おとうと(1960)のレビュー・感想・評価
全9件を表示
赤木圭一郎さんは61年に急死。従って、生き残って探検隊になるなり。
日本のブルジョワの大胆な愉しみと悲劇。
『もう、子供じゃないんだからなぁ』この映画は1960年の映画。
『エデンの東』のジェームス・ディーンは55年。
赤木圭一郎さんが1961年に急死。
勿論、この映画の主人公も挙句の果ての自滅。
『もう、子供じゃないんだから』と言われながら、ブルジョワのバカ息子は自滅する。言うまでもなく、ブルジョワだけのもの。
しかし、欧米の文化に乗じて、こう言った映画が、戦後の日本文化を牽引する。かなりの勘違い。もっとも、この演出家の器量では仕方ないが、21世紀になってこの映画をリスペクトして、新たな映画を作る演出家がいた。それが国民的な名監督と過大評価する気配が忌々しい。
ブルジョワの私小説の様な話で、この階級での女性の自立は理解出来ても、その姉弟関係を貧困層に置き換えるべきではないし、置き換えるなら、きちんとリサーチすべきである。
生き残るが女性で、僕はその点を評価しているが。
状況をジブリの『風立ちぬ』がリスペクトしている。映画では描かれていないが、この後『日本の悲劇』が襲う。
北陸地方と新潟県の方々、ご苦労をお察しいたします。頑張って下さい。
手の付けられない不良の弟に、姉はどこまでも優しく
1960年。監督:市川崑。原作:幸田文。
幸田文の代表作「流れる」に続き「おとうと」を観ました。
母代わり・・・言葉にすれば、簡単ですが、
8歳で生母を病気で亡くした文。その時、弟は5歳でした。
後年、父の幸田露伴は再婚して、継母が来ます。
原作の「おとうと」は、そんな幸田文の自伝的要素の強い代表作です。
げん(岸惠子)は17歳の女学生です。
作家の父親、継母、そして3歳年下の弟の碧郎(へきろう=川口浩)の4人家族。
姉・弟は継母(田中絹代)とは、反りが合わない。
その上継母はリウマチで伏せりがちで、家事のほとんどをげんに頼っている。
げんと碧郎は仲が良く、口喧嘩は江戸弁で啖呵を切り、事実2人の喧嘩は取っ組み合いの激しさだ。
この碧郎が大変な不良なのです。
喧嘩で友だちの足をへし折ったり、その仕返しに半殺しの目に遭い、片耳の鼓膜が破れて
つんぼ(当時は差別語などありませんでした)になる有様である。
それでもいっぽうに懲りるどころか、万引きなど悪さはエスカレートの一途をたどるのだった。
遊びもビリヤード→モーターボート→乗馬とランクアップ。
どれも豊かでない文士の父に借金を負わせるのだ。
競走馬を勝手に走らせて転倒させて馬の足の骨を折る・・・まったく手に負えない。
そんな碧郎が手遅れの肺結核になる。
即刻、入院だった。
私の前知識では、「おとうと」は年若い弟が若くして結核で亡くなる悲しい話し。
それしか、知らなかった。
後半は事実、碧郎の闘病に重点が置かれる。
心に残るエピソードとして、
姉のげんに近づく男を見張っている碧郎は手下の仲間にも手伝わせて、
げんに言いよる刑事(中谷昇)をアヒルの行進で追っ払うシーン。
そして姉への最後のおねだりは、
「姉さんの島田に結って見せて!!」
花嫁姿を見るまで生きられないと覚悟した碧郎の頼みは、悲しかった。
そして冬の夜中、碧郎は帰らぬ人となる。
音楽は芥川也寸志。
「流れる」では質素で慎ましいお手伝いを、好感度高く演じた田中絹代が、、
この映画では、底意地の悪い継母を好演。
本当に嫌いになる程、嫌な継母で芸域の広さに唸りました。
弟の川口浩。俳優としてより「川口浩探検隊」(1977年~1985年)の方が有名ですね。
岸惠子は88歳の今も美しい才女である。
そして、映画で描かれる父親(幸田露伴がモデル=森雅之)は実に温厚な父親で、
癇癪ひとつ起こさない。
幸田文の闊達さは、父・露伴の優しさによるものかも知れない。
宮川 一夫 日本映画の底力を示すカメラマンです 記憶されなければならない名前です
日本映画界を代表する映画カメラマン宮川 一夫
本作は、その彼の撮影作品ですが、特にその彼が「銀残し」と呼びばれる特殊な現像手法を編みだし本作で使ったことでことに有名です
果たして彩度を落とした深みのある映像が美しく撮られています
それは冒頭の雨のシーンだけで明らかで感嘆させられます
桜並木の堤防の道のシーンは桜の淡い桃色が柔らかく本当に美しく撮られています
春風の生暖かさまでを感じることができるのです
ラストシーンの病院では寒々しい中に暖かみを見出だせるものでした
正に撮影が演出を行っているのです
気の強い姉役の岸恵子の美人顔はその落ち着いた色彩の中で良く映えて最も美しく撮れていました
田中絹代の初老の陰険な継母ぶりもはまっており
沈んだ色彩の中に淀んでいます
ハイライトたる姉弟があの桜と同じ桃色のテープで手首を結んで眠るシーンも、そのテープの色は彩度が落とされており鮮やかさは少しもありません
本作の一切合切が姉げんの記憶の中のものであったということなのだと思います
映画に於いてカメラマンの腕とは如何に重要なのもなのかを思い知らされるものでした
銀残しの手法は世界の手本となり、セブンとかプライベートライアンなどで今も観ることができます
宮川 一夫
日本映画の底力を示すカメラマンです
記憶されなければならない名前です
鍵と同じ市川崑。宮川一夫コンビの作品。 鬱々とした色調、アンバラン...
