男はつらいよ 純情篇のレビュー・感想・評価
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いちいちすばらしいんですよぉ、
定番キャスト以外の役者達も。
今回は、長崎県五島列島で森繁久彌さん、宮本信子さんが、ちょっと出てきて、いい味だしてたぁ
二人ともちょい役であれだけの存在感出せるんだから、さすがだなぁ
1作目から今回6作目の
定番・メインキャスト以外で気になった
俳優さんは以下です。
1作目
・志村 喬(七人の侍、生きる)←この人の出演で作品にぐぐっと重みが
・樹木 希林(あん)←ほんのちょい役で出演してました
『あん』の樹木希林さんは、本物、リアル、役者じゃなく、そのものと感じました。
2作目
・ミヤコ蝶々(おはん)←しゃきしゃき〜
・山崎 努(天国と地獄)←恋人役なのに犯人に見えてしまう?
3作目
・左卜全(七人の侍)←やっぱりのほほん
・野村 昭子(赤ひげ)←やっぱりおっかさん的
4作目
・財津 一郎(タケモトピアノ〜♪)←笑
5作目
・谷村 昌彦(どですかでん)←こんな風貌の俳優、なかなか出てこないのでは?
『どですかでん』でも存在感あったぁ
6作目
・松村 達雄(どですかでん)は、おいちゃん役(9作目から)の前に、変な眼鏡かけたおもろい医者役で登場。
『どですかでん』では難しい役をやってましたぁ
1から6までの諸々キャストさんたちにも
やっぱり星満天です🌟
おっと、
映画.comさん、
「男はつらいよ」6作目は
no imageじゃなく表示画像があって
ありがたいです 😊
できれば、2、3、4、5作目の
表示画像もお願いします 🙏
灰色画像じゃあ、さびしいですよぉ〜😿
戦後日本を拒否し続ける男、哀しい寅さん
本作は1971年公開、シリーズ6作目にあたります。渥美清43歳、倍賞千恵子30歳、マドンナ役若尾文子38歳と、みなさん脂が乗り切った若々しい姿と演技が楽しめます。
今回寅さんは3つの問題に関わります。
①五島の漁師の娘、絹代(宮本信子)の夫婦問題
旅先で偶然知り合った赤ちゃん連れの若い女、絹代。駆け落ちした夫がギャンブルにはまり、生活は破綻、絹代は五島の老父を頼ることにしますが、心細いので寅さんにお供を頼みます。寅さんは酒を飲んだり散歩をしたりしますが、逆に老父に諭される有り様で、役には立ちません。
②マドンナ、夕子(若尾文子)の夫婦問題
売れない小説家の夫との生活に行き詰まりを感じ、遠縁にあたる「とらや」へ家出してきた美人妻、夕子。寅さんは帝釈天や江戸川を案内したりしますが、役には立ちません。
③義弟、博(前田吟)の独立問題
寅さんは博とタコ社長の双方に仲介を頼まれますが、役には立ちません。
寅さんは役に立てませんでしたが、すべての問題は元の鞘に収まり、何も変わることなく映画は幕をおろします。この「変化しない」というのが、本シリーズが支持された理由かも知れません。安保闘争、高度経済成長、エログロナンセンス、大阪万博…、1971年当時の日本社会は急速にその形を変えつつあったと思われますが、この映画も寅さんも、そんな日本社会に背を向けています。寅さんのような男は戦前にはうようよいたと思いますが、「そんな戦前男が戦後社会に出現したら?」というシチュエーション・コメディが本シリーズです。敗戦を経て生まれ変わったはずの日本に、ひょっこり寅さんが帰ってきます。「義理人情を重んじる戦前の渡世人の価値観」と「戦後日本の価値観」がぶつかり、騒動が生まれます。そんな寅さんの言動は間接的な戦後日本社会への批判につながっており、社会の急激な変化についていけない多くの人々の不満、不安をすくい上げ、支持を集めたのでしょう。日本人大衆の情緒を熟知した山田洋次監督の作戦勝ちでした。
寅さんはなぜいつも旅に出るのでしょうか。もし寅さんが博みたいに一箇所に定住し、定職を持ち、家族を持ったらどうなるでしょうか。当然、社会の一員として世の中の変化に合わせて生きざるを得なくなるでしょう。彼は「フーテン」である限り、しがない定住小市民であるわれわれのヒーローであり続けることができます。寅さんは「変わらない」ために「ずっと彷徨い続ける呪い」をかけられた男です。
