異人たちとの夏のレビュー・感想・評価
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山田太一と大林宣彦の融合
2024の再映画化にからんで知った。
山田太一さんのドラマを最近よく見ていたので、小説のほうはどんなものかと読んでみた。
私はつげ義春的な、主人公が作家(作者の投影)ものが好きだ。山田太一さん自身とも思われるような主人公とその目線がドキュメンタリー的な面白みを掻き立てられる。彼女が正体を明かすシーンがクリシェというか、それまでの具体的でリアルな描写から急にありきたりな表現となって残念だったので、そこを映画版でどう表現されているかに注目した。
映画版は大林監督の実験的な変てこな演出が控えめでまっとうな演出だった。
問題のシーンはうまく映像化されていて、女性が原作よりも美しいイメージで撮られていて、そこはすごく大林さんらしいブラッシュアップ良かった。
結論としては、原作の山田さん自身の経験や目線がにじみ出た様なキャラクターや印象的なセリフと、大林さんのちょっと違和感のある変なカメラワーク(缶ビールや、すきやきの中身に寄っていくなど )や初期の実験フィルム的な手作り感のあるSF演出を楽しみながら全体としては大衆向け娯楽作品としてバランスも取れていて非常に完成度の高い(特殊メイクも良い出来)一本であると感じた。
久しぶりにエンディングが「終」の文字でスパッと終わるタイプなもの逆に新鮮であった。エンドロールが無いのでアマプラのおすすめで余韻が邪魔されることもなかった。
さよなら、お父さん、お母さん 僕は生きていきます
名取裕◯さんの3年下級生の方と仕事を3年前にした。曰く。
スゲ~美人だそうだ。可愛いじゃなくて綺麗だそうだ。
閑話休題
母親に性的な衝動を持ちそうになるのは、僕の好みではない。母親が若い時の頃なんか知りたくもない。勿論、父親も。温故知新って、その対象が浅草。今でも(2024年)同じだ。それが、関東地方なのかなぁ?浅草も悪い場所ではないが、歴史が浅いのが物足りない。
O mio babbino caro / プッチーニ:私のお父さん マリア・カラス
場面に合っている。
「妙なものを見たが、どうかしていた。余り、入れ込まないで下さい」
「さよなら、お父さん、お母さん ケイ。僕は生きていきます」
つくづく思うのは、この当時がもう既に「異人たちにとっての夏」まだ、ワードプロセッサが鎮座まします物で、ブラウン管のテレビはまだ4×3の時代。コンピューターもMSDOSがドすを聞かせていた。
僕は親父と母親を連れて、函館の青函連絡船の最終を見に出かけたり、母親を美空ひばりさんのコンサートへ連れて行こうといていた(実現できなかったその代わりマイク・タイソンの試合)。明らかに異人たちの夏で、もうすぐ、僕も異人になる。
大昔のあの夏
大昔に見て好きだった映画。松竹公式で流れていたので何十年ぶりに再見。自分が大人になって見るといろいろと見えてなかったものが見えたりする。昔昔見た時とはまた違った味わいがあった。秋吉久美子と片岡鶴太郎の両親が素晴らしい。二人が消えていく時の切なさは凄く印象に残っていたシーンだ。オチは個人的にはあまり好きで無い。時代的にはエクソシストとかの影響ありのオチなのかなぁ、、
正直名取優子絡みのシーンは無くても良かったと思っていた。昔昔から。そこの印象は変わらず。
ところで、レビューというのは感想の事だと思うのだが、自分で作ったあらすじを書く人が多い。それもなかなかの長文で。
なんであらすじ書くのかよくわからない。
と、映画には全く関係ない話
久しぶりに観ました
昔、どこかのシネマのスクリーンで観たのか地上波で観たのか忘れてしまいました。35年も経ってから主人公の亡くなった両親が現世に現れた理由を知りました。
そういう事だったのか!
