さんがヒロインの池内淳子の借金の手助けをしようと商売に励むが、あまりに圧が強すぎて全然売れず警察がすぐに来る。「あなたのためなら腕や足の一本くらい」と言葉を掛けるが結局のところケツをまくって旅に出てしまう。その後、彼女親子がどうなったのかはわからない。なんともつらい話だった。
寅さんが子供と遊ぶ場面が楽しかった。
博の出身地が北海道だったと思うのだが岡山県になっていた。
ネタ満載&炸裂
まだ8作目。皆若く、威勢良く、少し怖い程。 激しさに、息つく暇なく楽しんだ。ギャグも満載。 そんな荒くれの砂嵐の中、きらり光る家族愛。恋愛事情の行く末の人生への愛しさを謳った傑作中の傑作。
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