渡世人や世間師たちは、安定的で持続的な人間関係を持つことはありません。だからこその義理人情であり、一宿一飯の恩です。故郷を捨て旅に生きる彼らは、出会いと別れを繰り返すさだめです。寅さんの特殊な点は、帰る故郷があり、そこには情でつながる妹がいるということです。「故郷があるから俺は一人前になれない」という劇中の台詞にある通り、寅さんは定住と放浪のあいだで常に引き裂かれている存在です。定職を持ち家庭を持つことが許されない寅さん。それを許さないのは監督であり観客です。もし寅さんが定住するとしたら、それは唯一、美人で高貴な女性に「飼われる」ことなのではないでしょうか。彼の女性に対する態度を見ているとそう思えて来ます。これは山田洋次監督の性癖が反映されているのかもしれませんが。
映画の中では現代社会のシステムから逃走を続けた寅さん。でも現実の渥美清さんはこのシリーズ映画に41歳(1969)から67歳(1995)まで、足掛け26年間、囚われています。癌を抱えながらも50作目を目指して走り続けた渥美清。走らせ続けた松竹と山田監督。その姿を映画館で笑って観ているわれわれ観客。なんともグロテスクで非人間的な構図に見えてしまいます。死んで初めて、彼はこのシリーズ映画から解放されました。幕末太陽傳をシリーズ化して50作作ろうと言われたら、川島監督とフランキー堺はなんと言ったでしょうか…。
以下は、1996年8月13日に松竹大船撮影所で開催された「渥美清さんとお別れする会」における山田洋次監督の弔辞からの抜粋です。(wikipedia/渥美清)
『もうそろそろ幕を引かねばいけない。渥美さんを寅さんという、のんきで、陽気な男を演じるという辛い仕事から解放させてあげなければいけないと、しょっちゅう思いました。しかし、4分の1世紀にわたって松竹の正月映画の定番であり続けた寅さんがなくなるということがあまりにも問題であったこと。そしてもう一つは、毎年秋口になると家族のように親しいスタッフが集まって、正月映画をにぎやかに作るという楽しみを打ち切るのが辛くて、もう1作だけ、いやもう1作なんとかという思いで47作、48作を作ったのです。』
監督や会社や大衆の期待に応えようと死ぬまで寅さんを演じ続けた渥美清、渥美清を演じ続けた田所康雄。その実像は寅さんとはまったく違う、一人を好む男だったらしいです。監督に愛され国民に愛されるというのもつらいものです。
帰るところがあると思うから
"男はつらいよ" シリーズ第6作。
Huluで鑑賞。
サブのストーリーとメインのストーリーの組み合わせが上手く機能していると思いました。宮本信子と森繁久彌の物語が伏線として効いて、後半の若尾文子パートの寅さんの想いに繋がっていたのかなと考えると、かなり感動的な展開でした。
「惚れて一緒になったんだろ。好いところがあったんだろ。なら、どんなダメ亭主だろうとそこをてめぇが伸ばしてやれ」
森繁久彌の娘・宮本信子への言葉にグッと来ました。
帰るところがあると思うから、それが甘えとなって、成長を妨げてしまう。胸に刻みます。でも寅さんみたいに、帰るところがある内はなんとしてでも帰りたくなるかも。
※修正(2024/05/16)
とてもよかった
弘の独立騒動で話をまとめてやると啖呵を切った寅さんが全く何もせず混乱させるばかりでみんなに糾弾される。俺もいい年こいた大人なのに先日、きつく叱られることがありこうして寅さんはいたたまれない気持ちで旅に出るのかと、見ていて非常に癒された。
若尾文子は歯が黄色くてヘビースモーカーなのかな、今のご時世の女優さんとは違った佇まいを感じた。彼女の夫が売れない小説家で、芸術家なのに心から笑ったりできない家庭を運営していたとは、相当つまらない小説な感じがした。出て行かれて何日も過ごしていたのに平然としていて肝の座った人物だった。
