暗殺(1964)のレビュー・感想・評価
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トリックスター清河+丹波
清河八郎の奇妙さと丹波哲郎の奇妙さが実に見事にマッチングしていて、こんな訳のわからなさだったんだろうなと釘付けになった。
後半のPOV視点、時代劇の暗殺シーンにはとてもフレッシュだった。
司馬遼太郎のドライさもよく出ていたな。
新選組前日譚
清河八郎…知らなかった。なんか策士なのに、情にもろいところもあり、逆にスッパリ切り捨てたり、複雑な人だなぁ。あまり共感も同情もできなかった。暗殺されてもしかたない気がする。でも、動乱の時代に、こういう人がいたおかげで、物事が動いたのかもしれない。か、めっちゃかき回したか? それほど名が知れ渡らなかったので、残念ながら歴史の節目に立ち会えず、前座で退場したってことかな。
丹波哲郎の風格よし。佐田啓二いるだけで風味よし。木村功かっこいい。穂積隆信つみきまだ積んでない。若き竹脇無我と蜷川幸雄かわいい。岩下志麻は演技ヘタだが、美しい。
BS松竹東急の放送を録画で鑑賞。
物語そのものよりも映像の美学を堪能すべき作品であると思います
1964年松竹、白黒作品
篠田正浩監督作品
誰の暗殺?
幕末ものだから、坂本龍馬?井伊大老?
違います
清河八郎という人物です
この名前を知っている人は結構な歴史好き、特に幕末もの、新撰組ものに詳しい人でしょう
原作は司馬遼太郎の歴史小説「奇妙なり八郎」
この原作小説自体、あまり有名でもありません
つまり一般的には無名です
実在の人物です
新撰組の母体となった浪士組を幕府に提案し実現させ、234名の浪士を率いて江戸から京都に乗り込んだ人です
結局のところ、丹波哲郎が演じるこの人物が題名の通り幕府に暗殺されるまでの物語です
有名どころは坂本龍馬が少し登場する程度です
近藤勇、土方歳三などは名前のみ一言台詞にでるだけです
お話も幕末ものが好きで予備知識があるなら楽しめもできますが、そうでなければ退屈な時間になるかも知れません
しかし撮影が尋常ではありません
恐ろしく鮮明なカメラが大胆なアングルで、美しい陰影をもって撮られています
冒頭からその映像にハッとさせられます
物語そのものよりも映像の美学を堪能すべき作品であると思います
篠田正浩の最高傑作
傑作である。ポスターはカラーだが白黒作品である。白黒作品だからミステリアス感がよく出ている。脚本が「戦争と人間」、「栄光への5000キロ」、「内海の輪」の山田信夫だが、この人は駄作も多いが、この作品は橋本忍脚本の「切腹」を彷彿とさせるタッチで最後まで飽きさせない。篠田正浩33歳のときに撮ったものなので、溌溂とした作品に仕上がっている。1964年公開だが、58年後の2022年に見ても実に面白い作品である。良い作品は古くならないどころか熟成するものらしい。黒澤明監督の「七人の侍」、工藤栄一監督の「十三人の刺客」や「大殺陣」も何度見ても飽きないのと同じだ。さて、内容は、新選組はこの男が居なかったら決して生まれることはなかった清河八郎の、浪士組結成から暗殺されるまでを、関係者の思い出話で構成したものである。司馬遼太郎原作なので半分は嘘八百ではあろうが、「羅生門」の語り口スタイルで、愛人、徳川幕府要人、門弟、坂本龍馬らの証言から、清河八郎像を追っていく。暗殺実行者の佐々木只三郎は、門弟の面前で清河八郎に二度も打ちのめされ恥をかかされ憑かれたように清河八郎を殺したいと思うようになる。この殺害動機を幕府要人が利用して清河八郎は暗殺され映画は終わる。清河八郎という人物は、すべての「新選組」物語で、幕府を裏切ったいい加減な人物という地位が確立しており、映画演劇でその実像が語られることは稀なのであるが、この不人気者をこの映画は真正面から取り上げており実に興味深い。丹波哲郎、岡田英次、早川保、岩下志麻、木村功、佐田啓二、そして後年演出家として名を成す蜷川幸雄らが生き生きと動き回っていて楽しい。篠田正浩の最高傑作であろう。
奇妙なり八郎
原作、司馬遼太郎「奇妙なり八郎」。しかし司馬さんは、みごとに清河八郎を一言で表すタイトルをつけたものだ。
映画は、原作をなぞらえた進行で出来上がってはいるが、監督の好みなのか、若干印象が異なる。竜馬が標準語に近いのもいただけない気がした。
前途洋々の男が最後に寝首を掻かれる如き終焉を迎えるのは、初期司馬作品によくみられる作風。そんな、うさん臭さが強すぎて気の毒に見えない主人公、清河。受けた恥辱の感情が歪んでいくように、清河を斬ることに囚われた佐々木唯三郎。この二人の対比は、これまた「梟の城」の二人を思わせる。
個人的な清河のイメージは、弁舌さわやかなれどもどうも実の伴わない高説を自信満々に謳いあげる鼻持ちならぬ美男子。ついで言えば、佐々木=ヒョロリ長身で冷徹でめっぽう腕の立つ官吏、山岡=ガッチリした体躯で強いながらも澄んだ眼力を持ち人を疑うことを忘れた好人物、となる。だから、この映画のキャスティングと微妙に異なる。
清河は、勤皇の同士との酒宴の席で「魁がけて またさきがけん 死出の山 まよいはせまじ 皇(すめらぎ)の道」と一句詠む。"清河幕府"を立ち上げる!とはなんともまた壮大な話で、その大風呂敷に違和感を抱かない時点で、連れ立つこの衆愚たちは清河の弁に危うさの欠片さえ覚えずに、陶酔しきっていたのだろうなあ。たぶん、徳川幕府創成期における由比正雪も、このような男だったのではないだろうか。
史実、結局清河は佐々木に討たれた。常日頃、佐々木は、弁を操り策を弄する清河を胡散臭さの塊のように憎んでいただろう。北辰一刀流の大目録皆伝をとるほどの達人ともあろう清河が、自身の近辺から敵意を持って伺う眼差しに気づかなかったのは迂闊だったのだ。小説では、最後に佐々木が「清河、みたか」と吐き捨てる。そこに田舎郷士に後れを取った腹いせが垣間見える。ただこの暗殺というクライマックスシーンを描くにおいて、映画では、待ち伏せて出くわす場面からしかない。"酒の香りがむせる"、とナレーションでも言った通り、それは直前に上之山藩士金子を訪れ酒を振る舞われた帰りであり、だからこそこに清河の油断(司馬は"素朴"と表現している)があったわけで、佐々木一党が現れた時点で、観客にも「しまった」と思わせるためには、振舞い酒の場面が欲しかったなあ。
それにつけても、さすが’64の作品だけあって、江戸や京都の街並みの風情を残すロケ地の良さよ。今、この映画を撮り直すとしても、あんな泥臭くって狭っ苦しくて古ぼけたセットなんぞ作れやしまいなあ。これだけでも一見の価値あり。
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