「綺麗に生きられない仕組みもある中で」うなぎ Takehiroさんの映画レビュー(感想・評価)
綺麗に生きられない仕組みもある中で
導入からセックスシーンと強い暴力シーンが出て来るから、こういう映画は観てはいけない年齢層や人に分けてしまう映画だが、ドラマを貫くには、不倫した奥さんの間男と性行為中に根が善良な夫が侵入して「奥さんのほうだけを」刺し殺すという強いシーンはどうしても意味を含んで来る。ヒューマンドラマ化していくのはその後からである。だが、それを表現するためには導入部のような映像も入らなければ説明に具体性が出ないという、芸術表現の矛盾のような、映像表現とはなんだろうかという面がある。この映画に限らない事を書いているが。演技と言われるが、実際に女優は裸になって男優と肌を合わせる面は実際である。アニメや小説とは違う。なんだか見た事のあるような風景かと思ったら、やはりやや近所周辺のロケ地だったが、セリフの中にもイタコとあったので、潮来市なのだろうが、そんなに外人のホステスが同伴して愛人のようになっているような所では実際にはないと思う。ウィキを参照すると、導入部の話のように今村昌平監督という人は、女性の性描写や肉感的な場面を用意していったらしいが、他の作品はまるで観ていない。それらから比較すると今村映画の水準からは低い映画だと言うが。私のようにそんなに映画を知らない者にとっては、十分だと感じる。知りすぎるのも麻痺する。高度と言われる映画を観たほうが良いとしても、それを観た人が一体観ていない人とどう違うのだろう。今村昌平という人物についてもウィキにも書いてあるが、常軌を逸するような演出を希望してスタッフから反対され実現しなかったというような逸話のために疑問も抱いてしまうが、映画学校を設立するなど教育者的な人でもあったと言う。清濁併せのみ、様々な人間の実像を描こうとするタイプだったか。ウィキに、小津安二郎監督らが、「なんでウジ虫ばかり書く」と問われ、「このくそじじい」と言い返し、「それならウジ虫ばかり描き続けてやる」と言った逸話については、考えさせられる。主人公の仮出所中が物語の軸となるのだが、偶然出会い自殺未遂をして主人公の理髪店で働く事になる女や周囲の人との関係の中でどう進んでいくのか。そりゃあ、人間は失敗もする。暗い過去もあったりする。しかし今の日本は、それについて当時者に苦しみも与えないままに、擁護してしまおうとする。胡散臭い弁護士連中なんかその象徴だ。不倫は自殺者や殺人が起きたりする。そうした悪事を金銭などの事情によって罪を曖昧に見せてしまうようなトリックが人間社会にはある。善良なはずの主人公のほうが刑務所に長期入れられてしまうという反転が何を意味するかである。長くなってしまったかも知れないから半分ほど観たところでこのコメントを終えて置く。