煙突の見える場所のレビュー・感想・評価
全5件を表示
出来合いの人道主義
「お化け煙突」こと千住火力発電所と、その根元に広がる下町人情模様を描いた作品。心温まるヒューマンドラマではあるものの、ところどころで手緩いアレゴリーや説教じみた人間論が目立つ。
自己認識と他者認識の乖離状態を見る場所によって本数を変えるお化け煙突になぞらえてみせるという発想は確かに力強いが、両者の関連性があまりにも饒舌に語られすぎていて興醒めだった。
また捨て子の赤ちゃんをめぐる中年夫婦と下宿人カップルの人道的懊悩シーンも、赤ちゃんの「無垢なる弱者性」をことさら強調しすぎなのではないかと感じた。
一番残念だったのは捨て子の父親の自殺が明らかになるシーンだ。そのことを知った下宿人の仙子(高峰秀子)は「どんなに苦しいことだって耐えられないことはないんだから自殺なんかしちゃダメ」的なことを言うのだが、これはあんまりにも無遠慮が過ぎると思う。
作中で誰よりも人間存在を深く見つめていた雰囲気のある彼女からこういう言葉が発せられたことで、それまで丹念に積み上げられてきたヒューマンドラマが実のところ上辺をなぞった虚構に過ぎないことが露呈してしまった。自分が立っている地点によって認識なり物の見え方なりに差異が生じるのであれば、他者の死というセンシティビティに対して断言口調でズカズカ踏み込むことがいかに暴力的な行為であるかは容易に想像できるはずだ。にもかかわらず仙子は特に何の留保もなく自殺が悪だと断じてしまった。
おそらくこのシーン自体は物語上それほど重要ではないのだと思う。しかしだからこそ、何気なく発された仙子の言葉には、人道主義的物語の裏側に流れる冷淡さがうっかり垣間見えてしまっていた。
ヒューマニズム映画というのは一歩間違えればただのお説教ビデオに堕してしまう。それだけならまだしも、細部で思慮の浅さを露呈させてしまっているのを発見したときなどはその作品を見たという経験そのものが否定されたかのような無念ささえ覚える。本作がそこまで酷かったかと言われればそんなことはないのだが、では手放しに「ヨッ!下町人情!」と喝采を送れるかと問われれば、それはできないと答えざるを得ない。
煙突の見える場所とは、人の心の持ちようのこと 大好きな映画の一つになりました
見事な傑作です!
煙突の見える場所とは、人の心の持ちようのこと
人間もお化け煙突のように、見る向きひとつで4本にも3本にも見えるものなのです
一面だけで駄目な奴だと決めつけては駄目なんですね
改めて教えられました
田中絹代49歳です
役所はもう少し若くて40歳位の設定でしょうか
下町のバラックじみた民家の主婦役です
だから粗末で地味な普段着にノーメイク
でもチャーミングなんです
昭和33年、1958年1月のカレンダー
安全日がマーキングされてます
布団にはいって主人の誘いを受けるシーンの可愛いさったらありません!
もう胸がキュンキュンしました
監督の演出は水が流れるが如くお話が進みます
美しい朝靄、夕暮れのシーンも素晴らしい
大好きな映画の一つになりました
・ご近所の面々がすごくいい。赤ちゃんのとことか最高 ・デコちゃんチ...
・ご近所の面々がすごくいい。赤ちゃんのとことか最高
・デコちゃんチャキチャキしてていいなぁ
・重い空気が続いたけど明るい終わり方でニコニコした
高峰秀子
見る場所によって4本の工場煙突が4本が3本にも2本にも見えるためお化け煙突と呼ばれている。昭和28年当時の世相がわかる序盤。家賃三千円が安くて引っ越すこともできずにいる。隣の家は宗教団体。日中はひっきりなしに「なんみょーほーれんげーきょ」と読経が聞こえてくるのだ。給料が安くて生活が大変苦しい中にも些細な幸福を見出す緒方家だったが、捨て子の存在で大きく変わる。 赤ん坊なんて生んだことがないと主張する弘子。戸籍謄本が二重になっているところもミステリアス。
よくある赤ん坊騒動の展開なのだが、他人の赤ちゃんを育てることで夫婦愛を描くと同時に戦争被害による命の尊さ・生命力まで考えさせられる。
中心は上原・田中夫婦の物語なのに、もっとも印象に残るのは下宿人仙子を演じる高峰秀子だ。当時の日本人女性とは違う現代的な娘を演じている。それも戦争によって肉親を失った経験から生きる力を与えてくれるセリフがいっぱい。
そして、同じく下宿人の芥川比呂志(芥川龍之介の息子)。緒方夫妻のために赤ん坊の父親である塚原を探す努力を惜しまない。しかし、正義感という価値観さえも高峰秀子によって覆させられる。これがまた二人を結婚へと向かわせるという上手いストーリー。ジャンケンによって「愛してる」「信じる」といったことを決めたりするのも面白い。
シリアスドラマの中にあってコミカルな部分が散りばめられ、映画全体を引き締めているところがすごい。
全5件を表示