主人公はある日ふと自分が育った浅草に行ってみたくなりますがその時から両親に誘導されていたんですね。
ふと何処かに行ってみたくなる時は自分の考えでは無いのかもしれません。
名取裕子さん演じるケイにはどんな苦悩があったのでしょうね。真夜中に訪ねて来た時に原田は彼女の話を聞いてやる気持ちの余裕が無かったから追い返してしまったけどコレって原田が自己愛を持っていなかったからです。自己を愛せない者に他者を愛せる筈が無いのです。
両親と再会してから愛とは何か?自己を愛する、他者を愛する事を取り戻したんですね。
山田太一さんを偲んで
TVドラマ『ふぞろいの林檎たち』で有名な脚本家の山田太一さん
11月29日に老衰のため神奈川県川崎市の施設にて89歳で他界
過去数回鑑賞
原作は『飛ぶ夢をしばらく見ない』の山田太一
監督は『HOUSE』『転校生』『時をかける少女』『理由』『海辺の映画館 キネマの玉手箱』の大林宣彦
脚本は『長崎ぶらぶら節』の市川森一
あらすじ
40歳の売れっ子脚本家・原田英雄が主人公
浅草出身
バツイチ
マンションで一人暮らし
彼が12歳のとき自転車に2人乗りしていた両親がトラックに撥ねられ亡くなった
地元にちょくちょく顔を出していたがある日寄席で父親そっくりの男を見かけた
男に誘われ男の自宅にお邪魔した
そこには母そっくりの女がいた
12歳の頃の英雄の両親そのものだった
それ以来何度も浅草の両親の家を訪問した
また同時期に同じマンションの住人の女・藤野桂と親しくなりやがて肉体関係の仲に発展しガールフレンドになった
それ以来なぜかどんどん老けていく英雄
日に日に衰弱し死にかけていた
都会的
現代的(公開当時またはテレビ初登場の頃は)
ノスタルジー
ファンタジー
そしてホラー
なぜかプッチーニ
日本アカデミー賞最優秀脚本賞
父親役の片岡鶴太郎が日本アカデミー賞最優秀助演男優賞
海外でも高く評価された
この作品の異人とは外国人の古い呼び名ではなく幽霊のこと
両親も藤野桂も幽霊という種明かし
なぜか幸せな気分になれる映画
年齢を重ねてみるとますます好きになる
大林宣彦監督作品で一番好き
邦画ファンで大林宣彦監督といえばまず思いつく作品はこれではないだろうけど
大林宣彦作品で『異人たちの夏』が1番観た回数が多いかな
両親役の片岡鶴太郎と秋吉久美子の雰囲気がとても良いのだ
手拭いで汗を拭いてくれるお母さん
なぜかラジコンカーにハマっているお母さん
笑うお母さん怒るお母さん
腕のいい寿司職人だが飽きっぽく店を転々とするお父さん
花札を教えるお父さん
40の息子とキャッチボールをするお父さん
すき焼き屋での両親との別れは何度観てもジンと来る
たまらない
英雄「いかないでくれ」
うっすらと消えそうになる両親
英雄「ありがとう」
房子「さようなら」
英吉「あばよ」
消えてしまう両親
いま観ても二つ目のクライマックスである正体を現す藤野桂のシーンはそれほどしょぼいと感じない
当時としてはかなり頑張った方
ラストは英雄が間宮と共に英雄の両親の家があった浅草で線香をあげるシーン
すでに更地になっていて再開発でビルが建つという
両親の墓はなぜか愛知県にある
悪霊の桂にもありがとうと感謝する英雄
ホラー混じりもなぜかホッとする名作
おすすめです
一度でも良いから映画館で観たいな
配役
TVドラマのシナリオライターの原田英雄に風間杜夫
英雄の父でいなせな寿司職人の原田英吉に片岡鶴太郎
英雄の母の原田房子に秋吉久美子
英雄が住む同じマンションの3階の住人の藤野桂に名取裕子
英雄の友人でTVドラマのプロデューサーの間宮一郎に永島敏行