鍵と同じ市川崑。宮川一夫コンビの作品。
鬱々とした色調、アンバランスな画面構成と突飛な色使い、まさに市川ワールドの傑作である。碧郞君は罪深き人間の存在そのものとして描かれていて、短き人生を人の一生を凝縮している。
山田洋次が市川昆作品の中で最も尊敬する作品。腕にピンクのリボンを結ぶなどというオマージュもささげられている。
互いに支え合う家族というより、姉が一人で絆を保っているような気がした。父親(森雅之)は碧郎の素行については無関心で、ピンポン、ビリヤードなどに興じることも「何かに打ち込むことはいいことだ」などと遠くで見ている雰囲気。だけど、退学になっても金を出して他の学校へ、骨折した馬の弁償金も払ったんだろうな。 クリスチャンの継母は嫌な性格だったけど、人付き合いが苦手にもかかわらず内には家族の幸せを願っていたことだろう。そんな個々の絆を窺うことができる。特に碧郎が入院してからはそれぞれの想いが一気に溢れ出す見事な演出だ。
カンヌ映画祭にも出品されているのは、この宮川一夫の撮影のおかげだろう。“銀残し”という色褪せた中に際立たせる色がまぶたに焼き付くようだ。ストーリーも細かな編集にも不満を感じるけど、観てしばらくすると色彩だけが思い出されるのかもしれない。
岸恵子も田中絹代もいい演技。森雅之の抑えた演技も申し分ない。一番気になったのは、看護婦の江波杏子!胸もでかいし、色っぽすぎる。こんな病院に入院したら若い男は色狂いで死んでしまうぞ。
あら、川口浩だわ
岸恵子の毅然とした演技
芸能一家の才能ある若き川口浩…
じめじめとした役に徹する田中絹代
全編薄暗い
「うっすらと悲しーなー」
「おれはこのうっすらと悲しーのが」
「やりきれないんだ」
「ひでー悲しみの方がまだいいや…」
まさしく、ここ数年考えていたこと
はっきりとした原因のある不幸は乗り越えられる
もやもやした口で表せない不幸は本当に不幸
鶴瓶と吉永小百合の「おとうと」とまったくちがうのね…
ベットで手を紐で結ぶところだけかしら
お姉さん
姉、一人で頑張る姿、涙なくして見ることできなかった。自分も疲れて眠いのに、ぱっと起きてすぐに働き出す。なんだか昔の女の人は姉であれ母であれ妻であれ、こんな感じだったのではないかとTVドラマ「おしん」や、私の父方・母方の祖母を思い出した。そして父方・母方の祖父は何というか優しいけれどあんまり頼りにならない人達だった。でも働き者の祖母ものんべんだらりの祖父も私は大好きだった。
岸恵子、健気な役も本当に素晴らしい。
設定年齢よりずっと高齢な姉弟役
総合:70点 ( ストーリー:75点|キャスト:70点|演出:65点|ビジュアル:65点|音楽:65点 )
前半は弟よりも姉よりも何より義母がだんとつで目立っていた。何も出来ないのに自分が絶対的に正しいと信じきっていて人に文句をつけることしかしない、どうしようもないほどに幸せをことごとく破壊するだけの義母を中心に話が進む。
このような不幸な家庭を描いた話ならば、完全な脇役扱いの弟はいったいどこで活躍するのか思ったが、後半は一転する。病気になってからの弟は義母以上に存在感が出てきて、それまでの義母の話はいったいどこにいったのかというほどに違う話になって、悪さばかりしていた弟のやつれていきながら心が繋がる姿に引き込まれた。そもそも不幸の根源の義母と頼りにならない父のいる家で、弟は面倒ばかりかけていても実は姉思いで、唯一姉が本当に家族として身近に感じられた存在を失った悲しみが伝わった。でもばらばらの家族がなぜこれでいきなり上手くいくようになったのか、その後どうなったのかについては気になった。
姉は10代から20歳前後の設定なのに、どうみても大人でそのような年齢には見えない。調べてみると姉を演じた岸恵子は当時28歳で、喋り方も大人らしくしっかりとしすぎていてやはり年齢的に役にはまっていない。ここはまだ10代なのにいろんなことを背負い込んでいる姉の姿を描くべく、もっと若い人を起用して欲しかった。その意味では弟を演じた元探検隊の川口浩のほうも似たり寄ったりであるが、こちらは病気の場面が良かったので姉ほどの違和感はなかった。不幸製造装置の義母の田中絹代はいい出来映え。
全9件を表示