天城越えのレビュー・感想・評価
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14の夜、小野寺健造の動機
文豪松本清張の人間の原罪を鋭く暴くサスペンス作品の映画化。
今作が監督デビューとなった三村晴彦のロマンチシズム溢れる感動作。
艶やかに美しい田中裕子さん、渡瀬恒彦さんの気迫、今は亡き坂上二郎さんと樹木希林さんの姿が収められている。若い頃の石橋蓮司さんと吉行和子さんと柄本明さんの演技も観ることが出来て嬉しい。
14歳の頃の回想シーンがエロティック。
男と女の交合の描写も有るホラーテイストな作風で、怖くておもしろかった。
青い衝動
雨の中で少年に別れを告げる田中裕子の美しいシーン。いい画が多い。
現実に目を背ける少年の中で勝手に膨れ上がった聖女観に絶望してキレる少年。救いようがないが、その青さを尊ぶようなところもある。
単に生きる術として身を売る女をさげすむような面はなし。空回りする渡瀬恒彦の方が卑小に映る。
なぜ真相に気付いたのか?捜査としては内容が薄い。
みる価値は田中裕子です
ストーリーが単純なだけに、犯行に至る犯人の心の動きや、長年にわたり犯人を追い続けたという刑事はなぜそうまでこの事件に固執したのかなど、掘り下げるポイントがもっとあったと思う。焦点がわからなかった。
そして、昭和らしい刑事の暴力的で非人間的な取り調べは、はっきりと不快で見ていられなかった。途中で辞めようかと思ったくらいだ。
最後まで見た理由は、田中優子の美しさと、時折見せるハッとするような表情だった。憎しみや優しさを全身から漂わせる。見とれました。
聖と、生と、性と ”女性”という存在
下ネタ満載。
なぜ、おもらしの描写が必要なのか、ずっと考えている。
(原作未読)
峠を越える。少年、商人・流れ土工・足抜けの娼婦。峠の茶屋。
そして事件が起こる。
松本清張氏原作の映画化だから、推理がメインかと思う。
けれど、映画では、後半「実は…」という展開にもなり、ある意味『刑事コロンボ』をほうふつとさせる展開ではあるが、”謎解き”よりも、少年と娼婦の心の動きの方が心に残る。
イニシエーションの話かと思っていた。
映画でも引き合いに出されるが、川端康成氏の『伊豆の踊子』がベースとしてある。が、こちらは、初めは淡い初恋の物語ではあるが、そこに納まりきらず、生きていくって、こういう事だというところに落とし込む。
安全で守られていた場所から、あることをきっかけにして、家出する少年。雄々しく一人で歩いていこうとするが、途中であった人々に依存(道連れ)しようとしてお金を使っては、見捨てられるという、世間の厳しさを味わう。
山道。今のハイキングとは比べ物にならぬ危険な道。今のように装備された道でさえ度々報じられる遭難。そんな装備のない道なら。方位磁石の代わりの星は輝いていたとはいえ、光もマッチの火・松明・焚火くらいしかの明るさ。野犬に食い殺される可能性も大いにある。
どうしようかと思ったとき、少年は天女に出会う。この時、天女が目指す先が先の商人たちと同じように、少年の目指す場所と違っていってもついていったのではないか、なんて思ってしまう。それほど、心細かったから誰かと一緒にいたかったし、天女を守る気もあったのだろうか。
だが、ここでも少年は裏切られる(見捨てられる)。「ちょっと、用事ができたから、先に行ってて」。
そして…。
そんな少年と道連れになる娼婦を、田中さんが演じる。映画も半分近くとなっての、満を持しての登場。最初の場面は天女かと思うくらいだ。お召しになっているものは木綿の着物で、白塗りと言い、赤い口紅と言い、見るからに、”娼婦”。足元、ヒップ、そして顔というカメラ目線も、エロおやじ目線なのだが、顔が映ったとたんに天女になってしまう。
それが、少年が後からついてくるのを察した時から、この天女と幼女と姉御:少年の憧れの具現化と、同時に少年を罠に絡めた蜘蛛のような表情が混じりこむ。そして、土工を見つけた時の表情。生き延びるための強かさ。獲物を見つけた狐が舌なめずりをしたような表情。実際には全財産を巻き上げて絞りとるつもりはないことは後の土工と娼婦のやり取りでわかるのだが、すべてを吸い尽くされそうだ。
田中さんのすごいところは、この、相対するもの、聖と欲望、人を救い愛おしむものと、人を利用し死に至らしめるものが、同時に存在するところだ。別キャラや別の場面として演じ分けられる人はたくさんいる。だが、同じ場面で、ちょっとしたコミュニケーションの駆け引きの中で、そのすべてを感じさせてくれる女優となると他にいらっしゃるのだろうか。
こんな存在と出会ってしまった少年。
母との関係。目撃。幻想・理想。聖なる部分と性なる部分。そして…。
少年は、それまでの少年のままではいられなかった。
映画は、少年だけでなく、刑事の職業人としてのイニシエーションも描きこむ。
刑事になりたての男にとっても、生涯囚われてしまう事件となった。
事件解決に憧れ、”正義”を振りかざすだけの職業人のままではではいられなくなった。
そんな映画の中で多用される、汗、下ネタ、雨、川、ワサビ田、氷室…。
おもらしの部分は必要だったのか?
田中さんの気合は見て取れるけれど、演出としての必然性は感じられない。取り調べのキツサを表現するのなら他の方法だってあるはずだ。渡瀬氏、山谷氏、田中さんが演じるんだもの。監督のキワモノ趣味かいじめにしか見えない。
他の下痢をはじめとする下ネタエピソードも、まだ必然があるにしろ、多すぎる。
聖と、生と、性に関するものを散りばめて、”生きている”ということを紡いだつもりなのだろうか?