英雄の元妻の今村綾子に入江若葉
TVドラマのキャストで主演俳優に竹内力
TVドラマのキャストで医師役に峰岸徹
地下鉄公団職員に栩野幸知
浅草の客引き1に草薙良一
浅草の客引き2に小形雄二
奇術師に北見マキ
落語家に桂米丸
落語家に柳家さん吉
タクシー運転手にベンガル
番組台本読み現場のキャスト・スタッフに高橋幸宏
番組台本読み現場のキャスト・スタッフに松田洋治
番組台本読み現場のキャスト・スタッフに時本和也
番組台本読み現場のキャスト・スタッフに高城淳一
番組台本読み現場のキャスト・スタッフに石丸謙二郎
台本の漢字が読めない若手俳優の川田淳子に川田あつ子
川田のマネージャーに明日香尚
打ち合わせをするTV局の男に加島潤
歯科医に笹野高史
八つ目うなぎ屋の親爺に本多猪四郎
今半の仲居に角替和枝
今半の下足番に原一平
英雄のマンションの管理人に奥村公延
英雄の息子の原田重樹に林泰文
亡くなってからわかる親の愛情
片岡鶴太郎と秋吉久美子の夫婦関係と風間杜夫との親子関係がすごくよかった。自分もそうだったが、彼も亡くなってから親の愛情をひしひしと感じたのであろう。ストーリーとは直接関係ないが、彼がポン引きに声をかけられて、「もう済ませました」と言ったのには笑えた。
どうかしててもいい一時の夏
大林宣彦監督1988年の作品。
尾道3部作や青春人気作と並んで、名篇の一本。
妻子と別れ、マンションで一人暮らしのシナリオライターの原田。仕事で自分の要求が通らず、不満が募る日々。それ故、同じマンションに住む魅力的な女性・桂(ケイ)からの誘いも冷たく断ってしまう。
そんなある日、ふと下車した幼い頃住んでいた浅草。そこで、信じられない出会いをする。原田が12歳の時に事故死した両親と再会する…。
日常の中から突然、非日常へ足を踏み入れる…。
これぞ映画の醍醐味の一つ!
大林作品の中では『さびしんぼう』でも若い頃の両親と会う話があったが、こちらはより身に染みる。
亡き両親、人生に疲れた主人公、浅草・下町の情景…。
それらが堪らなく風情を煽る。
大林ノスタルジックの一つの到達点と言っても過言ではない。
父親と酒を飲み交わす。父親とキャッチボール。
母親にこぼした料理を拭いて貰う。母親手作りのアイスを食べる。
両親に誉めて貰う。3人で夕食。3人で花札で遊ぶ…。
原田が一人で生きてきた歳月は、両親と過ごした歳月より長い。
しっかりと一人で逞しく生きてきたつもりだが、いざ両親と再会したら…。
全てが嬉しい。全てが懐かしい。
まるで、子供のように。子供の頃に戻ったかのように。
何度も何度も訪ねる。
いつもいつも笑顔で迎え入れてくれる両親。
「また来いよ!」「またいらっしゃい!」
ユニークなのは、両親の描写。
大抵だと大人になった我が子に気付かないのが相場だが、こちらは大人になった我が子をそのままの姿で受け入れる。
タイムスリップ…ではない。浅草下町の風景など(当時の)今のまま。
となると考えられるのは…
思わぬ出来事がもう一つ。同じマンションに住むケイと恋仲に。
突然訪れた、幸せと充実。
が、その時からだった。原田の身体に異変が。
次第に衰弱していく。鏡に映った自分のその姿…!
一体、何が起きているのか…!?
風間杜夫も熱演しているが、周りの面々。
片岡鶴太郎の昭和親父のハマり具合! 減量もしたという役者魂!
秋吉久美子の艶っぽさ! あんな風に顔を近付けられたら、親子とは言えドキドキしてしまう~!
何処か薄幸な雰囲気の名取裕子演じるケイ。風間杜夫との大胆なベッドシーンもさることながら、クライマックスの大インパクト!
