「教訓と伝奇」雨月物語 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)
教訓と伝奇
雨月物語とは上田秋成(1734~1809)という歌人が書いた読本だそうだ。
読本とは江戸時代後期に流行した伝奇小説集。南総里見八犬伝や本朝水滸伝など、勧善懲悪や因果応報の作風で構成された大衆娯楽で貸本屋を通じて流通した、という。
映画雨月物語は雨月物語のごく一部であり、かつ雨月物語とは異なる話になっている。
『上田秋成の読本『雨月物語』の「浅茅が宿」と「蛇性の婬」の2編に、モーパッサンの『勲章』を加えて、川口松太郎と依田義賢が脚色した。』
(ウィキペディア「雨月物語(映画)」より)
二組の夫婦が出てくる。
源十郎は畑仕事の傍ら焼物(陶器)をつくって大金をえて味をしめる。
藤兵衛は侍になりたいという野望がある。
簡単に言うと、夫の利欲や不相応な野心によって妻に不幸がもたらされる──という話になっている。妻はいずれも、倹しくとも幸せに暮らせるならそれでいいと思っていて、じっさいに「あなたさえいてくだされば、あたしはもう何にもほしくはありません」という田中絹代の台詞もある。
ところが源十郎は欲をかいて焼物を売りに街へ出て、残してきた妻は落武者にころされてしまう。藤兵衛はにわか侍になったものの妻は遊女に成り下がる。
それら二組の夫婦の話をベースにしながら源十郎を幻惑する亡霊(京マチ子)の伝奇が絡んでくる。
市場で焼物を並べている源十郎のところへ明らかに高貴な出で立ちの女と女中がきて焼物を買い朽木屋敷へ届けるようことづける。
その段階では説明がないにもかかわらず京マチ子が演じていることによって亡魂にたぶらかされる源十郎という構図が見えてしまう。
つまり京マチ子の「明らかに現実的ではない妖艶」は彼女がこの世の者ではないことを最初から説き明かしてしまっていた。
羅生門と雨月物語には京マチ子の特別な女の感じ=不世出の女優の気配が濃厚にあったと思う。
源十郎は京マチ子演じる武家の亡魂に魅入られ朽木屋敷に入り浸って精気を吸われるが、神官に死相をさとられて呪文を身体に書いて難から逃れる。それは耳なし芳一のようだった。
やっと里へ帰って妻と子供に迎え入れられ束の間の幸福に浸る。が、それがアウルクリーク橋の出来事のような幻想落ちになっていて、実際には妻は亡くなり、子は村年寄が世話をしている。
一方藤兵衛の妻は「いくら言ってもおまえさんはばかだからじぶんで不幸せな目にあわなけりゃわからなかったんだね」と言ってふたりは再出発をする。
わかりやすい教訓に幻想が加わって映画の品位をあげている。加えて96分という尺に潔さがあった。
imdb8.2、RottenTomatoes100%と93%。
英題はUgetsuとなっていて海外でも絶賛されている。
『1953年にヴェネツィア国際映画祭に出品され、銀獅子賞を受賞した(金獅子賞は該当なしだったため実質的にはこの年の最優秀作となった)のを機に、1954年にアメリカ、1959年にフランスで公開されるなど海外でも上映され、フランスの映画雑誌『カイエ・デュ・シネマ』が発表した年間トップ10(英語版)では1位に選ばれるなど賞賛された。この作品もほかの溝口作品と同様に、ジャン=リュック・ゴダールやジャック・リヴェットなどのヌーヴェルヴァーグの映画人に大きな影響を与えた。
映画批評家のロジャー・イーバートはこの作品を「すべての映画の中でもっとも偉大な作品の一つ」と評しており、最高評価の星4つを与え、自身が選ぶ最高の映画のリストに加えている。マーティン・スコセッシはお気に入りの映画の1本にこの作品を選んでいる。BFIの映画雑誌『Sight & Sound』が10年毎に発表する史上最高の映画ベストテン(英語版)では1962年と1972年の2度のランキングでベストテンに選ばれた。また2012年のランキングでも批評家投票で50位、監督投票で67位に選ばれており、監督ではスコセッシ、マノエル・ド・オリヴェイラ、ミカ・カウリスマキらが投票した。2005年に『タイム』が発表した「史上最高の映画100本」にも選出されている。』
(ウィキペディア「雨月物語 (映画)」より)
映画は一家の主人が私欲や見栄で家族を蔑ろにしてはいけないと諫めている。あたりまえだとは思うし源十郎も藤兵衛も、おおげさに描かれているが、プリミティブな教訓にもかかわらず強い輪郭と説得力があった。今を生きるわたしたちは古い映画やそこにある教訓に対して解りきったことだ──という優越を持っているところがある。が、源十郎の欲や、藤兵衛の虚栄心はわたしたちが毎日ニュースや日常で見る俗物たちのカリカチュアになっていると思う。
『溝口健二監督作品『雨月物語』(1953年)、黒澤明監督作品『羅生門』(1950年)、衣笠貞之助監督作品『地獄門』(1953年)など、海外の映画祭で主演作が次々と受賞し「グランプリ女優」と呼ばれる。1971年(昭和46年)の大映倒産以降はテレビドラマと舞台を中心に移し、活躍の幅を広げた。大映社長永田雅一との恋愛関係が憶測された時期もあったが、生涯独身を通す。1965年(昭和40年)には、日本で初めての「億ション」、コープオリンピア(東京・表参道)を購入して話題となった。』
(ウィキペディア「京マチ子」より)
地味な田中絹代と派手な京マチ子のコントラストが雨月物語の印象を決定づけている。亡霊だとしても京マチ子にたぶらかされるのも悪くない、と思える一方で、貧しくてもにひたむきに夫を思いやってころされてしまう田中絹代に憐憫が湧いてくる。その動静のような陰陽のような対比が世の空しさと儚さを表象していると思った。
amazon prime Videoで見た。