「昭和は日本映画の青春時代!」いつでも夢を(1963) 漫画史研究家の本間正幸さんの映画レビュー(感想・評価)
昭和は日本映画の青春時代!
日本の戦後生まれの若者達が、どんな思いでその青春時代を過ごしていたのか判るような気がする不朽の名作ですね!(涙)
定時制高校に通う生徒に対する偏見や差別など、いつの時代も変わらぬものがあったことを感じさせてくれます。
横浜鶴見の不良少年であった私は、父の病気入院を機に改心。
成績優秀のため、奨学金ももらえることになり、旅行会社の添乗員として働きながら明治学院大学社会学部社会学科の夜間で学ぶことを自分で択びます。
バブル全盛だった1980年代後半、運良く当時の人気企業のひとつである日本旅行(ある調査では、この年の人気企業で10位!)の大卒総合職として就職出来ましたが、この映画の頃と変わらず就職の際の夜学の生徒への偏見には根強いものがありました。
野村證券など、就職試験の際に夜学の人は除くとワザワザことわり書きを入れていたほど。
社会学部の学生にとって、大手出版社などのマスコミ系に続いて、旅行業界、大手旅行会社は人気企業のひとつ。
私の代の明治学院大学社会学部社会学科の生徒で日本旅行に就職出来たのは、昼間の生徒と夜間の生徒を合わせても、合格出来たのは夜間の生徒であった私ひとりでした。(ちなみに当時の大卒総合職の受験者は2万数千人。合格者300人中、夜学出身者は神戸大学の夜間で学んだ者と明学の夜間で学んだ私の二人だけでした)
入社2年後、修学旅行セールスで新人ながらトップセールスマンとなった私は、日本旅行本社の海外事業部であるマッハ事業部販売促進部へと栄転となるのですが・・・。
17歳の時、病気で父を亡くした時、私が働きながら夜学で学ぶことを自ら選らぶ理由のひとつとなったのは、この映画と「いつでも夢を」の歌の影響でもあったのです。
寒い冬の学校の帰り道に生徒皆で「寒い朝」を歌いながら帰るシーンを観ると、何故か泣けてきてしまいます。
学校の帰り道にふと夜空を見上げて見ると、夜空には何故だかいつも星が輝き、綺麗な月が光輝いて見えましたっけ。(涙)