一応友人のようではあるが、仕事上では度々意見が食い違い、そして原田の妻子との結婚を考えている永島敏行演じる間宮。最初は何だかちと嫌な奴だが、でも見ている内に…。
毎度の事ながら、ワンシーンにビッグネームが登場するのも大林作品のお楽しみ。怪獣映画ファンとしては本作も。本多猪四郎監督の“常連”特別出演。
夏(お盆)という季節設定。3人でアイスを食べるシーンで、線香のようにスプーンをアイスに立て差し。
見てると次第に分かるし、これらからも分かるように、両親は幽霊。
でも、それでも構わない。また両親に会えるのならば。
私も結構早めに両親を亡くした。特に父親とは、成人になる寸前で死別したので、あんな風に酒を飲み交わす事が出来なかった。私自身も残念だが、父親も残念だった事だろう。
もし、また両親に会えるのなら…。
原田の場合、先述した通り、両親と過ごした歳月より一人で生きた歳月の方が長い。だからこそ、殊更浸っていたい。母親手作りのアイスは甘さ控え目だが、この一時はとても甘い。
何と引き換えにしても、この一時を。例え、自分の身体が衰弱していっても。
が、両親が我が子の生気を奪うような鬼畜の所業をするだろうか…?
いや、それでもいいのだ。生者が死者と再会するなんて、奇跡どころではない。我が身を捧げてでも。
それほどの事なのだ。
ケイが原田を心配する。
原田もこのまま入り浸っていたらいけない事は充分承知。例え短い間だけでも、夢のような一時を過ごせた。
それは両親も同じだった。
生者と死者を繋ぐお盆。それは、夏の終わりのほんの一時。
料亭ですき焼きを食べながらの別れのシーン。
素直になれない本心を隠しながら、悲しくも嬉しかった思いを吐露しながら。
両親が次第に消えていく。
「ありがとうございます」
幼い頃に両親と死別しても心からの感謝の言葉が、涙を誘う。
これで原田の身体も戻る筈…だった。
衰弱は止まらない。
何故…?
実は、もう一人…。
プッチーニの音楽に乗せて繰り広げられる展開と彼女の形相が、圧巻!
郷愁誘う感動ヒューマン・ファンタジーかと思いきや、
ラストはちょっぴりのホラー。
ノスタルジックと怪談。
夏になると怖い話が見たくなる。
生者と死者が再会するお盆。
どうかしていると思われてもいい。いや、寧ろ、何が起きても不思議じゃない。
日本だからこその夏とお盆にぴったり。
大林監督が我々皆に届ける、一時の夏。
そんな夏も、今年も終わった。
とってもよかった
公開当時に映画館で見て、その後もレンタルで2回くらいは見ていて大好で、追悼でHuluに上がっていたので見た。最後に見たのは20代の時でそれから主演に風間杜夫の年齢をはるかに追い越して見たら、ずっとあまり好きではなかった名取裕子とのやり取りや場面にぐっと来た。鶴太郎と秋吉久美子の粋な感じはずっと一貫してすごくいい。永島敏行もなんだこいつと思っていたのだけど、改めて見ると分からなくもないし、あんなに支持してもらえたら心強い。半面、風間杜夫の思いあがった感じが鼻につく。バブルの真っただ中な感じもよくて、とても面白かった。そんな風には描かれてはいないけど、景気の良さが随所に滲み出していてこの時期にお金を好きに使える立場だったらさぞ楽しかっただろうな。
(追記)
永島敏行がお化けの名取裕子を横蹴りで倒す場面がすごい。咄嗟の判断であんな勇敢な行動ができるような男でありたい。名取裕子は自分がお化けのくせに両親と会うのを妨げようとして厚かましいのだけど、最初に風間杜夫の部屋を訪ねた時は切実な思いがあっただろうし、それには一体何が原因だったのか、よほどの事情があったのだろう。気の毒に思う。
観終わってしみじみする珍しいホラー映画??
