噂の女(1954)のレビュー・感想・評価
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小品なれど無駄なく母娘の感情の交錯を描き出した秀作
ここは京都の花街。田中絹代が切り盛りする店には身を売った多くの女性たちが住み込みで暮し、日々多くの客たちが出入りする。そんな稼ぎで東京にまで出してもらった娘は今、家業が原因で交際が破談になり、自殺未遂を起こして実家へ帰ってきた。そんな彼女へ向けられる周囲の目。やがて娘の恨みつらみは母へと向けられ・・・。小さな作品ながら、立体的な感情と視線が交錯して高密度のドラマを織り成していく様にじわじわと圧倒される。真っ向から対立する田中絹代と久我美子だが、しかし彼女たちもまた芯の部分で繋がっていて、二人がいかに心を重ねていくのかが一つのポイントになる。その一方で、忘れがたい印象を残すのは、身を売って働く花魁たちの姿だ。感動の母娘ドラマに終始せず、二人を見つめる女性たちの視点をそっと添えるこのバランス感覚。人間関係がまるで建築物のように組み上げられ、一切の無駄がない。巨匠の技を突きつけられる一作である。
溝口映画最後の出演で魅せる、田中絹代の滋味豊かな名演技
前作「山椒大夫」から僅か3ヵ月足らずで作り上げた、溝口監督得意の京都の色街を舞台にした男女の愛憎劇。この映画の一番の見所は、名女優田中絹代の巧みな演技力である。1944年の「宮本武蔵」から溝口監督作品に出演して数々の女性映画を支える熱演を見せてきて10年、この最後の出演作で貫禄の名演技を披露する。この時44歳の円熟期で、溝口監督とは相思相愛と思われていたが監督業に本格的に進出して、翌年には代表作「乳房よ永遠なれ」「月は上りぬ」を製作している。
田中が演じる役は、京都島原のお茶屋『井筒屋』を女手一つで切り盛りする女将馬淵初子。一人娘雪子が婚約破棄のショックで自殺未遂をしてしまい、家に連れ戻すことから物語が始まる。初子には年下の恋人である医師の的場がいる。傷心の雪子が、この男に恋ごころを抱く三角関係がドラマの主軸である。家業に批判的な雪子の当てつけのような行為に対する初子の女の嫉妬が表現されている。流石に女将の気の強さで取り乱すことはなく、軽く流しているところが実にいいのだ。中年女性の酸いも甘いも嚙み分ける年輪の為せる対応がある。この田中の名演と比べると、雪子の久我美子も適役だが、最後まで人格表現が曖昧な点があり損をしているのが勿体ない。しかし、この男女の人間模様を客観視するように、廓で働く女性たちの宿命感が描かれているのが、もう一つの見所になっている。行き場のない女性たちを突き放しながらも熱く見守る溝口監督の演出は安定の素晴らしさ。唯一感心しないのが、的場を演じた大谷友右衛門の役と演技。脚本も雪子と的場の関係を描き切れていない。この為ラストが盛り上がらず、作品としては弱い。色街の因習に落ち着いた決着が安易ではないだろうか。救いはその宿命を背負う、お咲を演じる浪花千栄子。結局田中絹代と浪花千栄子の演技を観る溝口映画になっている。
1978年 7月24日 フィルムセンター
溝口健二没後50年の2006年にテレビで観直したら、初見より遥かに感心してしまった。 (小さい画面の方が演出の良し悪しは分かり易い) それは偏に登場人物の描き方が深いからだった。演技指導の厳しさで伝説の溝口監督ではあるが、誰もが俳優と言うより役者で映像に存在していた。これは出演者の遣り甲斐を思うと、舞台の真剣勝負に近い。残念ながら日本の映画界において舞台と映画の両方を熟した演出家は殆どいない。ワン・シーン=ワン・ショットの演出法は、役者の演技を途切れずに集中力を高めたまま演じさせて、その場面の密度を上げる。そのことに改めて見応えを感じた再見であった。脚本の完成度はけして高くないし、テーマも絞り切れていない。それでも面白いのは田中絹代を中心に、生きた台詞で、生きた身のこなしで、演じられた登場人物が明確だからだ。宮川一夫のカメラワークがまた、溝口監督の演出意図を理解し具現化した奥深い映像を見せて、役者のいる空間を生活感溢れる舞台にしている。演出、演技、撮影に絞った評価で採点します。
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