劇場公開日 2008年11月1日

  • 予告編を見る

「竹中直人の熱演、『明日の記憶』を彷彿落ち着いたカット割りの夫婦愛。そして圧倒的な映像美が魅力的な作品でした。」まぼろしの邪馬台国 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0竹中直人の熱演、『明日の記憶』を彷彿落ち着いたカット割りの夫婦愛。そして圧倒的な映像美が魅力的な作品でした。

2008年12月1日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 九州男児を地でいくワンマンで、情に厚い宮崎康平を竹中直人が熱演。本来は、竹中が主役になるべき話ですが、吉永小百合が妻和子役にキャストされて、俄然そちらが注目されております。
 しかし、九州弁で感情をむき出しに人をあごでこき使うという康平をほとんどネイティブの口調で竹中が演じきったところを多いに評価したい作品です。
 もちろん吉永小百合の存在感は否めません。彼女がいるだけで、盲目の夫を支える妻の包み込むような愛情を感じさせてくれました。
 まるでやんちゃな子供のまんまの康平。言い出したらてこでも引っ込めない傍若無人な夫に対して、和子はいつもかいがいしく連れ添っていました。
 幻の邪馬台国を追って、九州各地へ夫を手取り足取り案内する姿は、まことに微笑ましく、夫婦愛の素晴らしさを感じさせてくれたのです。

 堤幸彦監督には二面性があって、『トリック劇場版』のコミカルな演出と、本作の人間ドラマでは、全然違ったテンポを見せてくれます。特に夫婦ものでは、『明日の記憶』同様、じっくり落ち着いたカット割りで二人の交情を魅せてくれます。夫婦を描くことにおいては、上手い監督だと感じました。
 あと、『明日の記憶』と同じく映像も大変美しかったです。幾重にも折り重なった有明海の浅瀬の文様。それが金色に輝いているところは、ハッとなりました。
 また夫妻が訪ねていく九州の山々の雄大な眺めもこの作品の準主役と言っていいでしょう。
 ただストーリー中、康平が和子を口説く過程は省略され、プロポーズ一発で婚約が成立したことや、横暴な夫にタマゴを投げつけるシーン以外は、特に和子の葛藤が描かれていません。吉永小百合のイメージそのままに、お上品にまとめています。でも和子本人がドキュメンタリーで語っていた話では、喧嘩はしょっちゅうで、なんど別れようか思ったかしれなかったそうです。
 そういえば、キスシーンもなかったですね。
 加えて、康平のイメージのなかで、卑弥呼が登場するシーンもなかなかよくて、古代ロマンをきっと感じることでしょう。

 つきあいがマンネリになっているカップルや長年連れ添って、お互いの愛情を感じなくなったご夫婦の方が゛ご覧になるときっと忘れていた伴侶の方への想いをきっと思い起こさせてくれる作品となますよ(#^.^#)

 ところで、原作がなぜベストセラーになったのでしょうか。
 原作が多くの読者の感動を誘ったポイントとして、映画と同じく著者が視力を失いながらも、妻との二人三脚で邪馬台国の位置を求めた夫婦愛にあります。学術書なのに、「いつかはこの杖で金印を探り当てる」と言うラストは印象に残るでしょう。
 また研究視点も斬新でした。まず「地名は変りずらい」と言う点に着目したことです。 平成の大合併と呼ばれる市町村の統廃合で、今でこそ地名は変化していますが、かつては地名は変らないものの代名詞でした。
 康平は、和子に古事記を朗読させて、テープ録音。それを何度も聞き返して、古代の音を研究し、九州各地を実地で旅しながら、魏志倭人伝中の国名を現代の地名に次々と地図上に当てはめていきました。
 強引な解釈でありながら、わかりやすさが受け容れられて点だと思います。

 けれども問題は、三国志と魏志倭人伝の編纂を行った陳寿が、関係者から聞き取ったヤマト言葉をどう漢語で表したのか誰にも証明できないことです。
 例えば、台湾の老人は「邪馬台」を「ヤマダイ」と発音するそうです。陳寿が朝鮮人たちの報告によって当て字した漢字地名の音読みが、ヤマト言葉の正しい発音と推定するには、無理があるだろうと思います。邪馬台国の位置が郷土島原になっているのも我田引水かもしれません。

 漢書で上陸地点から陸行500里の伊都国は、九州北岸から200km東南の宮崎県=日向としか読めないと江戸時代以前の国学者以来、そう考える説が有力でした。
 康平の熱意には頭が下がります。だけど『オーラの泉』の東知事の放送で明らかにされたように、高天原は高千穂にあり、邪馬台国は宮崎にあったことを小地蔵として指摘しておきます。

流山の小地蔵