数々の名作を世に送り出した大林宣彦監督、謹んでご冥福をお祈りいたします。
尾道三部作他、若手俳優たちを多く発掘したことも映画界に残された大きな足跡だと思っています。懐かしのチャールズブロンソン『マンダム』のCMも大林監督だったんですね?Wikiで調べて初めて知りました。
※全く関係ありませんが、友達に「顎になんかついてるよ!」って言って顎を触った瞬間「う〜んマンダム!」っていうのが流行りましたねー。
原作の山田太一さんは『ふぞろいの林檎たち』をまず思い浮かべ、自分自身、同世代の主人公たちと学生時代、就活、社会人を同じように過ごさせてもらい、なんて我々の思いを代弁してくれるんだろうって感心したこと思い出しました。
映画の本題ですが「DESTINY 鎌倉物語」のようなファンタジックな物語かと思いきや、分類的にはホラー映画になんでしょうね?!幼い頃に死別した息子を悪い幽霊(怨霊)から救うために両親が当時のままの姿で現れます。当時にはできなかったキャッチボールや色々な会話、今半のすき焼きを食べながら消えてしまうシーンは、もう涙なしでは観られません。
大好きな映画『蒲田行進曲』の銀ちゃん役の風間杜夫さん、やはり少し臭めの演技、いい感じでした。
ほっこり心温まるとてもいい映画なんじゃないでしょうか。あまり話題にならなかったのがちょっと残念です。
ラストに、えっ?
時空を超えた作りや亡くなった人間が幽霊として出てくるので、大林作品の王道と言えるものでした。
父親役の鶴ちゃんと母親役の秋吉久美子が、昭和30年代のおおらかな日本社会を象徴しています。いつからこんなにギスギスした日本になってしまったんでしょうか。いくら戻りたくても戻ることができない良き時代。
特にその時代を知る方が鑑賞すると、熱いものが込み上げてくるかもしれません。それは主人公がその世代の日本人のメンタリティーのメタファーとして描かれているから。作品が上映された時代は、家族という概念が変わり始めた頃でした。時代が急激に変わり過ぎたんですね。
そして、主人公が経験する中年という壁。現在の自己を否定し、生まれ変わることを求める年齢にフォーカスしています。
「さびしんぼう」でも描かれた同世代として対面する母親との微妙な関係性も通過儀礼のひとつ。男性(大林監督)の初恋はきっと母親なのでしょう。淀川先生も、そんなこと言ってたなあ。
両親という死者との再会によって生きる喜びを取り戻す主人公。逆に死者である「ケイ」という恋人によって、あの世へ連れて行かれそうにもなる。どちらにしても、生きる目的を無くした主人公が、生を意識した瞬間です。とにかく、「生きるのだ」。とにかく、「生まれ変わるのだ」。
賛否両論あるラストですが、もう少しなんとかなったら日本映画史に残る名作になったのではないでしょうか。でも、大林監督らしいと言えばらしいので、これで良かったかな?
ホラー映画なのに、こんなに心温まる映画って最高ですね!
この作品の主人公は原田英雄と言い、最近離婚したばかりの売れっ子TVドラマの脚本家だ。
そして、或る年のお盆の季節に彼は、不思議な体験をしたと言う夏物語なのだ。
これは、一応ホラー映画に属する作品なのだろうが、ホラー映画と言うよりは、むしろファンタジー映画と呼んだ方が近いような作品だ。
それ故、普段は、ホラー映画を観る事はない私でも、この映画だけは、例外的に好きな映画として、何度となく飽きる事も無く、繰り返し観賞する事が出来ているのだ。
私は臆病な性格な為か、それとも子供の頃に幽霊を見た経験が有るせいか、理由は今ではハッキリとは解らないが、ホラー映画は普段は観ないのだ。
こんな、ホラー映画嫌いの私が、この作品を初めて観たその時のきっかけは何かと言えば、この作品の監督が、私の大好きな、大林宣彦さんである事に加えて、物語の原作を尊敬する山田太一さんが執筆している事だ。
そして、キャスティングも、好きな俳優さんが偶然揃っていて、この映画は、自分の為に創られた作品ではないのか?と錯覚を起こしてしまう程にお気に入りの作品なのだ。
そして、何度も何度も観ているくせに、これを観る度に、総て分かっているのに、号泣してしまう。
