「人間の業の終着点」AKIRA 森のエテコウさんの映画レビュー(感想・評価)
人間の業の終着点
追記
2020/03/28 ついに映画館が休館になった。
週末に映画を観る。休暇に海外旅行をする。そんな当たり前の事が、奇跡的な事だったとさえ思える。
桜は美しく咲こうと思うわけでもなく桜として花をつける。
あるがままに―"Let it be"だ。
人間にはそれが難しい。あまりに脳が巨大化した故に。
しかし、巨大化した脳も万能ではない。未知なるもの、想定外の事象に対しては成す術もなくうろたえる。
人間が人間として生きること。人の道とはどういうことか。
『空』の境地に思いをはせられたこのアニメーション映画を、再度映画館で鑑賞できる日を願うばかりだ。
初稿
人間の全能感の先にあるものを、圧倒的なバイオレンスを武器に、超越したイマジネーションで描き尽くした作品。
怒り、憎しみ、羨望、挫折、絶望…人はそれらの感情と折り合いをつけながら日々もがき生きる。そんな人間が神をも恐れぬ力を得たと気づいた時、どう行動するのか…
『2001年宇宙の旅』でも描かれていたそのモチーフが、アニメーションというフォーマットを通して縦横無尽に語られる。
驚くべきことに、物語の舞台である2019年の東京が、あと140余日後にオリンピックを控えているという設定だ。公開当時の約30年前に、それを予想していた日本人がどれ程いただろうか。
しかし、この作品の一番の驚きは、エンドロールの後に待っていた。
それは、暗幕とともに放たれた喝采の拍手。期間限定、夕方一度きりの上映に集った二十歳台を中心とした満席の観客の多くが、心からの称賛を表す。
ロックコンサートのアンコールさながらに若者の心を掴むのは何故か。
それは、若者に共通の生への執着を描き尽くす作者の熱いエネルギーが、まるでパンドラの箱のように目一杯封じ込まれているからだろう。
その脇目も振らないエネルギーは、作品を目の当たりにした一人一人に眠る炭火のような生へのエネルギーを触発する。
そして、そのエネルギーの訴求するものは何か。それは、『般若心経』さながらの「空」への憧憬と苦悩という、とても宗教的、哲学的な熱量であり、それこそが、人間の業そのものなのかも知れない。