浄化する水。人里離れた自然豊かな美しい土地での、殺人事件という”死”を扱う物語。
だが、”生”の臭いがこれでもかと立ち込めている。
生きるとは、きれいなものだけでは存在しない。
眼を背けたい・さらしたくないものとともにあるものなのだと。
そして、
少年は人生に何を抱え、最期に何を思うのか。
刑事は職業人として何を抱え、最後に何を思うのか。
映画では言語化はない。二人の表情で推し量るのみ。
☆ ☆ ☆
Wikiによると、田中さんと監督はあまり反りが合わなかったらしい。だからか、田中さんの出演されている場面は、なんとなく緊張感が出ている。少年とハナの前半の道行きさえも。ハナにとっては、足抜け道中なのだから当然だとは思うが。
伊藤君もいい。田中さんや吉行さん、小倉氏の演技を、素直に受け止める表情に、自分の思春期を投影してしまう。どうして役者は続けなかったのだろうか。
役者に関しては、田中さん、伊藤君だけでなく、周りを手堅い方々がきちっと支えてくれ、手放しで評価したい。
天城の風景もとてもきれい。
反面、
場面が「公園?」等、アスファルト・コンクリートっぽいものが映っているところがあって、もう少し心配りができなかったのかと悔やまれる。
老年期の田島のファッションや動き方もコントの領域。座した渡瀬氏がいい演技をなさってくださっているだけに、一番悔やまれる。
演出には不満がありつつも、役者・映像・音楽、それだけでも必見です。
(演出に-0.5)
男が可哀想
少年と娼婦の配役は、とても良いと思います。
ただ、ただ、土工の男が哀れに思えてなりません。
少年の感傷を思い起こさせるような緩やかな音楽にのって、刺され続けられる土工の男。
少年主体の表現になるのは止むを得ないのでしょうが、あまりにも酷い。
男の性や女の性の悲しさを表現したかったのかもしれません。
草履を巡る、娼婦と少年のやり取りに優しさを感じましたが、少年の性に結び付けたことで、安っぽい映画になってしまった。
自然の中、闇での着物姿の娼婦の妖艶さの表現は素晴らしいと思います。
昭和の冤罪の叙情詩
まずは主演女優が表情だけで喧騒を静寂にする程の力があり物語など頭に残りませんw
特に冤罪で逮捕される所は検察が無い国にいるかの様な感じで裁判が無い世界線の様だ。
実際、昭和の日本は刑事事件で逮捕されれば人生終了だったと言われており現実にこの様な事はあったのだろう。
この物語の刑事は想像力も調査力も検証力も無く、あるのは暴力のみですw
あぶ刑事なら相手は指定暴力団なのでまあ良いでしょうが一般市民にしてはイケナイでしょう。
最後まで犯人の動機が解らないまま定年した元刑事は滑稽であり愚弄、無知にして愚鈍、現実には存在して欲しくありません。
それにしても悪いのは何だったのか?
この少年の生い立ちなのか、
女のサガを知らない憧憬止まない少年の心なのか
少年にやられた土方の不甲斐なさなのか、
或いはその時代なのか…。
いずれにしても、昭和と天城越えと云う旅情、そして薄幸な妙齢な女性…ムード音楽。
見終えた余韻はメーテルと別れた直後の鉄郎の様だった。
ややこしい面もあるが、警察の取り調べが印象深い
1.前半は、現代と過去・回想が、頻繁に入れ替り、ややこしい
→ 後半は、入れ替わりのスパンが長くなるので、判り易い
2.警察の取り調べを受けた売春婦:ハナは、
少年とは、一瞬の出会いでなく、数時間同行し、会話している
→ 映画では、ハナは少年を庇う気持ちがあるようには、見えなかった
→ ならば、警察に少年の事を話すのが普通 → 少し変
→ なお、庇う気持ちなら、諦念の態度で捜査に応ずるのが普通
3.警察の取り調べが、自白強要の大失態
→ ①女は殺害を否定している、 ②少年の存在が判明している
→ それなのに、女に自白強要は、明治前半みたいな感じ
4.松本清張の作品に出て来る刑事は、地道で科学的な捜査をして
困難な事件を正しく解決することが多いのに、
この映画の刑事は、遺漏捜査でダメだな
→ 手抜かりがひど過ぎる
本当のプロが撮った映画とは本作のことです
全くのプロの手になる作品
プロ中のプロの仕事の見事さを堪能できます
犯罪映画という娯楽作品を芸術作品の域にまで近づけています
主人公役の伊藤洋一の配役
渡瀬恒彦、何より田中裕子の圧倒的な熱演
見事と言うしかありません
本作の3年後の1986年の大ヒット曲、石川さゆりの名曲天城越えは本作をモチーフとはしていませんが、歌詞に出てくる浄蓮の滝は田中裕子と共に特に美しく重要なシーンとして登場します
本当のラストシーンはエンドロールが終わった後に写される、現代の旧天城トンネルの光景です
そこでエンドマークなのです
そのトンネルをバイクが何台も猛スピードでくぐって行くのです
通り過ぎたあとには、あの夏の日のように蝉の声が響いています
これによって私達は40年以上の年月の経過を、素晴らしい余韻と共に実感できるのです
本当のプロが撮った映画とは本作のことです
田中裕子の熱演・・
松本清張が原作。舞台は昭和15年。天城越えをする女と14歳の少年の物語。どうして殺人事件が起こったか!?映画を観て感じて欲しい。間違いなく名作で、娼婦役の田中裕子が魅力的だ。1983年の松竹映画。
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