今日も、このレビューを書く為に、再度、見直すと、また、決まって同じ処で、泣き出す始末で、自分自身でも、呆れ果てているが、涙が勝手に出て来てしまうのだ。
仏教では、本当かどうかは解らないが、亡くなった人の魂がこの世に残した家族に会う為に、年に1度だけ帰って来るシーズンがお盆だと信じられている。
そして、人々は、帰省して、墓参りをして、先祖供養を行う習慣が今でも有る訳だ。
私は、この映画を、お盆なので観ているけれど、墓参りには行っていない、親不孝者の私である。それ故に、この映画の原田と自分を重ね合わせて観てしまうから、涙が止まらなくなるのかもしれない。
この作品の終盤、ちょっぴり死霊が、原田の前に変幻した姿を現にするのだが、そのKEIと言う原田と同じマンションの住人だったと言う女性の亡霊のCGが決まらないのが、当時の邦画の技術なのか、予算の問題で巧く綺麗にみせる事が出来なかったのか、心残りの点も有るには、あるのだ。原田の特殊メイクも今一つ巧くないのは残念だ。
しかし、40歳で離婚して、子供との関係も巧く築いてくる事が出来なかった、原田の元に、原田の亡き両親が会いにやって来ると言うお話は、やはり、ホ-ムドラマを多数書き続けて来た、山田作品ならではの、最高の人情話になっている点こそが、本作の素晴らしさなのだと思う。
最近の医学研究の発表では、ホラー映画を観ると他のジャンルの作品を観るよりも、消費カロリーが多い事から、ホラー映画は、ダイエット向きだと言う統計がアメリカでは出たらしい。美容と健康の為に、これからホラー映画を観る事を習慣にするのも良いらしい!
と言う事で、8月のお盆のシーズンのお薦め映画としてこの作品を推薦したい!
現代版怪談だが、見所は染み入ってくる家族愛の演出の良さ
総合:80点
ストーリー: 65
キャスト: 85
演出: 80
ビジュアル: 65
音楽: 70
最初は何故急に両親が現れたのかわからなかった。怪談の現代版なのかと思ってみていた。だが幼い時に両親を亡くし、今また離婚したばかりの孤独な中年男に染み入る家族の愛情が、見ているうちにだんだんとしかしはっきりと感じられるようになる。特に片岡・秋吉の両親役二人の出演者の演技に加えて、このあたりの演出は流石に人の交流を多く描いてきた大林監督のうまさが出ている。だんだんとその愛情に癒されていく風間杜夫の変化が良くわかる。それでも風間杜夫が衰えていくのは、体力の消耗以上に彼が家族の愛情を必要としているからなんだろうと思っていた。
そんな家族との触れ合いの描写がとても素晴らしいと思った反面、物語にはいくつか疑問があって当初は腑に落ちなかった。あんなに息子を愛しているように見える両親は、現世に生きて衰弱していく息子と一緒に、黄泉の国に旅立つつもりだったのだろうか。それとも一時の交流のためだけに現れたのだろうか。
実は映画を見た後に解説を聞いたり調べたりしてようやくわかったのだが、両親は息子を守るために出現したということだ。憑りついた他の幽霊が弱った息子を連れて行かないように、彼に心の平穏を与えて現世に残れるようにしていたのだ。だから彼は踏みとどまることが出来た、ということらしい。
それならば納得できるのだが、最後の最後に彼を救ったのは両親ではなかったわけだし、物語はわかりにくい。だからそこらあたりが響いて、脚本にはあまり高得点を付けなかった。
それでも両親との触れ合いがとても良かったし、それだから最後に彼はまた自分と自分の家族について冷静に見つめ、それまで全く登場しなかった子供に、父親として普通に接することも出来た。またぎりぎりに追いつめられた名取裕子が突然に風間を訪ねる部分も良かった。最初はこんな変な奴いないよと思ったが、彼女は本当に最後の勇気を振り絞って、藁をもつかむ思いで最後の救いを求めに行ったのだ。だからあんなにぎこちなかったのだと納得だし、その演技もあとで見直してみるとたいしたものだった。最後に近い名取裕子との修羅場の場面は映像の技術もたいしたことないしちょっとがっかりだが、欠点を上回る情緒豊かな場面があって、最終的にはいい映画だったと言えた。
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