「日本の特撮は此処に在り 21世紀の特撮ファンが、本作を観る意味や意義は そこにこそあるのです」宇宙からのメッセージ MESSAGE from SPACE あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
日本の特撮は此処に在り 21世紀の特撮ファンが、本作を観る意味や意義は そこにこそあるのです
スターウォーズと未知との遭遇
この2作品は日本の特撮にとっては黒船だったのです
1977年にこの2作品がアメリカで公開されて一大ブームになっていることはすぐに日本にも伝わってきました
断片的に入ってくる情報、スティル写真、予告編
の映像
日本の特撮とは大人と子供くらいの差があるのはそれだけでも見てとれます
スターウォーズは1977年5月、未知との遭遇は11月の公開
特にスターウォーズの人気は凄まじく、今年の一大ブームの鬼滅の刃のような無敵の動員が年末になっても続いていたのです
12月27日に撮られたというある米国の上映館の写真は外にまで長く列が続いています
日本でも当然大ヒットが予想されるから動員を図れる時期に上映館を目一杯に拡大して上映したい
関連グッズを展開する為の時間も必要です
その為、この2作品の日本上映は翌1978年になりました
まず未知との遭遇が2月から、そしてスターウォーズは夏休みの7月からと決まります
これに日本の映画会社が指をくわえて傍観するわけがない
ひと儲けのチャンス到来なのだ!
俄かに巻き起こった特撮SF映画ブーム
便乗しないでどうする!
東宝は早くも1977年12月に惑星大戦争を公開しました
つまり黒船が来る前に儲けるだけ儲ける方針ということ
直接対決は避けたのです
惑星大戦争のタイトルは、スターウォーズの日本公開の予定邦題でした
それが公開がのび、ルーカスからもタイトルを世界統一するとのお達しがあり使わないことになった邦題をそのまま貰い受けて流用した作品でした
一方東映は、翌年4月公開で本作の公開を予定しました
つまり未知との遭遇の日本公開にぶつけるということです
勝つ自信があった?
それとも正々堂々受けて立つとの心意気?
違うと思います
恐らくこのスケジュールで作るのが精一杯の製作スピードだったのだと思います
東映には、東宝の様に過去の特撮の蓄積がないのですから
本作は東映の京都撮影所で撮ることになります
クレジットにある太秦映画村とはそれです
1975年に名前を変えたのです
海底大戦争、ガンマー3号宇宙大作戦、キャプテンウルトラ
東映の過去のSF映画、テレビシリーズを土台にどうしたものか?と更地から企画を急遽作ったのです
ところがそれら東映の作品はどれも、京都撮影所ではなく、東京撮影所やテレビ部の仕事なのです
全くの更地からの出発だったのです
しかも監督の深作欣二は本作公開年の1月までは柳生一族の陰謀に掛かり切りです
それでこの作品を作ったのです
やっつけ仕事と言えばそう
仕事と割り切って納期を守る
正しいビジネスの在り方なのでしょう
しかしカルト的な楽しみ方しかないのが本当のところです
21世紀から大きく俯瞰して見れば、黒船に立ち向かう攘夷の志士の斬り込みみたいなものです
現代の目からは滑稽でしかありません
それでも当時の現場の特撮マン達は予算も時間もない中で、あきらめず本作を作りあげたのです
むしろやりたいことをやれるチャンス!とすら考えたのかも知れません
できません
そういえば日本の特撮はそこで死んでいたのです
だから彼らは必死で彼らのできるベストを尽くしたのです
それこそが本作の価値なのだと思います
黒歴史
思い出したくもない
そう斬って捨てるのは簡単です
しかし日本の特撮が死なず、21世紀まで命脈を保ったのは、本作や惑星大戦争を撮った当時の特撮マンの獅子奮迅の活躍と情熱だったのです
未知との遭遇やスターウォーズが公開されて、その映像を観れば、彼我の差は歴然としています
負けたことは彼らが一番よくわかっていたはずです
全く歯が立たない、手も足も出ないとはこのこと
悔しい思いをしたのは、誰よりも彼らだったと思います
しかし幕末の志士達の活躍が明治維新を成し遂げたように、本作も惑星大戦争も意味はあったのです
勝てはしなかったけれども、
日本の特撮は此処にありという心意気を示したのです
それが今日にまでつながっているのです
21世紀の特撮ファンが、本作を観る意味や意義はそこにこそあると思います