「グロさよりも面白さが上をいった作品」スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師 銀平さんの映画レビュー(感想・評価)
グロさよりも面白さが上をいった作品
この作品が「グロい」という評判は前から知っていたので、鑑賞に至るまで時間がかかりました。でも実際に見たら、凄く気に入りました。
「ジョニー・デップ&ティム・バートンの作品!」という看板につられて、「楽しい作品」を期待して見た人なら、かなりショックを受けるでしょう。
主人公が殺人を繰り返すようになるのが結構唐突で、しかも説得力のある動機に欠けています。
あえて言うなら、憎き判事を殺し損ねたことで、ヤケになってしまった、という感じでしょうか。突然、判事に対する恨み→世の中みんな腐ってる!殺したって構わないだろう!という考えに変わってしまうんです。
この映画は始めから、無茶苦茶さ、シュールさ、ブラックユーモアを楽しむ作品だと思います。
「スウィーニー・トッドという人物は一種の狂った人間」と割り切って、彼と、これまたちょっと変わった人物のラベット夫人が組み、殺人を商売として成功させてしまう滑稽さを楽しんでしまいましょう。
ミュージカル作品なので、出演者が自ら歌う劇中歌はどれも素晴らしくて面白いです。特別上手くなくても問題ありません。役者が歌うからこその上手さがあります。
この映画においては、普通に台詞を言うよりも、歌うことが何よりの説得力を持っていると思います。印象に残るメロディーと歌詞が、歌い手の心情を表現し、美しく魅せ、単なる復讐劇で終わらせていません。
ラストだけは、どうしても切なく悲しい終わり方ですが、音楽と映像と、ティムバートンの悪ふざけを楽しみましょう。
ところで、この映画では、ラベット夫人が一番罪作りだという意見を目にします。
私はラベット夫人も主人公トッドも大好きです。
女の立場から見た感想としては、ラベット夫人が可哀想でした。
トッドを愛していたのに、あの結末は…。
最初ラベット夫人は、ルーシー(トッドの妻)の行方を尋ねられた時、誤解を招くような答え方をします。
「毒を飲んだ」「薬局で買ったヒ素を」「止めても聞かなかった」
あくまで私の推測ですが、これは恐らく事実を言ったのだと思います。そしてトッドは、妻はもうこの世にいないのだと思った。
復讐のことしか頭になく、過去に拘り、判事への憎悪のみで生きているような、かつての片思いの相手。
15年もの間、辛い時間を過ごした分、未来を見て生きて欲しい、二人で幸せになりたい。ラベット夫人はそういう気持ちでトッドに接します。
しかしトッドは復讐に固執し続け、ラベット夫人の気持ちには関心を持たず。どちらも見ていて何だか哀れです…。
彼女の「夢」が語られる場面。一方的な妄想でしかないものの、それは実に平凡で、絵に描いたような幸福な暮らし(ここは映像がかなり面白いです)。なので余計に結末がショックでした…。
そんな彼女を、子供ながらに、一途に慕うトビー少年も可哀想です。
トッドとラベット夫人は共犯者同士です。
他人を信用しなくなったトッドも唯一、ラベット夫人だけは、信用していたんだと思います。
死んだと思っていたルーシーの姿を確認するところまでは。
あの瞬間に、ラベット夫人に欺かれたと思い、怒りが爆発してしまいます。
激しく憤るトッドに対し彼女は「嘘はついていない」と言います。言い訳っぽく聞こえますが、確かに彼女は「ルーシーは死んだ」とは言っていないし、自分の行動がこんな結果を呼ぶとは思っていなかったはずです。
あくまでも、トッドの為を思って言った言葉だったと。
妻子のもとに戻るというトッドの願い。しかし、妻と娘との再会は最悪のかたちで訪れ、自ら取り返しのつかない過ちを犯し、最愛の者を失ってしまう。
そしてその悲しみと怒りをラベット夫人に向けてしまう。
救いようがないほどの悲劇です。
復讐のために戻り、目的を果たしても、最後には何も残らず…。
復讐する側も、される側も、自らが犯した罪の報いを受けるかたちとなるわけですが…。
個人的にはラベット夫人の夢が実現されるような、ハッピーエンドでも面白かったのでは?などと考えもしましたが、ともかく楽しめた作品だったので、手元に置いておきたい一本になりました。