寅の心の故郷
永遠の放浪男=車寅次郎シリーズも、後期はシラノ化していたが。当然ながら、初期作品では簡単に一目惚れしてしまう性格故の数々なドタバタ劇で観客を笑わせていた。
今回のマドンナ役若尾文子を一目見た瞬間のデレデレ感すら、直前でのおいちゃん、おばちゃんを目の前にしたやり取りのギャップの面白さ。博の独立騒動を前にした、寅の余りにもいい加減さとと同時に発生する。「相談するこちらが悪い」と周りが感じる空気感等は大いに笑わせてくれる。
勿論それらの要素は大変に面白いのだが、個人的にこの作品で面白く感じた部分が幾つか有った。
先ずこの作品が、最初に登場する宮本信子演じる若いお母さんが不安を感じながら故郷へ帰るエピソードで始まるのですが。映画は序盤で幾度となくこの〈故郷〉を強調する。
以後舞台はほぼ柴又で繰り替えされる為に、このキーワードである〈故郷〉は見ている観客には暫くの間忘れ去られる事となるのだが、いつも通りにお約束の如く繰り替えされる妹さくらとの別れの場面。その瞬間で突如としてこの〈故郷〉とゆうキーワードを観客に思い出させる。
このシリーズの基本的要素はマドンナに寅が恋をする。そしてそのマドンナの為に寅が奮闘努力するものの結局その恋は当然の様に叶わない。
この作品でも、初代おいちゃんと二代目おいちゃんとが同一場面に登場するフアン垂涎の場面を挟みながら、毎度お馴染みな寅の勘違いが炸裂するのだが…。
あくまでも個人的意見ですがこの作品に於いては、いつもの様に寅の〈心の故郷=柴又〉では無く。〈心の故郷=さくら〉なのではないのか?と、ついつい考えてしまった。
実際問題シリーズのフアンならば、度々感じては居るだろう。寅がさくらに対する、時には過剰な想い。
それ自体は承知の事実だと思う。
恋愛関係とは異なる妹想いでは有るのだが、この作品では寅が柴又に帰る場面等は、船の汽笛を聞いた瞬間にいきなり「さくら〜!」と叫んだ瞬間に脱兎の如く走り出したり。毎回作品終盤に必ず繰り替えされる、旅に出る寅とさくらとのお馴染みの場面。
後々の作品ではお金の無い寅に対し、さくらが幾らかの金銭を渡したりといった場面となるのだが。この作品でのさくらとの別れに於いては完全に、恋人同士の別れの如く見えてならない。
それらの薄口な近親相○的要素を、監督山田洋次が意図的に作品に入れたのか?は想像するしか無い。
おそらく本人に聞けば百パーセント否定するに間違いないだろうが、そう見えてしまう事実は隠し様が無い。
最もシリーズのフアンならば、寅が抱く理想的な女性がさくらなのではないか?は承知の事実だとは思うのですが…。
もう一つこの作品で面白かったのは演技合戦。
ゲスト出演で出番自体は少ない森繁と渥美清との絡みは素晴らしかった。
正に渥美清=車寅次郎ここに有りと感じさせる台詞の数々で、独特の空気感を画面から発する渥美。
それに対して柳に風の如く受け流す飄々とした味を出す森繁。特にラストシーンでは小津作品に於ける笠智衆の様な雰囲気すら漂わす。シリーズ以前から監督山田洋次が小津作品を意識した映画製作をしていたらしいのは最近のインタビューを見て知ってはいたが、改めて見ても興味深い。
そして今回のマドンナ役若尾文子と倍賞美恵子との演技合戦。
大映(当時)の大スター若尾文子からすれば完全アウェーの状態の筈だが。そこは数々の大監督と仕事をこなして来たキャリア故か、画面上からバチバチと発する火花。
溝口作品を始めとして、数多くの作品で活かされたあの小悪魔演技が、松竹大船作品で発揮されるこの刺激。そして貫禄。
個人的には一方的に若尾文子の方から仕掛けている様に見える為に、2人の間で醸し出される独特な緊張感。
おそらく相手した倍賞美恵子にすると神経が擦り減る時間だっただろうと想像出来る。それでも作品の核を成す役として、正面から受け止めているのが印象的だった。
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